「お元気ですか?」
ゲンギャウさんにお電話すると、いつもこちらの健康を心配してくださいます。「最近は天気もいいですし、とっても元気ですよ」と答えると、
「天気はいいかもしれないですが、心が元気でないと元気にはなれないですよ。どうですか?」
とのお言葉。そこで、「はい、心が平静なので元気です」と答えると、「そうですか」とやっとゲンギャウさんに笑ってもらえました。
チベットの人たち、特にお坊さんたちと話しをすると、彼らが外の環境よりも心の内の問題に重きを置いておられるのを強く感じます。お坊さんと話しをするといつも、
「心は幸せですか?楽しまないとダメだよ」
と言われます。それはもちろん快楽に溺れろとおっしゃっているのではありません。
以前ゲンギャウさんに、
「一度心が狂ってしまえば、どうすることもできない。だから今心を鍛えなさい」
と言われたことがありました。また他の先生に、
「仏教は心を鍛える教えだ。もし仏教を勉強すればするほど心がおかしくなっていくならば、それはどこかで仏教を間違っている」
と言われました。恐らく、心は間違った道に運べば簡単に狂ってしまう。それを知っておられるからこそ、お坊さんたちはいつも「心楽しみなさい」とおっしゃるのではないかなと思います。
現在のチベットは自由を奪われ、とても厳しい状態に置かれています。壊された自尊心、疑い、不信、経済的な苦難。困難な点を考えればきりがありません。それなのにチベットの人たちはどうして、少なくとも表面上は、みな明るいのでしょう。チベットの言喭に、
「母が作った酒は母が自分で飲む」
という言葉があるそうです。
チベット、特に中央チベットの家庭では、お母さんたちがチャンと呼ばれる濁酒のような酒を作ります。しかし、時に酒作りに失敗して不味い酒になってしまうことがあります。しかし、たとえ出来上がった酒が不味くとも、それを作ったのはお母さん自身です。だからその酒は、他でもないお母さん自身が飲まなくてはなりません。それと同じように、今何らかの苦しみを自身が味わっていたとしても、それは自分が積んだ業の結果、自身の心が作り出した結果の苦しみです。そのように考えることによって、何か苦しみが起こったとしても、原因を他に押し付けて更に苦しみを増大させることなく、心を平静に向かわせることが出来ます。
心を鍛える。決して簡単なことではありませんが、しかしきっとそれが一番の幸せへの近道。