文殊師利大乗仏教会
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本日のことば
Today's Voice
本日の言葉
多くの仏典の言葉から、日々ひとつひとつの言葉に向き合えるためにいくつかの連載をしています
弥勒仏への悲讃
参学への道標
水の教え
グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第1回
巨大な樹木のような
深い森のなかを歩いていくと巨大な樹に出逢うことがある。砂漠化した荒野を歩いていくと巨大な樹に出逢うことがある。最初は遠くからそれを見かけただけであるが、不思議にその樹に引き寄せられていく。
2022.08.17
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第32回
実体法に関するさまざまな遍充関係
ある基体が有るならばその有の証解、 無い場合にはその無の証解のすべて、 その対立とその別異者のそのすべて、 否定基体をもつ法である場合には、 所遍・関係者・依存者のすべて、 事物であれば因・果のそのすべて、 それがそれ自体たる諸法である場合は その抽象との
2022.08.12
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第31回
汝は汝であり、汝でないものは汝ではない。
この実体法というものとそれに準ずるものは、 汝は汝であり、汝でないものは汝ではない。 自体である抽象法とそれに準ずるものは、 汝は汝であり、汝でないものも汝である。 自体でない抽象法とそれに準ずるものとは、 汝は汝でなく、汝ではなくとも汝ではない、 このよ
2022.08.03
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第30回
確定してゆかねばならない規定の全体
確定してゆかねばならない規定は 実体法と抽象法 対立者と関係者 普遍と特殊 定義と所定義 因果 有と無の証解 肯定・否定の反定 肯定否定遍充、否定基体 計算法 先後拘束法 循環式の十三項目である。 本書は、有法という分類の基盤となるものが何であり、それを分
2022.08.02
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第29回
悪業・無記・積み重ねるもの
不善の代表的なものは、十善の逆の業である十不善であるが、殺生・偸盗・邪婬という三つの身不善業すなわち悪しき行動、妄語・綺語・悪口・両舌、の四つの語不善業、すなわち悪しき言動、慳貪・瞋恚・邪見の三つの意不善業、すなわち悪しき考えである。これがまずは悪の代表者
2022.07.25
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第28回
衆生利益のため精進すべき善の全体像
意に沿った結果をもたらすことを明確に予告可能なものを善というが、具体的に善であると言われるものにどのようなものがあるのか、ということをここでは列挙している。
2022.07.24
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第27回
対象の分類法である善悪の基準を知る
善悪は、誰にとっても日常の最大の関心事ではあるし、誰しもが善悪とはこういうものだという固定観念をもっている。しかし仏教の教義では、善悪はどうやって区別するのか、そもそも何を善として、何を不善すなわち悪として、何を善でも悪でもない中立的なものとするのか、とい
2022.07.20
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・最終回
大粒の雨を降らせて
このように行じて果を成就する時 三世の勝者の仏身と彼の仏国土と 眷属 活動 寿命 請願の一切を ひとつに集めた一切のこの行法を 賢く巧みに行じ円満したその後に 永く思いを込めたこの衆生たちへ 正法の甘露で大粒の雨を降らせて 一刹那にして私が救いだすように
2022.04.27
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第37回
天空を飛び回る鳳凰のように
勝子として聖者地を学んでゆく時に 三世の勇者たちのいるすべての地を ひとつずつ私は訪ねて巡ってゆこう 鳥たちの路を飛び回る鳳凰のように 他の勝子たちにも量り得ないほどの 広大極まりない所知の要のすべてを 淀みなく知る智慧を滞りなく発動し 広大なる行法の源流
2022.04.26
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第36回
不屈の孤高の勇者として
私たちが菩薩として生きる決意をしても、真実を現観し聖者となるまでは、無我の真実を現観することもできないし、苦しみの原因である煩悩を断じることもできない。どんな苦難に遭遇しようとも、如来が示した真実から目を背けることなく、そこに涅槃寂静という救済があることへ
2022.04.25
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第35回
暴力や恐怖の連鎖ではなく、愛と人道的な救済の連鎖を
遠い寒い外国の人たちが争っているのではなく、銃をもって人を殺している人たちも、殺されそうになり怒りと悲しみに怯えている人たちも、私たちと同じ幸せを望み、苦しみを望まない人たちである、ということをまずは、いま思い直してみる必要がある。この混乱を終息させるため
2022.02.26
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第35回
闇を照らして輝く沙門の荘厳とは
釈尊の教えに従い、出家した梵行の沙門たち、沙弥・沙弥尼、式叉摩那、比丘、比丘尼たちは、在家の俗人が纏うような宝飾品を身につけて身を飾りたててはならない。彼らが身に着けるものは、「沙門の荘厳」と呼ばれる十七種のこの娑婆世界で最も美しい宝飾品であり、その宝飾品
2022.02.14
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第34回
如来が防衛する難攻不落の砦
『現観荘厳論』所収の四十六事例のうち後半の二十三の事例は逆縁が存在している訳ではないが、順縁が整わず功徳が生起し得ない状況となっているものであり、これには二十三種があり、これも「魔の仕業」と呼ばれるものである。
2022.02.13
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第33回
破滅をもたらす魔物たちの仕業
菩薩たらんとする者は、どんな時も如来の教法を決して見失うべきではない。常に如来の教法こそ私たちが歩むべき一切相智へと導く道であり、如来の示したこの道だけを常に畏敬の抱きつつ、泰然と歩んでゆかなくてはならない。この旅路は長く、三阿僧祇劫という長期間の長旅だが
2022.01.30
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第32回
魔者たちとは交流しない
仏教とはそもそもひとりで実践するような類いのものではない。時代・民族・言語・宗教・社会など様々に異なる背景をもった人々が実践しなければならないのが釈尊の教えである。
2022.01.17
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第31回
善き友に出会えるためにできること
仏教とはそもそもひとりで実践するような類いのものではない。時代・民族・言語・宗教・社会など様々に異なる背景をもった人々が実践しなければならないのが釈尊の教えである。
2022.01.16
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第30回
やわらかい光の筋を辿って
すべての生きとしいけるものたちの苦しみを堰き止めるため、私たちは菩薩行を実践して仏の境地を目指してゆく。私たちが実現したいこと、それはここにいるすべての衆生たちの苦しみから完全に解放することにある。しかしいまの私たちはまだ駆け出しの菩薩の真似事をしているの
2022.01.12
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第29回
菩薩衆の末席に在り続けるため
一切衆生を利益するために、無上正等覚を得んと心に決めた菩薩たちは、梵行の菩薩として菩提にいたるその時まで、六波羅蜜と四摂事にまとめられる菩薩行を常に実践する。彼らはすべての衆生に深い慈悲を心に抱いているからこそ、衆生たちの心の闇によってどんな危害を加えられ
2021.12.21
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第28回
三界すべてに薫る衣を羽織る者たちに
一切衆生を利益するということは、彼らが迷い悶え苦しむことがないようになることに、私たちひとりひとりが積極的に貢献するということである。しかしいまの私たちには、すべての衆生の幸福に直接関与することができる能力はない。
2021.12.14
クンケン・ジャムヤンシェーパ『仏教論理学概論・正理蔵』を読む・第26回
華咲き乱れる一切法の分類
所知などの一切法をどのように分類するのか、というのには、事物・常住者や有為法・無為法にあたる実在・非実在などの分類があり、本詩篇はこれまで、事物・常住者の下位項目ならびに有為法・無畏法の項目や五蘊・十二処・十八界を説明してきたが、ここではそれらのすべての法
2021.12.09
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