「私たちの心休まる地は、どこにもないわ」
ラサ出身の女性との会話中、ふと心の中の苦しみが飛び出しました。
「今のラサは警察だらけ。自分たちの地だとういうのに、何をするにも警察の目を気にしなければならない」
2008年以来、ラサは緊張状態が続いています。100メートル歩けば、警察、警察、警察。町中に監視カメラ。盗聴された電話。何をするにも周りの目を気にし、懐疑的にならざるを得ません。だからといって、他の地に移ればいい、という簡単な問題でもありません。
「今は仕事で中国にいるけど、ここの地は嫌いよ。夏は暑いし、冬は寒い。とても厳しい環境だし。それに第一、チベット人がほとんどいないわ。ラサだったらみんな知り合いよ。歩けば必ず知り合いに会うのに、ここではそんなことはありえない」
チベットでは人と人とのつながりが強い上、ラサのような小さな街では、ほとんどの人がお互いのことを知っています。そんな共同体から飛び出してきたならば、孤独を感じるのも当たり前だと思います。
じゃあ、インドに逃げればいいのですかね?と私が聞くと、
「インドは確かに勉強をするにはいいわ。仏教も勉強できる。でも、はじめてインドに行ったチベット人たちは、自分たちが想い描いていた桃源郷のような場所ではないことに落胆し、故郷に帰りたがる人が多いわ」
チベット本土に住む、多くのチベット人たちが抱くインドのイメージは、法王がおられ、自由があって、とてもキレイな所で、まるでそれは桃源郷です。でも、実際にインドに行ってみると、チベットとは違う厳しい暑さにまずまいってしまいます。ある時、インドで勉強しているチベット人の女の子が、「私の夢は、チベットに戻ることなの」とそっと囁いてくれたことがありました。
「故郷にいても、世界中どこにいても、私たちの心休まる場所はないのよ」
そう言った彼女の言葉が、いつまでも耳に残りました。
以前お坊さんが、
「仏教の目的は、心を変えることだ」
とおっしゃいました。心休まる場所があるのもないのも、私たちの心にかかっています。ただ、現在のチベットの苦しい状況では、心を休めること自体が非常に困難な状態です。
8月8日には宮島の大聖院にて世界同時開催でチベット本土のための灯明法要が行われます。祈りはきっと力になります。どうか、チベットの人たちの心の平和のために、祈りましょう。