文殊師利大乗仏教会
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本日のことば
Today's Voice
本日の言葉
多くの仏典の言葉から、日々ひとつひとつの言葉に向き合えるためにいくつかの連載をしています
弥勒仏への悲讃
参学への道標
水の教え
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第17回
破壊と暴力が勝利することはない
阿修羅は、生まれながら人間よりも圧倒的な知性を持ち、堅固で特殊能力を有する神々の肉体をもっている。しかし常に他者との相対的な比較によってのみしか、自分の価値を見出すことができず、自分たちよりも権威や名誉のある者の存在に耐えられない。嫉妬から感じる不公平感は
2021.04.25
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第15回
釈尊が五蘊・十二処・十八界を教えた意向を知る
私たちが知るべきもの、知ろうとしているものには、集合して組成されているものかどうか、無常なものかどうか、ということで事物と常住者に分けることができ、それは有為法と無為法にあたり、、それらがどのようなものなのか、ということをここまでで見てきた
2021.04.14
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第16回
孤独を生きる狼たちの声を聞いてみる
背筋を伸ばして二つの足でまっすぐ自由に立って歩けるということは実に幸せなことである。足で立ち上がって、手を使って好きなことができる。どちらに行けばいいのか、どちらに行った方が良いのかを考え、行くべき道とそうでない道を区別し、行くべき道をもとめて真っ直ぐ進ん
2021.04.12
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第14回
物質でも精神でもないもの
すべての存在を常住なものと無常なものに分類し、無常なものを現象や事物と呼ぶが、この事物を分類すると、物質か精神かそれ以外のものであるとの三つに分類可能である。物質と精神についてはすでに説かれており、ここでは不相応行とは何かということについて、その代表的なも
2021.04.04
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第15回
孤立無援の飢餓にも差し込む甘露の光明
餓鬼と呼ばれる生物は、如何なる欲求も決して叶うことがない絶望の淵を彷徨っているものたちのことであり、私たちが幽霊・悪霊・怨霊・鬼・魔・化物・妖怪と神々や動物と区別して我々に危害を与える特殊な存在とみなしている衆生のことを指している。
2021.03.28
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第13回
求めるものに欺かれず正しく知るということ
知とは「対象を明らかにし知るもの」と定義され、闇のなかで燈明が静かに発光している時、そこに在るものが照らされ、姿が露らかになるように、知ろうとする対象を明らかにし、それを感じて受け取っていくもの、これが精神や知と呼ばれるものである。
2021.03.27
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第14回
地獄の沙汰は我々次第である
仏教の修行のはじまりは、死を思うことであり、死後悪趣に陥らないように正しく悪趣に対する嫌悪感や恐怖を抱かなければならないのであり、地獄の衆生のことを毎日考えなければいけないと、ナーガールジュナも説いている。
2021.03.17
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第12回
すべての感覚が拠り所としているものとは
物質には、外部物質・内部物質があるうち、その内部物質には、眼・耳・鼻・舌・身の五つがある、ということをここでは述べている。眼・耳・鼻・舌・身は、眼根・耳根・鼻根・舌根・身根、あるいは眼界・耳界・鼻界・舌界・身界と同義であり、それらは眼識・耳識・鼻識・舌識・
2021.03.13
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第13回
人間と人間界は神々や天国よりも価値がある
神々の暮らしは、人間に比べれば、随分と華やかで愉快なものである。人間から見たら羨ましい限りであるが、神々という特権階級に生まれた者たちは、実に幸福で快楽を思う存分享受できる。神々に生まれた場合に最も良いことのひとつには、身体も常にとても軽く、すこし退屈な気
2021.02.24
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第11回
触れて感じることのできるもの
触覚が対象としているものが触処であり、身根という皮下を走っている神経系の感覚の感触を分類すれば、触覚が対象に触れるだけで得られる地水火風の四大種の感触と、触覚が対象と接触している時間的変化によって得られる七種の大種所造の感触とに分類することができる。
2021.02.07
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第12回
無限の価値のある人身を維持しようとすること
仏教とは解脱と一切相智である決定勝の境位を実現することを生の目的とすべきであると考える宗教であるが、その境位を実現するための土台であり、環境となる有暇具足の人身を繰り返し確実に得たいと思い、そのための努力をし、それを得ることが解脱を得るまでの暫定的な生の目
2021.01.27
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第10回
最勝なる美味とはどんな味なのか
舌識すなわち味覚が対象とするものが味処であり、これを分類すれば、甘味・醋味・醎味・辛味・苦味・淡味の六種がある。醋味とは酸味のことであり、醎味とは塩味のことであり、淡味とは味が薄いということではなく渋味のことであり、この味処の六味への分類が根本分類となる。
2021.01.24
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第11回
慈しみの灯明がある場所で再会するということ
私たちはどんな宝石よりも入手困難な高価で貴重な人身というかけがえのない宝物を授かって生まれてきた。この身体は脆く壊れやすいが、非常に便利なものであり、様々な使途に活用できる。自分の身体だけでできないことであっても、他人の身体の助けを借りてさらに活動範囲を広
2021.01.20
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第9回
煩悩を鎮め善を活性化する薫の君
戒律の香りは決して衆生を害することなく、香の成分は善なる営みを活性化し、常に慈悲心に満ちすべての煩悩を鎮める香りにほかならない。私たちはいつの日か佇んでいるだけで衆生を救済する如来の身体の香りを実現しなければならない。
2021.01.15
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第10回
人間の皮を着ただけの臆病な羊たち
地獄に生まれたこともあった。神々たちと一緒に享楽的に過ごした時もあった。何を食べても満足できず吐き出すこともあった。生まれた時から武器をとり殺戮しあう戦乱の時もあった。音も聞こえない言葉も発せられない狭い岩と岩に挟まれてそのまま死んだこともあった。獲物を探
2021.01.12
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第8回
震える他者の身体、記憶に残響する言葉
疲れて眠っている時以外、私たちは常に何か様々なものを見ているし、様々な音を聞いている。聞こえてくるすべての音は、何かの振動であり、物質が振動し、その振動が他のものを振動させ、その波紋が耳のなかの薄い膜へと伝わってきて聴取したものであり、これを音とか声といい
2021.01.11
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第9回
寂静なる年末年始を過ごすために
弥勒仏が具足する如来の不共の功徳へと思いを寄せ、ここまでの詩偈で礼拝をしたが、本偈はそれを結び、次の偈から、自らの不徳を嘆き悲しみつつ告白するという形で弥勒仏に対する請願と礼讃とが続いていく。
2020.12.29
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第7回
如来の身体の色彩と輪郭を学ぶ
眼識が捉えるものが色処であり、これを分類すれば、色彩である顕色と形状である形色の二種がある。これを更に細分すれば、色調たる顕色には、青黄赤白の四根本顕色、すなわち四原色と、雲煙、塵霧・明暗・陰陽の八支分顕色、すなわち派生色/特色とで合計十二種があり、一方形
2020.12.26
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第8回
この世界が歓喜の微笑で満ち溢れるため
本偈は弥勒仏のもつ功徳を礼讃して表現し、弥勒仏が私たちに示している救済が一体どのようなものなのか、ということを具体的に説いているものである。
2020.12.12
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第6回
物質の所在と価値という幻想
多くの物質に囲まれ、存在数が少ない物質を希少な物質であると考え、たとえば砂糖の結晶とダイヤモンドは同じ組成構造をしているが、ダイヤモンドは価値があるものであり、砂糖の塊は料理にくらいしか使えないものであり、砂糖の塊のために入念に泥棒をする計画などを企てよう
2020.12.04
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