2020.04.24

大祭・特別行事

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日本別院では、チベット仏教の伝統的な暦に則って各種の法要や大祭などを行なっております。

チベット仏教における縁日の意味

仏教の教祖、釈尊は、すべての生きとし生けるものが苦しんでいる姿に堪え難くなり、無上なる覚りを開こうと発心され、その後に六波羅蜜や四摂事などの菩薩行に励まれた、最後にブッダガヤの菩提樹の下でさとりを開いたと言われています。

釈尊の覚りとは、すべての煩悩を断じて、知るべき対象をすべてありのままに理解する「一切相智」のことを指しています。釈尊はこの「一切相智」の境地を人々に伝えるために、ベナレスで説法をはじめ、御歳八十八歳にクシナガルで涅槃に入るまで、さまざまな偉業を人々に示したといわれています。特に、すべての生きとし生けるものの願いを叶え、苦しみから解放するための手段であるところの「仏法」を説いたことこそが、釈尊の最も重要な業績です。

その仏法の要点とは、すべての生きものがより幸せになるために、「善業を積む」ということに尽きています。特に仏教における「善業」とは「一切衆生の幸せの原因となる行為」、それに対して「悪業」とは「一切衆生の苦しみの原因となる行為」であるとはっきりと定義されております。「業」というのは「行為・活動」のことで、それを分類すれば、身体で行なう行為・言葉で行なう行為・心で行なう行為の三つがあります。たとえば殺生をしたり泥棒をするのは、身体で行なう行為ですし、嘘をつくのは言葉で行なう行為、人を傷つけようするの気持ちをもつのは、心で行なう行為です。これらの行為を行なうとその行為を行なったことが、心のなかに蓄積され、それが種(原因・因)となり何らかの条件(縁)とともに芽を開き、わたしたちにとっての「幸せ」(楽)・「苦しみ」(苦)がもたらされるのです。ですので「善業を積む」ということは、「幸せの原因を貯蓄する」ということとほぼ同じと考えて構いません。

ひとくちに「善業を積む」といっても、同じ行為をすれば同じ業を積むことになるのか、というとそうではありません。ひとつの行為のなかにも大小の違いがあるとされています。行為の対象・行為の動機・行為の行われる時期によって行なった行為そのものに大きな違いがあでてきます。たとえば、同じひとつのパンを施しするという行為であっても、説法をしてくれる仏陀や菩薩やラマや仏道修行に励む僧侶に施しをする方が、他のものに与えるよりもその功徳は大きいと言われていますし、同じパンを野良犬や野良猫や鳥に施しをするときにも、その行為の動機として「一切衆生が仏の境地を得ますように」と思いながら施しをするのならば、その功徳はより大きいと謂われています。これは「田植え」をするのに似ており、よりよい田んぼに、よりよい気持ちで、よりよい時期に田植えをすることによって多くの収穫を得ることができるのと同じです。このことからも、善業や功徳を積む対象のことを仏教では「福田」と呼ぶのです。いずれにしても施しをしようと思う時に、その施しの対象に対して敬意をもって接することが大切です。

同じように、よりよい時期に田植えをするように、過去に仏陀や菩薩たちがさまざまな偉業を行なったことによって加持されている時や日時に善業を積むとより大きな功徳を積むことになると謂われています。このようなことから所謂「縁日」の日に功徳を積むと通常の日時に功徳を積むよりもより効果的であるということになっています。

私たち仏教徒にとって縁日のうちの一番大切なものは、釈尊の縁日にほかなりません。釈尊の縁日にはいろいろなものがありますが、チベット仏教の伝統に基づくと、

  1. 摩耶夫人受胎の日 蔵暦四月十五日
  2. 御誕生日 正月十五日
  3. 出家剃髪の日 四月八日
  4. 成道の日 四月十五日
  5. 初転法輪の日 六月四日
  6. 天界より降臨した日 九月二十二日
  7. 舎衛城の神変の日 正月朔日~十五日
  8. 涅槃に入られた日 四月十五日

という八つの縁日があります。これらのうち、日程が重なっているものと、近いものとをまとめ、1,8は日程が重なっているので、4の成道会にまとめ、3も日程が近いのでそこに纏められています。また2も7の神変大祭にまとめられ、「釈尊の四大祭」と謂われているのは、

  • 神変大祭 正月朔日~15日
  • サカダワ大祭 4月8日・15日
  • 初転法輪大祭 6月4日
  • 降臨大祭 9月22日

の四つの大祭となります。デプン・ゴマン学堂ではこれらの四つの大祭に加えて、ゴマン学堂の教理の教科書を作成したクンケン・ジャムヤンシェーパの御命日(2月15日)、デプン僧院の創立者ジャムヤンチュージェの御命日(4月18日)、デプン・ショトン祭(6月30日)、デプン・ルンブム祭(7月8日)、ゲルク派の宗祖ジェ・ツォンカパの命日、兜率五供養会(10月25日)などを伝統的な縁日とし、これらの日には大法要や伝統的なさまざまな行事が行われることとなっています。

これらの日以外にも、毎月8日・13, 14日・15日・29日・30日には善業を好む諸天たちが、この世界に降り、ひとびとが善業や悪業を積んでいるのを見ているとも謂われています。また密教の教えによれば、月の満ち欠けに従い、我々の身体のなかにある滴も上昇したり下降したりするとも謂われています。

経典には、こうした特別な縁日に行なった善業は普段の数千万倍の幸福な結果がもたらされると謂われています。また反対に悪業を積んでも普段の数千万倍の苦しみの結果がもたらされると謂われています。

それゆえに、チベットの人々はこのような縁日に、普段よりも慎重に生活し、なるべく多くの経典を唱えたり、お供えをしたり、五体投地をしたり、寺院に参拝し、お坊さんたちに食事の接待をしたりし、ひとつでもより多くの功徳を積むように努力しようとします。

チベット仏教のお祭りの本当の意味は「静かに自分をみつめ、将来幸せになるための善業を積むための時間」であることになります。たとえお寺参りなどが忙しくてできなくても、釈尊を追想し、みなさまもそういった「特別な時」を過されるとよいのではと思われます。



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