2011.08.07

善は秘して増え、罪は告げて清まる

定例法話会より
ロサンドルマ
genjampa

先月の終わりに行なわれた定例法話会は、煩悩の説明でした。前回で根本煩悩の説明が済んでいたらしく、今回は20ある随煩悩のうち14の掉挙までを説明していただきました。忿、恨と、一つ一つの随煩悩の説明が、とても耳に痛かったです。

その中で「覆」の説明が、面白いなと思いました。覆とは、自分の過失や他人の過失を隠そうとすることです。ではなぜ隠すことが煩悩なのかと言えば、

「隠すことによって幸せがなくなってしまう。わからないならわからないと、自分自身の手の内を見せてしまった方が楽だ。もし隠そう隠そうとするならば、心がのんびりできなくなってしまう」

とゲンチャンパは説明されました。確かに、自分の欠点を隠そうと気をはってばかりでは、いつもびくびくしてしまいます。それよりも、「自分はこれが出来ません」「自分はこんな欠点を持っています」と、最初から言ってしまっておいた方が、気が楽です。なんだか、当たり前というか、なるほど、と思いました。

以前、チベット人の先生から教えていただいた諺に、

「善は秘して増え  罪は告げて清まる」

というものがありました。

例えば部屋を掃除する時、ゴミを溜め込んでいてはいつまでたっても綺麗になりません。それがゴミだとわかったなら、それを捨てる潔さが必要なのと同じように、心の汚れを綺麗にするためには、まず欠点は欠点と認めて、外に出してしまう必要があるのでしょう。

自分の部屋も心も、大掃除が必要そうです。


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