文殊師利大乗仏教会
𝕏
新規登録
会員ログイン
新規登録
ログイン
GOMANG
デプン・ゴマン学堂
VOICE
仏の教えを聞く
JAPAN
日本での活動
CIRCLE
参加する
MEMBERS
会員限定コンテンツ
STORE
各種お申し込み
E
GOMANG
デプン・ゴマン学堂
VOICE
仏の教えを聞く
JAPAN
日本での活動
CIRCLE
学ぶ・参加する
STORE
各種お申し込み
MEMBERS
会員限定コンテンツ
VOICE
>
ジェ・ツォンカパ
>
弥勒仏への悲讃
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第1回
絶望による悲鳴・未来仏への讃歌
これから読んでいきたい、『神々とともに一切の世間の唯一の救済主・弥勒勝者に対する悲鳴による讃・梵天の宝冠』と題されたこの新しい詩篇は、ゲルク派の宗祖ジェ・ツォンカパ・ロサンタクパがジンチの弥勒殿を数人の弟子たちとともに、すべての私財を擲って
2020.10.14
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第2回
いまもう既に如来の代理人は存在する
如来を示す十号に「師」(śāstā)「天人師」というのがあり、これは釈尊をはじめとする諸仏は私たち人類のために説法をしてくれる存在であるだけでなく、神々たちにとっても師でもあるということである。
2020.10.21
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第3回
二百八十二億人の明日へ
今日という名で呼ばれる現在を私たちは生きているが、これはいつも必ず明日という未来へと向かいつつあるものである。眠りから目醒め、今日という日を迎えた時、明日へと向かう今日という日をどう過ごそうかなと静かに考えてみる。一日というこの現象は、壮大
2020.10.28
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第4回
無敵の慈愛の軍陣にいるということ
暴力と狂気、殺戮や略奪、これらは私たち人類が歩んできた暗黒の歴史である。今日の日本では、その光景を私たちはあまり眼にすることがなくなったが、少し前までは私たちが住んでいるこの場所にも殺されたばかりの赤く黒い血が滴る屍体が転がっていた。
2020.11.05
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第5回
稲妻の閃光・如来の十力
地上に咲き乱れる若き花へ落雷することで、どんなに威勢よく咲いていた花もすべて倒れてしまうように、どんな凶悪な魔の軍隊であれ、弥勒仏の無礙なる智慧の力で制圧され、敗北してしまう。その智慧は仏にしかない十の強大なる力を持っているからであり、その
2020.11.13
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第6回
人間の獅子であるということ
いついかなる時であれ、如来が言葉を発する時には、すべての衆生たちの中心に位置し、すべての煩悩を断じ尽くしすべての証解を究竟する法輪を転じる
2020.11.20
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第7回
最勝なる法輪へと集うものたち
チベットの僧院の仏殿の正面の屋根には法輪の荘厳がなされている。その法輪の両脇にはいつも二頭のつがいの鹿が静かに佇んでいる。鹿は普段は用心深い生き物であるが、この二頭のつがいの鹿は、決して眼を閉じることもなく、如来の言葉へ耳を澄ませ、耳を傾け
2020.11.30
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第8回
この世界が歓喜の微笑で満ち溢れるため
本偈は弥勒仏のもつ功徳を礼讃して表現し、弥勒仏が私たちに示している救済が一体どのようなものなのか、ということを具体的に説いているものである。
2020.12.12
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第9回
寂静なる年末年始を過ごすために
弥勒仏が具足する如来の不共の功徳へと思いを寄せ、ここまでの詩偈で礼拝をしたが、本偈はそれを結び、次の偈から、自らの不徳を嘆き悲しみつつ告白するという形で弥勒仏に対する請願と礼讃とが続いていく。
2020.12.29
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第10回
人間の皮を着ただけの臆病な羊たち
地獄に生まれたこともあった。神々たちと一緒に享楽的に過ごした時もあった。何を食べても満足できず吐き出すこともあった。生まれた時から武器をとり殺戮しあう戦乱の時もあった。音も聞こえない言葉も発せられない狭い岩と岩に挟まれてそのまま死んだことも
2021.01.12
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第11回
慈しみの灯明がある場所で再会するということ
私たちはどんな宝石よりも入手困難な高価で貴重な人身というかけがえのない宝物を授かって生まれてきた。この身体は脆く壊れやすいが、非常に便利なものであり、様々な使途に活用できる。自分の身体だけでできないことであっても、他人の身体の助けを借りてさ
2021.01.20
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第12回
無限の価値のある人身を維持しようとすること
仏教とは解脱と一切相智である決定勝の境位を実現することを生の目的とすべきであると考える宗教であるが、その境位を実現するための土台であり、環境となる有暇具足の人身を繰り返し確実に得たいと思い、そのための努力をし、それを得ることが解脱を得るまで
2021.01.27
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第13回
人間と人間界は神々や天国よりも価値がある
神々の暮らしは、人間に比べれば、随分と華やかで愉快なものである。人間から見たら羨ましい限りであるが、神々という特権階級に生まれた者たちは、実に幸福で快楽を思う存分享受できる。神々に生まれた場合に最も良いことのひとつには、身体も常にとても軽く
2021.02.24
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第14回
地獄の沙汰は我々次第である
仏教の修行のはじまりは、死を思うことであり、死後悪趣に陥らないように正しく悪趣に対する嫌悪感や恐怖を抱かなければならないのであり、地獄の衆生のことを毎日考えなければいけないと、ナーガールジュナも説いている。
2021.03.17
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第15回
孤立無援の飢餓にも差し込む甘露の光明
餓鬼と呼ばれる生物は、如何なる欲求も決して叶うことがない絶望の淵を彷徨っているものたちのことであり、私たちが幽霊・悪霊・怨霊・鬼・魔・化物・妖怪と神々や動物と区別して我々に危害を与える特殊な存在とみなしている衆生のことを指している。
2021.03.28
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第16回
孤独を生きる狼たちの声を聞いてみる
背筋を伸ばして二つの足でまっすぐ自由に立って歩けるということは実に幸せなことである。足で立ち上がって、手を使って好きなことができる。どちらに行けばいいのか、どちらに行った方が良いのかを考え、行くべき道とそうでない道を区別し、行くべき道をもと
2021.04.12
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第17回
破壊と暴力が勝利することはない
阿修羅は、生まれながら人間よりも圧倒的な知性を持ち、堅固で特殊能力を有する神々の肉体をもっている。しかし常に他者との相対的な比較によってのみしか、自分の価値を見出すことができず、自分たちよりも権威や名誉のある者の存在に耐えられない。嫉妬から
2021.04.25
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第18回
崖の淵に立って考える、これからのこと
私たちは偶々運が良くいまは人間に生まれることができている。人間はお互いに思いやりをもち、他者を愛し、自分よりも他者を大切にして善業を積むことができる。できるだけ他の生物に苦しみがもたらされないように、そのために様々な工夫をして生きることがで
2021.08.07
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第19回
苦しみの容器に閉じ込められた人間
人間は、生まれながらにして地獄・餓鬼・畜生・修羅といった悪趣の衆生たちが味わっている苦痛に全面的に悩まされている訳ではないが、人間には悪趣の苦しみのそのすべてが存在している。
2021.08.15
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第20回
すべての欲望が叶う時に訪れる悲劇
人生が終わりを告げる時、すべてのものを捨て、すべての人に別れを告げる。眠るように静かに死んでゆき、多少なりとも積んできた善業を頼りに、来世はきっといいことがあるだろう、そう思って死んでゆく。見えていたものは見えなくなり、聞こえていたものは聞
2021.08.28
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第21回
見知らぬ惑星に生まれるのか、地球上の人類でいるのか
いまの私たち人間が住んでいる欲界の神々とは、私たちが通常望んでいるすべての希望を実現したものである。しかし彼らは欲望をすべて断ち切ったわけでもなく、欲望がある限り、それは永遠に満たされることはなく、次から次へと欲望の対象を追い求めていかなく
2021.09.07
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第22回
溺れる私たちの最期の希望
人間や神々に生まれるということは、生まれつき幸せが多い境涯に生まれる、という大変恵まれた環境を得ているということである。私たち人間は家畜として飼育されることもないし、鞭で打たれて曲芸をしなくてはいけない訳ではない。
2021.09.16
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第23回
記憶にない罪状で囚われた私たちのことを
貪欲の泥に沈んでしまい解脱道から逸れている 無明の深い闇のなか 智慧の眼を持っていない 戯論により逮捕されて輪廻の監獄に監禁される 業の拷問を受け続けている私 君の大悲の所依 27 私たちは決して思い通りならない人生を生きている。幸せを求め
2021.09.21
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第24回
彗星が流れていく方へと
恐るべき輪廻の断崖に墜ちないように 無垢な志をもち聞法を繰り返してきた 真偽を量るため清浄な道理の力をかり 無限の善説の了義・未了義の何れかと 他者に頼らなくても如実に峻別できる 賢者の境地を得なくてはならないのに 然れども勝者の微細な意趣
2021.10.05
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第25回
客人として迎えてくださる やさしさの君
勝者と勝子の御前で五明処の 海原に幾度も生を受けてきた 聞法を繰返し 習気は覚醒する 衆生に賢道を示す君が唯一の眼 過去の賢者たちにも見放されてきた 何方へ向かうべきなのかも判らない 寄る辺なくここにいま迷い込んだ私 大慈の君が客人として迎
2021.10.16
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第26回
彼方へ辿り着けない私たちがいまできること
この地上にも、兜率天の宮殿からは弥勒仏の大慈のやさしい眼差はいつも降り注いでいる。私たちがどんなに酷い態度でいたとしても、どんなに爭いあっていても、そのやさしい光は決して途切れることはない。かつて無着のように生まれながらにして仏法興隆の大任
2021.10.29
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第27回
やさしさの使徒であり続けるため
諸尊に喜んでいただけるようにする。如来は衆生を導く指導者であり、救済者である。だからこそ、彼らに私たちは、これから先どんな場所に転生しようとも、どんな境涯を受けるとも、彼らの偉大なる活動が行われるその場に近づけるように、彼らを礼拝し、心づく
2021.11.21
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第28回
三界すべてに薫る衣を羽織る者たちに
一切衆生を利益するということは、彼らが迷い悶え苦しむことがないようになることに、私たちひとりひとりが積極的に貢献するということである。しかしいまの私たちには、すべての衆生の幸福に直接関与することができる能力はない。
2021.12.14
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第29回
菩薩衆の末席に在り続けるため
一切衆生を利益するために、無上正等覚を得んと心に決めた菩薩たちは、梵行の菩薩として菩提にいたるその時まで、六波羅蜜と四摂事にまとめられる菩薩行を常に実践する。彼らはすべての衆生に深い慈悲を心に抱いているからこそ、衆生たちの心の闇によってどん
2021.12.21
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第30回
やわらかい光の筋を辿って
すべての生きとしいけるものたちの苦しみを堰き止めるため、私たちは菩薩行を実践して仏の境地を目指してゆく。私たちが実現したいこと、それはここにいるすべての衆生たちの苦しみから完全に解放することにある。しかしいまの私たちはまだ駆け出しの菩薩の真
2022.01.12
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第31回
善き友に出会えるためにできること
仏教とはそもそもひとりで実践するような類いのものではない。時代・民族・言語・宗教・社会など様々に異なる背景をもった人々が実践しなければならないのが釈尊の教えである。
2022.01.16
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第32回
魔者たちとは交流しない
仏教とはそもそもひとりで実践するような類いのものではない。時代・民族・言語・宗教・社会など様々に異なる背景をもった人々が実践しなければならないのが釈尊の教えである。
2022.01.17
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第33回
破滅をもたらす魔物たちの仕業
菩薩たらんとする者は、どんな時も如来の教法を決して見失うべきではない。常に如来の教法こそ私たちが歩むべき一切相智へと導く道であり、如来の示したこの道だけを常に畏敬の抱きつつ、泰然と歩んでゆかなくてはならない。この旅路は長く、三阿僧祇劫という
2022.01.30
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第34回
如来が防衛する難攻不落の砦
『現観荘厳論』所収の四十六事例のうち後半の二十三の事例は逆縁が存在している訳ではないが、順縁が整わず功徳が生起し得ない状況となっているものであり、これには二十三種があり、これも「魔の仕業」と呼ばれるものである。
2022.02.13
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第35回
闇を照らして輝く沙門の荘厳とは
釈尊の教えに従い、出家した梵行の沙門たち、沙弥・沙弥尼、式叉摩那、比丘、比丘尼たちは、在家の俗人が纏うような宝飾品を身につけて身を飾りたててはならない。彼らが身に着けるものは、「沙門の荘厳」と呼ばれる十七種のこの娑婆世界で最も美しい宝飾品で
2022.02.14
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第35回
暴力や恐怖の連鎖ではなく、愛と人道的な救済の連鎖を
遠い寒い外国の人たちが争っているのではなく、銃をもって人を殺している人たちも、殺されそうになり怒りと悲しみに怯えている人たちも、私たちと同じ幸せを望み、苦しみを望まない人たちである、ということをまずは、いま思い直してみる必要がある。この混乱
2022.02.26
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第36回
不屈の孤高の勇者として
私たちが菩薩として生きる決意をしても、真実を現観し聖者となるまでは、無我の真実を現観することもできないし、苦しみの原因である煩悩を断じることもできない。どんな苦難に遭遇しようとも、如来が示した真実から目を背けることなく、そこに涅槃寂静という
2022.04.25
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第37回
天空を飛び回る鳳凰のように
勝子として聖者地を学んでゆく時に 三世の勇者たちのいるすべての地を ひとつずつ私は訪ねて巡ってゆこう 鳥たちの路を飛び回る鳳凰のように 他の勝子たちにも量り得ないほどの 広大極まりない所知の要のすべてを 淀みなく知る智慧を滞りなく発動し 広
2022.04.26
ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・最終回
大粒の雨を降らせて
このように行じて果を成就する時 三世の勝者の仏身と彼の仏国土と 眷属 活動 寿命 請願の一切を ひとつに集めた一切のこの行法を 賢く巧みに行じ円満したその後に 永く思いを込めたこの衆生たちへ 正法の甘露で大粒の雨を降らせて 一刹那にして私が
2022.04.27
VOICE
仏教のことば
新着情報
本日のことば
釈尊の行状とその教法
日常読誦経典
ジェ・ツォンカパ小品集
参学への道標
仏教論理学概論
ナーガールジュナ
アールヤデーヴァ
アサンガ
ヴァスバンドゥ
ジェ・ツォンカパ・ロサンタクパ
釈迦に対する讃・加持近入
仏世尊説甚深縁起讚 善説心髄
弥勒悲讃・梵天の宝冠
回想・自らを語る
道三種枢要
功徳の基盤
菩提道次第略抄
初中後至善祈願
了義未了義判別論・善説心髄
三士菩提道次第広論・廻向文
三士菩提道次第広論
クンケン・ジャムヤンシェーパ
『学説規定摩尼宝鬘』
『地道規定三乗麗厳』
グンタン・クンチョク・テンペードンメ
水の教え
自他等換修習法和訳
無常修習法
ダライ・ラマ法王14世テンジン・ギャツォ