文殊師利大乗仏教会
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本日のことば
Today's Voice
本日の言葉
多くの仏典の言葉から、日々ひとつひとつの言葉に向き合えるためにいくつかの連載をしています
弥勒仏への悲讃
参学への道標
水の教え
釈尊の四大節:神変祈願大祭
春のやさしい慈悲の光だけで語りかけてくれる時に
本日はチベット暦の正月11日。水卯歳の今年11日は本日3月2日・3日の二日間ある。正月8日から世界的なパンデミックでこの2年間開催することができなくなっていた「神変祈願大祭」(チョトゥル・モンラムチェンモ)が本山のあるムンドゴッドではデプン大僧院では無事に
2023.03.02
グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第20回
苦々しい人間でも甘く薫ることができようになる
「千振」(センブリ)というリンドウ科センブリ属の植物は、その全体に苦味があり、それを千回煎じたとしてもまだ苦味が消えない、と言われるものである。千振の別名は「当薬」ともいい、「当に薬というのに相応しいほど苦い」ということからその名前がついている。
2023.01.26
グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第19回
枯れてゆく樹木が教えてくれるもの
しっかりと年輪を重ねて生えている大木でもその時が来れば枯れて朽ちて斃れていく。どんなに素晴らしい神々のなかでも最高の境地である有頂天の境地に生まれていることがあっても、いつかその時が来れば死んでしまい、再び決して抗うことのできない悪趣へと堕ちていってしまう
2023.01.25
グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第18回
華やかではなくても芯のある樹木のように
私たちがいま如何なる時を生きており、何処にいて、これからどのようにしたらいいのか、ということは私たちの最大の関心事である。ある地域やある家族に人間として生まれてきて、これからこの人生をどのように過ごしたらいいのか、そしてどのように死んでいくべきなのか、この
2023.01.24
グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第17回
布施と布施の功徳を正しく理解する
「布施」とは、贈与したいという善なる意思のことであり、その贈与の意思をもちながら行う行動や言動を行なっている時の意思もまた布施であるが、贈与行為や言動そのものは布施ではないことには注意が必要である。
2022.11.16
グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第16回
いかなる活動も無駄になることはない
私たちは毎日さまざまに動いている。何かの動きをするために意志ははたらき、思惑通りにならないとしても、何かその動きの結果を追い求めて生きている。他者に好意的な結果をもたらすために行動に移すと他者にその結果をもたらすことができ、逆に他者を不幸にするために何か悪
2022.10.09
グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第15回
結果の如何はその原因に因っている
自分たちが幸せになりたい、いま住んでいる自分の周りの人がもっと好ましい人間であってほしい、いまのこの社会や周りの環境がもっとよくなって欲しい、そう望む限り、私たちは他の生物が好ましいと思う何か役に立つことをするか、他の生物が苦しむようなことをしないようにす
2022.09.27
グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第14回
三宝に帰依する正しい仏教徒が心がけること
解脱と一切相智を求める仏教徒が帰依すべき対象は、仏法僧の三宝だけであって、それ以外の対象を帰依の対象としてすべきではない。梵天や自在天といった世間の神々、人間の権力者や権威のある者、亡霊や餓鬼や動物など実態もよく分からない生物たち、これらは私たち仏教徒が頼
2022.09.25
グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第13回
三帰依という知性の大木に
「仏教徒」と言えるためには、「仏法僧の三宝に帰依している」ということが必須条件であるので、きちんと仏法僧の三宝に帰依していない、あるいはできていない場合には所謂「自称・仏教徒」というだけであり、本当の「仏教徒」とは言えない。
2022.09.25
グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第12回
毒性があっても出来ることはある
毒の種子から毒の実が生えてくるのが当然であるように、不善から起こるものは苦という結果でしかない。何故ならば不善・悪とは苦果を生じさせる業のことであるからである。
2022.09.19
グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第11回
疲れない処刑人の処刑を待っているということ
木を切り倒して切り分けて小刻みにする 木樵の人たちでさえすぐに疲れてしまう そんな仕事を何劫も続けているのに 地獄の処刑人が疲れることなどはない 11 私たちがここで死んでゆき、地獄や餓鬼や畜生へ生まれてしまうのならば、自分たちが現在行なってきている罪業の
2022.09.15
グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第10回
もう戻れない別れの意味を感じて
私たちは一人でここに生まれてきて、一人ここで死んでゆく。出逢いがあれば、別れがあり、どんな素晴らしい出逢いでも、それは別れの時を迎えなくてはならない。落葉が元についていた場所に戻ることもないように、私たちがどんなに仲良くし共に楽しい時を過ごしていたとしても
2022.09.13
グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第9回
移ろいゆく時に立つ樹のように
仏教を実践するための暇とゆとりに恵まれた有暇具足の人身を得ていても、この生をいま活用しなければ、ここに永遠に留ることができるようなものではない。すべては移ろいゆき、無常であり、一瞬たりとも時の流れを止めることなどできないし、時の流れを逆転してやりなおすこと
2022.09.10
グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第8回
毒ではなく甘い果実を
マンゴー(菴摩羅)の果実が獲れるマンゴーの樹はウルシ科に属する樹木である。ウルシ科の樹木には、マンゴーやピスタチオやカシューナッツなどの食用の果実をつけるものもあるが、ツタウルシやヤマハゼなど食用では使えない種類のものの方が多くある。ウルシ科の植物は、通常
2022.09.09
グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第7回
マラヤ山の白檀のように薫る私たち
この世界のなかには最勝なる山であるマラヤ山(摩羅耶山・牛頭山)という山があり、その麓には、純白色をした栴檀の樹が生えており、この栴檀のことを「牛頭栴檀」というが、その樹は根も芽も葉も茎もすべて、甘美な香りを漂わせている。この樹木の香りは、心を落ち着かせ、病
2022.08.31
グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第6回
棘や毒は不要なものである
棘があるものや毒がある樹木など 必要ないのにこの地上には溢れている ゆとりがなく悪趣へ生まれた者は この大地の砂の数のように無数にいる 6 私たちはいま仏道修行をするのに相応しいゆとりのある環境に生まれている。このゆとりは八つに分類できるものであり、それを
2022.08.29
グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第5回
新芽と水滴
きちんとした指導者につき、ちゃんと学ぶためには、私たち弟子の方もよい学生、よい弟子であろうとすることが大切である。正しい弟子であるためには、偏見や主義・主張に陥らず、いつも公明正大で、客観的態度をもっていることであり、指導者たちが教えてくれることを自分で実
2022.08.28
グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第4回
畏敬の念がこそが人を成長させる
何かを学ぶため、きちんとした指導者につき、ちゃんと学ぶためには、私たち弟子の方もよい学生、よい弟子であろうとすることが大切である。
2022.08.27
グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第3回
すべての願いを叶えてくれる樹木の王のように
カダム派の祖ポトワは、これまでずっと地獄や畜生などで迷い続けてきた人間が、いきなりこの人間の境涯に生まれてきて、その生まれたばかりの状態では、これからどうしたらよいのか分からないのは当然である、と説いている。
2022.08.25
グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第2回
木漏れ日の射す劇場で
深い森のなかを歩いていくと、少しだけ開けた場所へと辿りつく。そこはよく陽が当たる場所であり、見渡しも良く、空の面積も広い。木漏れ日だけしか浴びていない時には感じられなかった清々しさもあり、古く朽ちた大木が横たわっていれば、すこしそこに座ってみたいという気持
2022.08.18
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