2013.01.01

ゲンギャウ師5月退任のお知らせ

みなさま明けましておめでとうございます。お正月は如何お過ごしでしょうか。

今日は新年早々みなさまにお知らせがあります。2004年7月にいまはなきケンスル・リンポチェ・テンパ・ゲルツェン師とともに日本別院を開創した主要メンバーのおひとりである、ゲンギャウ(ゲシェー・ロサン・イクニェン師)が今年5月いっぱいで日本を離れ、故郷ラダック、ザンスカールのトンデ寺の管長(ロッポン)に就任されることとなりました。

このたびインドに帰省された際に、トンデ寺の役僧たちの連名でのトンデ寺の管長に就任して欲しいむねの、嘆願書をもってかえり、ゴマン学堂の寺務総長をもつとめ、日本で初のチベット僧院のオープンングメンバーでもあるゲンギャウをおいて、他の管長としてその重責を果たしてもらえるような古参の僧侶がいないので、是非お願いしたいとのことでした。個人的な事情でもありませんし、故郷の寺院の管長に就任し、故郷のために仏法興隆することはこの上なく善いことでありますので、誠に残念ですが、ゲンギャウにみなさまがお会いできるのも、今年の5月で終わりとなります。

gengyao

日本別院の開創以来、ゲンギャウは日本別院の儀式のマスター、運営の責任者として長く努めてこられました。パルデン・ラモのサイコロ占いは、とても好評で、ゲンギャウの占いと心やさしいアドバイスによって人生の重要な場面の決断をされた方も多いかと思います。

ゲンギャウが日本別院を開創する前、2003年の秋に初来日された時には、ゲンギャウもアボも本当はアメリカでゴマン学堂のセンターを立ち上げる予定でした。しかしながらアメリカでまだ受け入れ団体がしっかりとできていないことや、ケンスル・リンポチェの弟子として、日本での仕事などに従事するためにいまの龍蔵院に留まることを快諾してくださいました。

日本別院が開創した当初はほとんど誰も参拝者もおらず、たまたまお参りに来られた参拝者にお茶をだして、「お菓子をどうぞ」、そのくらいしか日本語もわからなかったゲンギャウも、当時50歳をとうに過ぎてから、ひらがな、かたかなを学び、手当たり次第に文字の練習をして、近年はひらがなでメル友もできるくらいになりました。

2006年のダライ・ラマ法王の来広、ケンスル・リンポチェのお病気などが重なり、日本別院の運営も大変な時機がございましたが、「最初は誰もお参りの人がいなかったじゃないか。誰も来なくなるまでは続けようよ」とアボと二人でチベット・日本の仏教交流のため、毎日変わらずお祈りをし、境内の掃除からイノシシの世話まで、これまでゲンギャウがいなければ、いまの日本別院はないといってよい程、多くのものをここに残されました。

ゲンギャウは、故郷のザンスカールで3年間の管長の任務を終えた後には、また日本に戻ってくるとおっしゃってくれています。ただ今年の5月の末からは、少なくとも3年間、しばらくみなさまゲンギャウの笑顔に会える日は残りわずかであります。

ゲンギャウがインドに帰られる前には、またさまざまな特別行事を企画したいと考えておりますが、日本のこと、インドのこと、そしてチベットのこと、仏教のことを全体を分かっているゲンギャウのような先生が今年5月に居られる間にみなさま、ゲンギャウに会いに日本別院にお参りいただけますようお願い申し上げます。

ゲンギャウの10年間弱の日本生活のひとくぎりとして、きっと実りあるものとなると思います。なお後任の先生については追ってお知らせ申し上げます。


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