文殊師利大乗仏教会
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参学への道標
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第1回
すべての学問は文殊菩薩を出自としている
仏教を学ぶ知的な生活は、文殊菩薩と無関係ではない。宗祖ジェ・ツォンカパや地獄の主である閻魔大王を戦かせる怖畏金剛もまた文殊菩薩の忿怒形である。まずは彼らを一体のものとして観想し、彼ら以外にはこの輪廻から救済してくれる者はこの世にはいない、と
2020.10.19
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第2回
未来無限の衆生のために学ぶ
仏教を学ぶことの目的は、暫定的な目的である増上生と究極の目的である決定勝の二つしかない。増上生とは死後に人天の善趣へと転生することであるが、これは究極的な目的である決定勝、すなわち解脱と一切相智の境位を獲得するため、暫定的に善趣へと転生し学
2020.10.22
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第3回
私たちはいまここでどう生きているのか
現世利益を目的としている世間の実学は、学問に志して、学問を追求し、学問を極め、その成果を活用する場所や時期に限定がある。これはおそらく実学というものが、あくまでも社会的なものであり、他者との比較による相対的価値で評価されるものだからだろう。
2020.11.02
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第4回
出世間の絶妙な味わいの本質とは
デプン僧院の大集会殿(デプン・ツォクチェン)では、ゴマン学堂とロセルリン学堂の両方の僧侶たちが集まり、早朝からマンジャ(大法要)が行われる。マンジャで支給されるバター茶は、バターの濃度も高く、発酵度の高い茶葉を使っているから、薄紅色のバター
2020.11.07
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第5回
のんびりと優雅に法縁を紡ぐ
仏教を学ぶ上で何よりも大切なことは、自分と釈尊との関係をきちんと作る、ということであろう。この教えは釈尊に由来するものであり、私の先生は釈尊である、私の師は釈尊である、こういう問題に対して釈尊は何と説かれているのだろうか、釈尊はこう説かれて
2020.11.16
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第6回
どんな悪い仲間がどこにいるのか
私たちの心は煩悩に満ちているからこそ、煩悩が起こるのは簡単なことであり、煩悩に支配されるのも簡単なことであるが、その逆の善業を心にもち続けるのは、大変難しいことである。
2020.11.21
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第7回
犀のように孤独を生きる
私たちは何か小さな問題や障害があれば、それをきっかけとして、こんな善業などそもそも理想であって、出来やしない、とすぐに諦めてしまい、善業を実践することを放棄してしまう。
2020.11.22
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第8回
生きるために必要なものを考える
着るものも食べるものも住む家も何ひとつ持たずに、私たちはこの世に生まれて来ている。人生という虚飾に満ちた生活をしばらくの間ここで過ごした後、また何一つもつことなく、死んでいかなくてはならない。
2020.12.01
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第9回
文明の進化のために洞窟に暮らす
今日私たちは文明社会に暮らし、未開文明の野生生活を営んでいない。それは一体何のためか、といえば、長期的な視点で俯瞰すれば、その生活形式の方がより幸福度が高いからである。
2020.12.14
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第9回
静かにてくてくと遠くへ歩いていく
何かを学ぶという姿勢は、自分が知らないこと、そして自分には至らない点が具体的にあるということを確認することでもある。あたらしいことを学ぶ場合でも、また既に教えてもらったことを思い起こして復習する場合であっても、自分はそれについてよく知ってい
2020.12.30
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第10回
虚栄心の炎でいま燃えているものとは
無限の遠い過去からいま私たちはここに至って生きている。いま私たちは仏教を学ぼうとしているが、この学問は今生で修了して終わるようなものではない。
2021.01.14
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第11回
仏弟子としてスタイルを洗練させてゆく
仏教を学ぼうとする私たちが学ぶべきこととは何かといえば、それは釈尊によって戒・定・慧の三学処を学んでいきなさい、と説かれている。前偈ではこの戒律というものが土台となるということを説いていたが、戒律という三門の制限状態を一心不乱に継続すること
2021.01.21
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第12回
はじめに聞法という燈明を手にする
仏教は釈尊の時代から今日まで続くことばと思想の伝灯であり、仏教を学ぶということは戒・定・慧の三学処を学ぶことであり、本偈ではこの慧学処を学ぶためにはまずは聞法をしなくてはならない、ということを説いている。
2021.01.30
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第13回
何故私たちは経典の文言を暗記しておかなくてはならないのか
私たちには、宝物のように大切にしておきたい言葉というものがある。その言葉を聞いたのならば、その言葉を忘れないように、出来るだけ正確に一言一句書き留めておきたいと思い、文字に記して残しておこうとする。私たちが生きている日常で、その言葉は私たち
2021.03.08
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第14回
経文の意味を全身全霊で徹底的に考える
「善き言葉を口にし、善き意味を心にもちなさい」「言葉に依らず、意味に依りなさい」これらは仏典のことばと私たちがどう向き合うべきかを教える極めて重要な教えである。しかるに、どんなに経文を暗記していて暗誦できても、表面的な言葉だけしか捉えていな
2021.03.19
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第15回
菩提心という馬に乗っている賢者の輝き
仏教を学ぶぼうとする、ということは、いまのこの生涯だけではなく、来世もそしてその来世も常に仏教とともにあろうとし、如来たちの教えだけを灯火として、自分の心が染まってしまっている煩悩を少しずつ克服し、できるだけ浄らかな心をもつようにし、すべて
2021.03.30
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第16回
稀有なる法流に与り、死を越えて精進していくということ
仏教を学ぶということは簡単で短い期間で終わるようなことではない。仏教を学ぶことは、無始以来の輪廻を退けて解脱の境地へと善業に励むということであり、常に善業に励むことを喜びとし、無始以来積集してきたすべての悪業を浄化し、その悪業の原因である煩
2021.04.13
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第17回
適切な食事や睡眠の分量を知る
仏教を学び、目標を達成するというこの計画は、長期的な計画である。最低でもこの私たちの生が終わるまでは続くものであり、最低限の規則でも自らに課して自分で生活していかなければならない。
2021.04.26
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第18回
落ち着いて計画的に自分を導いていく
釈尊の教えというのは、私たちひとりひとりの個人に語りかけられたものであり、それが仏教であるが、仏教というのは何か古い時代の社会現象のようなものであると考えている人が多い。仏教とは何か、ということは文字通り仏の教えということであり、それが昔の
2021.08.02
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第19回
如来たちのことばの響きと対話する
釈尊は衆生たちをこの苦しみから解脱されるために法性の真実を説いている。法性の真実は如来が地上に存在していようがしていまいが、変わることはない永遠の真実にほかならない。しかしこの真実を私たちは知らないからこそ、苦悩や絶望の淵を彷徨いつづけてお
2021.08.08
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第20回
鍵がなければ、扉は決して勝手に開かない
チベットの僧院では、二十年以上もの年月をかけて所定の伝統僧院の学習過程を学んでいる。その教科書となる五大根本聖典とは、ダルマキールティの『量評釈』、マイトレーヤの『現観荘厳論』、チャンドラキールティの『入中論』、ヴァスバンドゥの『阿毘達磨倶
2021.08.16
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第21回
他人の思想、自分の思想
仏教を学ぶということは、世俗の学問を学ぶこととは異なっており、最低でも自分自身の死後のことを考えて学ばなくてはならない。さらに自分自身がこの輪廻から解脱するという目的のために学ぶ、さらには自分自身がすべての生きとし生けるものを苦しみから救済
2021.08.29
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第22回
黄金の光彩を放つ如来の文字列をどう読むか
私たちはいま釈尊の教えを直接聞く機会もないし、龍樹や無着などの偉大なる先師たちに直接あってその考えを聞くことはできない。ただ仏典に残されていることばを手がかりに彼らの教えに触れ、そしてその教えによって私たちは何かを得て、何かを学ぼうとしてい
2021.09.08
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第23回
如来の意向を知る者こそ頭を垂れている
私たちはいま釈尊の教えを直接聞く機会もないし、龍樹や無着などの偉大なる先師たちに直接あってその考えを聞くことはできない。ただ仏典に残されていることばを手がかりに彼らの教えに触れ、そしてその教えによって私たちは何かを得て、何かを学ぼうとしてい
2021.09.18
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第24回
枯渇しない清流をつくるための立ち位置
いま私たちが何かを学ぼうとし、何かに取り組もうとしている時、この同じことを既に学んでいる先輩もいるし、少しだけ後から学んでいる後輩もいる。同じ時代を生き、ほぼ同じ時に学びはじめた仲間も多い。静かに周りを見渡すのならば、私たちの周りには様々な
2021.09.22
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第25回
如来の境地を目指して学ぶべき五大聖典
ゲルク派の総本山ではダルマキールティの『量評釈』、チャンドラキールティの『入中論』、弥勒の『現観荘厳論』、ヴァスバンドゥの『阿毘達磨倶舎論』、グナプラバの『律経』の五大聖典を二十年以上もかけて学んでゆくが、それらをすべて学ぶことは、戒・定・
2021.10.08
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第26回
強靭なセキュリティシステムを構築する
私たち仏教徒にとって、心に刻んでいく如来の言葉は、この世のなかでどんなものよりも価値があるものであり、最も大切にしなくてはならないものである。
2021.10.17
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第27回
魔物たちと闘う、如来の軍勢の一員としての自覚
認識論と論理学、般若経の注釈の伝統、中観思想、阿毘達磨学、戒律学といった五大聖典を総合的に学習する顕教に加え、四部怛特羅の規定、生起次第・究竟次第の二次第よりなる無上瑜伽怛特羅の教儀などはすべての仏教徒が共通して学んでいかなくてはならないこ
2021.11.04
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第28回
悠久の道を進んでいくための道筋
仏道を学んでいくということは簡単なことではない。それには決死の覚悟が必要であり、死してなおその修学が続くという長期的な計画が必要となる。多くの如来たちが仏になるまでの間積んでいかなければならない修行期間というのは三阿僧祇劫という長期計画であ
2021.12.08
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第29回
末流の情報ではなく、本流の原典を所依とする
仏教を学ぶということは、釈尊が私たちすべての衆生が幸福になり、苦しむことのないよう説かれた教えを学ぶということである。それは釈尊御自身のお言葉の軌跡が文字に記されたものを通じて釈尊御自身のお言葉に耳を傾けるということであり、この意識を持つこ
2021.12.15
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第30回
密教の修法は現世利益のためだけのものではない
この秘密真言すら目先の厄災消除の道とし 福寿長命 資産増大 権勢繁栄 享楽など 現世利益のためだけの道具としてしまえば 最勝の大地を栴檀の灰土と化すのに等しい 仏法により悪趣を成就するのをやめなさい いざ 30 秘密真言乗は、波羅蜜乗に比べ
2021.12.22
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第31回
大地に根を深く張り巡らせた大樹となるために
大地に根を張っている樹々は、誰にも気づかれはしないが、いつも根の部分でさまざまな栄養素や水分を吸収し、美しく力強い枝葉を茂らせて、やわらかい太陽光で呼吸しながら、色とりどりの花や果実を実らせていく。根本の部分は他人から見えることもないし、あ
2022.04.28
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第32回
逃げ出さないで調べてみる
湖や池がたくさんある森があった。森の中には草食動物や肉食動物、さまざまな種類の鳥たちがたくさん一緒に暮らしていた。ある日、兎が水を飲もうとした。
2022.05.03
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第33回
不器用で頑固者であるということ
仏教を学ぶ、ということは、いまから2500年前にインドで釈尊が説かれた教えを学ぶ、ということである。その教えを龍樹や無着が解釈し、その解釈の伝統はチベットに伝わり、ゲルク派の僧院では宗祖ジェ・ツォンカパ・ロサンタクパの解釈を中心に学んでゆく
2022.05.04
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第34回
総合的であることの大切さ
宗教というのは総合的なものである。それは世間的な道徳倫理を説いているだけではなく、深淵なる思想や世界に対する科学的な態度も説いているものである。それは一面から見れば、物理学的、幾何学的な真理を説いているようでもあり、また別の側面から見れば、
2022.05.06
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第35回
如来からいただいた手綱を手に
馬に乗って行きたいところに駆け抜けてゆく時には、手綱を調整しながら進んでいかなくてはいけない。走り続けてばかりいれば疲れて骨折してしまったりすることもあるし、きちんと手綱を引いて導いてやらなければ危険なところに間違って馬は進んでしまうかも知
2022.05.07
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第36回
巡りめぐり清らかな輪をつくって
本偈は各行に「輪」(コル)という言葉を繰り返し表現しているが、この偈の内容を考えるためには「輪」のイメージを最初にもつことが大事だろう。輪のイメージとは、時間的にぐるぐると回って移動してゆくイメージである。時間的にぐるぐると回るといっても、
2022.05.08
仏典の学習法『参学への道標』を読む・第37回
如来の学校の生徒として
本詩篇『顕教と密教の仏典の学習法の教訓・宝石の島へ行くための道標』の仏典の学習に関する教訓は本偈の次の偈は廻向偈であるので、本偈は、グンタン・リンポチェが私たちに伝えようとしている、仏教を如何に学んでゆくべきか、ということの結びのことばであ
2022.05.09
仏典の学習法『参学への道標』を読む・最終回
宝島への参道案内として
甚深広大な数多の聖典という大海より 清浄なる聞法の妙宝を掬い上げるため 如何に為すべきかを説いたこの眼薬で 解脱を求めるすべての人の眼が開けて 一切相智の栄光を享受できますように 38 〔奥書〕以上が『顕密の聖典を如何に学習するのかというこ
2022.05.10
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了義未了義判別論・善説心髄
三士菩提道次第広論・廻向文
三士菩提道次第広論
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『学説規定摩尼宝鬘』
『地道規定三乗麗厳』
グンタン・クンチョク・テンペードンメ
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無常修習法
ダライ・ラマ法王14世テンジン・ギャツォ