Namo Guru Mañjugoṣhāya
それを眼の当たりにし説かれたことで
無上の智者であり 無上の教主である
彼の勝者 縁起を知りそれを説く者
この御方に私は頂礼せん
すべての世間を破滅させるもの
それはすべて無明を根源とする
それを見ることで退け得るもの
この縁起を説かれたのである
しかるに 智慧の有る者なら
縁起というこの道こそが
君の教説の枢要であると
解さないことがあるだろうか
このようであるから護主たる君を
讃嘆するための門として
どんな者でも縁起を説かれた
このこと以外に何を見出せようか
何であれ縁に依存しているもの
それらは本性に関して空である
説かれているこれよりも稀有なる
善き教授の方法など一体何があろうか
愚童たちがそれを捉えるなら
辺執の束縛を固くするのみである
賢こき者たちには戯論の網を
残りなく断ちきるための門である
この教説は他の者には見ることができない
教主と呼ぶに値するのは君だけなのである
あたかも狐たちを獅子と呼びかのように
他のものたちにはこの名は世辞に過ぎない
嗚呼 教主よ 嗚呼 救世者よ
嗚呼 最勝なる語り手よ 嗚呼 護主よ
縁起という善説を説かれたこの御方
教主よ 私は君を頂礼せん
利行を為す君は衆生たちを
癒すためにこそ説き給われた
教説の核心たる空性を確定する
そのための比類なき根拠を
縁起の真実は
対立しており不成立であると
そう見る者が君の密意を
一体どうして解せようか
君が空性を見る時には
縁起の意味で見るだろう
自性に関しては空でありつつも
作用を為し得ることには矛盾はない
これに逆転して見るのならば
空である限りは作用は不可能であり
作用を為せば空は無であることになり
断崖の底へと落ちてしまうだろう
それ故に君の説かれた教説において
縁起を見ることは善しと称えられる
それはまた何も全く無いことでもなく
本性によって有るからではない
依存しないものは空華の如くである
それ故何にも依らぬものは存在しない
それ自体で成立しているのならば
その成立が因縁に依るのは矛盾する
このことからも縁起しているもの
それ以外の如何なる法も存在しない
自性によっては空であるもの以外に
如何なる法も存在しないと説かれる
諸法に何らかの自性が有るのならば
自性を退けることなどできないので
涅槃を実現することは不可能となり
戯論寂滅もまた無いと説かれている
それ故に諸々の自性からは離れている
この獅子のことばを何度も繰り返し
賢者の群れに善く説かれたこのことに
一体誰が肩を並べることができようか
如何なる自性も存在していないことと
何らかのものに依存して起こること
この正しく一切を規定する両者こそが
矛盾なく両立することはいうまでもない
依存して起こるというこの根拠によって
辺見に依るべきでないというこのことを
正しく説かれた護り主たる君だからこそ
無上なる語り手と謂える因なのである
すべてはそれ自体では空である
これからこの結果が生じている
この二つの確定はそれぞれが
互いに損なわず補助しあっている
一体これよりも驚嘆すべきものがあるのだろうか
一体これよりも貴く希有なるものがあるのだろか
そしてそののことによって君を讃嘆するからこそ
讃嘆となるのであって それ以外ではないのである
漆黒の闇に囚われていることで
君に敵対しようとする者たちが
自性が無いというこのことばに
耐えられないのも無理はない
君の教えに愛蔵されている
縁起の教えをまもりながら
空性の獅子吼に耐えられない者
そのような者を私は不思議に思う
無自性へと導いてゆく門である
この無上なる縁起の名を聞いて
自性が有ると捉えるのならば
さてこの者は一体何をしようというのか
勝れた聖者たちが善く赴かれた
他には比べられないこの桟橋の
君を歓喜させる賢きこの道へと
どのような方法で導くべきなのだろう
無作為で何にも依存しない自性と
作為された依存している縁起とを
一体どのようにすれば同じ基体で
矛盾なく成立させられるだろうか
それ故に縁起しているものは何であれ
自性に関しては本初よりこのかた空である
然れどもそれとして顕現するが故にこそ
すべては幻の如しと説かれているのである
君が説かれた教説はどのように
如何なる反論を投げ掛けるとも
それが当てはまる隙を見出せない
このことにより善く怯えさせる
何のために説かれたのかと言えば
見えるものと見えないものに対し
増益し損減しているその理解を
永久に遠ざけるためなのである
君の語り口が比類なきことを
証明する論拠たる縁起という
この道それ自体により他の話も
量たるものだと確定が起こるだろう
如実に観じて善く説かれている
君の教えに従う者ならば
すべての破滅から遠く離れるだろう
すべての過失の根を断つからである
君の教えに背を向けて
どれほど努力しようとも
自ら過失を集める如くであろう
我見を固めるに過ぎないからである
嗚呼 賢者によってこの両者の
差異への理解が示される時
その時全身の骨の内部から
君をどうして敬わぬことがあろうか
君は多くのことを説かれたが
そのほんの僅かの各々の意味だけに
ただ何となく覚束ない確信をし
それを最勝なる楽の源とするのか
何たることか 我が心は痴に破れ
斯くの如き功徳溢れる集蘊を
永くも帰依処としながらも
その功徳の一部も知らなかったとは
それでも死神が口を開けて
いまだ命が途絶えてしまう前に
君を少し信解できるようになった
このことは賢劫だったと思えてくる
教主のなかでも縁起の教主であること
智慧のなかでも縁起の智慧であること
この二つは世界の覇者たる帝王の如く
群を抜き善く知る者は君であり他ではない
君が説かれたそのすべてのものが
縁起に関連しそれを意味している
それも涅槃させるためのものであり
寂静へ至らしめぬものなど君には無い
嗚呼 君が説かれたことが
傾けられた耳の道へと入ってゆき
彼らすべてを寂静へと導いてゆくだろうから
君の教えを護る者に敬わない者がいようか
あらゆる論難を打ち破り
先後対立することも空しくし
九生の二利を齎すものである
この教説に私は歓喜を覚える
このことのために 君は
時には御身をも 他のためには命をも
愛おしい親族をも 財産のすべてをも
無数の劫において何度も捨て給われた
君の功徳を見ることで
釣針に囚われた魚の如く
御心は導かれ説かれたこの法を
君から聞けなかったこの劣劫よ
その悼みの悲しみの力で
愛する我が子のために
母の心が徘徊するように
我が心も行き場を失うだろう
ここで君の言葉に思い馳せる時
君の相好の栄華は燃え盛るだろう
放たれた光明の網はすべてを囲繞し
彼の教主の梵音の旋律を奏でるだろう
これはこの如しと説かれたと思うなら
心に映されたその影像が現れるだけで
燃え盛る焔のなかに悶えてしまった
すべての苦しみを月光の如く癒すだろう
このように殊勝にして
善きこの教義に通じぬ者が
細かい雑草を茂らせる如く
如何なる時も混乱させてきた
この状態を見つめた後
私は多くの努力を重ねて
賢者を追従して君の密意を
繰り返し探求してきたのである
そして自派と他派との
多くの典籍を学べば学ぶ程
より一層疑念の網に囚われて
私の心は常に悶えていた
しかし君の無上なる乗の次第を
有と無の辺を断じることで
如実に釈すると授記された
龍樹の典籍というクムダの花園に
無垢に知る智の曼荼羅は拡げられ
教説の天空は遮られず動きだした
辺執という心の闇は取り除かれる
悪しき語り手の星雲を圧倒する
吉祥なるチャンドラの善き説の
澄明なる白光の環は照らされて
ラマの慈恩によって見えた時
私の心も休息を得たのであった
すべての活動のなかでも
説法の業こそ最勝のものである
そのなかでもまさにこれこそによってこそ
賢者はここから仏陀を追想すべきなのである
彼の教主に従い出離しながらも
勝者の教説を学ぶことに乏しくなく
瑜伽行に励もうと精進する比丘は
大仙たる彼をこのように敬服する
無上なる教主の教法に
出会えたこれも師の恩恵であるので
この善がまた残りなき衆生たちが
勝れた善知識に摂取される因たらんよう廻向する
利益を為すこの教説を最期有に
悪見の風邪に靡くこともなく
教説の思索を巡らせ教主への
信心を得て常に満たされんことを
縁って起こる実義を明らかにし給へる
牟尼の賢き教法に如何なる生を受けるとも
身体と命を抛つとも護持することに
刹那たりとも緩みなくならんことを
この最勝の導師が無量の苦行によって
一所懸命に成就し給へるこの教説を
如何なる方便によっても増大するような
考察によって昼夜を過すことできるように
清浄なる意楽でこの理趣へと励むなら
梵天や帝釈や世間の守護尊たちと
大黒天などの護法尊たちによっても
見放されずに常に支援されんことを
以上、仏世尊一切世間の大善知識たる無上なる釈尊に対して甚深なる縁起を説かれたことを通じての讃嘆・善説心髄というこは多聞の比丘ロサンタクペーペルがヒマラヤ地域の雪山の王者たるオデグンゲルのラショル寂静処レーディン、別名ナムパルゲルウェーリンにて識したものである。