宗教というのは死を思い出すことからはじまります。自分の死を考えて、死んだ後どうなるのだろうか、それを考えて行うことから宗教や法というものはあります。
無常観というものを得るためには、常住であるという思いを捨てなくてはなりません。
常住であるという思いとは、「私はこの先もこのまま生きている」という思いのことです。私たちはいつも明日は何をしようか、来週は何をしようか、これをやってからそれをしよう。そう思っているわけですが、これらはすべて常住であるという錯覚や誤解に基づく感覚なのです。
グンタンリンポチェは次のようにおっしゃっています。
今生に現れくる所業も波紋の如く
ひとつが去れば また次が来るだろう
ひとつを成し遂げ 増えてゆく
いま粗行だと断つ方が善いのではないだろうか法を成さんとする明日が来る間に
死期はいますぐそこへと来ている
この危険を無視することなく法行をせば
いま今日これからからすべきではないか
『無常修習法所学頌』
常住であるという錯覚に基づいていては何時まで絶っても何もできません。私たちが明日はこれをしよう、来月これをしよう。来年これをしようと思っているのは、すべて間違った認識です。仏教の実践をしようと思うのならば、いますぐにはじめるということが大事なのです。
(ケンスル・リンポチェ定例法話会より)
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