文殊師利大乗仏教会
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ダライ・ラマ法王
Archives
ダライ・ラマ法王
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ダライ・ラマ法王
2010.08.13
ブッダの境地というものはいまの我々の延長線上にある
我々はいま今の段階では我執をもっている。この我執にまみれた心が“我”を捉えているのである。しかしそう捉えている通りに成立しているのだろうか。これを繰り返し検証し考える必要がある。そうすることで“無我”とは何のことか分かる。これが聞所成の慧である。 そしてそのような理解が起こった後 […]
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ダライ・ラマ法王
2010.07.18
真実の請願文
1960年9月10日ダライ・ラマ法王がチベットから亡命してすぐに中国によるチベット侵攻の犠牲になったすべてのチベット人、そしてチベット問題の一刻もはやい解決を願って著された詩がこの詩です。この詩は現在も亡命チベット社会のすべての小学校をはじめとしてするチベット社会全体で、チベット […]
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ダライ・ラマ法王
2010.01.04
「一切智」の意味は、無辺無数の衆生の心とその能力のその一切を知るという意味です
【質問】 滅諦というのは「常楽」の境地といいますが、それのどこがいいのかよく分かりません。また煩悩と習気が無くなった仏の境地に達するとどんな気持ちになるのでしょうか。 【回答】滅諦のことを「常楽」(究極の幸福)といいますが、これはたとえばこういう事です、〈自由〉というがありますよ […]
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ダライ・ラマ法王
2009.09.22
仏教とは非暴力と縁起である。
仏教とは何か。それは思想と実践との二つで説明できます。仏教とは実践としては非暴力を実践するものであり、思想としては縁起の思想、これが仏教です。 実践としての非暴力は利他を目的としています。悲の修習を究竟し、悲の力が最大限発揮される時、非暴力の目的とする、利他を実現できることになる […]
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ダライ・ラマ法王
2009.08.17
広島の若者たちへ
広島に原爆が投下されてから六十年近くの月日が経った。広島でも若い世代の人間が増え、戦争も知らない人間が多くなった。近年被爆者と未来を創造してゆく若者が集まり「世界平和首都」という理念のもとに、今後の広島の人々がどのような活動をしたらいいのかメッセージをいただいた。 2003年11 […]
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ダライ・ラマ法王
2009.08.17
やさしい人間となるために
私たちは人間だからこそ、やさしい人間でありたい、他人を思いやる気持ちをもちたい、という行いをすることができます。 そして、このことは必ずよく理解しなくてはなりません。やさしい気持ちを人間がもち、そしてそれを実現したいという純潔な志をもつのなら、自分自身の幸福を達成することができる […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.05
心性本浄論
心の本性は光り輝くものであり、煩悩は客塵である またもうひとつ問題があります。無明とは心の自性にまでその影響を与えているものなのかどうかということです。インドの外教徒ミーマンサー学派の論理では、垢は心の本性にあるとしていますので、だから心が尽きなければ、垢が尽きる事はないとしてい […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.05
正しく知ることで誤解を取り除く
このように仏教とは、心を非常に深く検証して、我執、真実把握を断じることが最終目的になります。我執、真実把握こそは、すべての煩悩の根であり、「痴」「 無明」とも呼ばれています。「痴」とは対象に暗く疎いことです。 一般に無知には二種類あります。すなわち、単なる無知と誤解との二つです。 […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.05
仏教とは心の科学である
近年、健康を考えたり、身体の健康維持や家庭問題、社会問題、これらが感情の働きと深く関係していると注目されはじめてます。たとえば脳の神経があげられます。脳神経以外にも身体全体の細かい神経組織に至るまで、感情との関わりが注目されています。 ある種の感情は、身体全体の免疫システムに効果 […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.05
諸法実相
経典では「如来が出現しようがしまいが、諸法の法性は存続している」と説かれています。 このように法性というのは、常に有るものです。ここに諸法は様々に現象して、それはまた認識されていますが、それらの法の本質 実相、それは常に存在し続けています。どんなものでもそれが有れば、その実相は必 […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.05
般若波羅蜜多とは
『般若心経』ではこのように説かれています。 三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。 三世の諸仏は、般若波羅蜜多に依るが故に阿耨多羅三藐三菩提を得る これは我々をも含め、過去、現在、未来において仏となろうとするすべてのものが成仏することを可能とさせるものが、般若波羅蜜多 […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.04
EP0309 成仏のプロセスと三宝
それでは無我を直観する智とは、何から起こるのか、何処に起こるのか、どのように起こるのか。 それは我々の意識、今の段階では我であると捉えているこの意識、我執をもったこの意識、我執にまみれたこの心に、我執の捉える通りの我は成立しているのか?これを何度も何度も検証して考えることで「無我 […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.04
EP0308 仏教の根本実践「非暴力」
「仏教とは何か」これはそれは思想と実践との二つで説明する事ができます。実践としては非暴力、思想としては縁起思想です。 実践としてのこの非暴力の核心は、“悲”を根本とする教えであるからこそ、非暴力の実践が有るというこの関係です。悲の修習を究竟して、悲の力が最大限発揮される時に、非暴 […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.04
EP0307 仏教の根本思想 縁起
四諦説は因果を説くものです。即ち獲得する果である常楽とその因である道諦、果である苦とその因である集、このように因果関係に有るものが説かれています。この因果関係こそが仏教思想のなかの、四つの学派すべてが認める仏教独自の思想でありすべての学派が認めるもの、これが「因果縁起」であり「縁 […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.04
EP0306 四大学派と三乗
このように仏世尊の初転法輪は、仏教の基礎を説いたものです。見、思想の観点では、四つの学派が有ります。行、方便 実践の観点で、三乗が有ります。 四大学派 四学派と言う場合、人無我だけで、法無我についての規定を説くことは無く、人無我だけを説き修道論を主張する学派、これが毘婆沙部と経量 […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.04
EP0305 滅諦と無明
滅諦というのはこれ自体は一体どのようなものでしょうか。 龍樹とその後継者によると滅諦とは勝義諦であるとしています。チベットの学者の中でも若干異なる説もありますが、勝義諦のなかでも、法性であるとされています。 滅諦とは煩悩を浄化した心の本性のことである 龍樹は『中論』で次のように説 […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.04
EP0305 密教は仏教か否か
そして問題になるのは「密教」です。密教が仏教なのかどうか、これについては多くの議論がなされています。 まず最初に謂えることは、龍樹、チャンドラキールティ、アールヤデーヴァ、彼らに密教の著作が有る事は明らかでしょう。私の知人のインドの学者ウパデーヴァという方が居ました。彼はネパール […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.04
EP0304 チベット仏教の位置
漢文に依らなくてもいいのがチベット語仏典です。チベットの仏教は中国を媒介にしていません。インドから直接伝来してます。中国に仏教が伝来した後約400年後 チベットへ七世紀から八世紀にかけて仏教が伝来しました。7世紀から8世紀にかけて仏教は伝来したのです。この時にもちろん部派仏典から […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.04
EP0303 仏教の伝承史
部派仏典と大乗仏典 また一般的に仏典は、釈尊がすべての弟子を対象に法輪を転じたものと、すべての弟子を対象にせず、清浄な業をもつ弟子に対し法輪を転じたものとの二つのグループに分けて考える必要があります。 たとえば三回行われたと言われる仏典結集の際に編集されたものは、すべての弟子を対 […]
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ダライ・ラマ法王
2006.11.04
EP0302 仏教の基本教義は四聖諦である
「四諦」とは何かというと、「苦諦くたい」・「集諦じったい」・「滅諦めったい」・「道諦どうたい」の四つがあります。「諦」「真実」とはそのものが事実として如何にあるのかということを表しています。 我々命ある者は、想像力や感受性のある生き物はすべて苦を望まず楽を望んでいることは同じです […]
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