2006.11.04

EP0303 仏教の伝承史

部派仏典と大乗仏典

また一般的に仏典は、釈尊がすべての弟子を対象に法輪を転じたものと、すべての弟子を対象にせず、清浄な業をもつ弟子に対し法輪を転じたものとの二つのグループに分けて考える必要があります。

たとえば三回行われたと言われる仏典結集の際に編集されたものは、すべての弟子を対象に説かれたといえます。すべての弟子を対象に説かれた仏陀の言葉をもとに三蔵が結集されています。ここではすべての弟子を対象として阿羅漢尊者である迦葉尊者、阿難陀尊者、優波離、これらの方々が迦葉尊者によって迦葉によって論蔵が結集され、阿難陀によって経蔵が結集され、優波離によって律蔵が結集されたのです。このように結集されています。

これに対して浄業の所化に説かれたものは、三蔵の仏典結集のなかに含まれていません。これが大乗経典や密教経典にあたります。これらはすべての弟子を対象に説かれたものではないために、一部の弟子は聞いたことがないということになり、そのような大乗経典が本当に仏説であるのかどうか、という論争になっています。ですから所謂「大乗非仏説」という説は大変昔からある説なのです。

大乗経典が仏説である、ということの最も伝統的な説としては、私たちは龍樹にまでさかのぼることができます。龍樹は大乗は仏説であると認めています。龍樹自身の著した典籍のその大部分は大乗経典に基づいて説かれたものです。龍樹は信頼に足る人物です。彼は深い洞察力をもった偉大な人物で、深い洞察力のある高い境地の人物で、大変な賢者で学者で、極めて論理的な人物です。そんな方ですので龍樹の説かれた説は基準とできるでしょう。そのような訳で大乗仏典はブッダの一般の仏典結集には含まれていませんが、浄業を有する者には説かれたものであると言えるのです。

恐らく釈尊が御在世の時に毘婆沙部には「十八部派」と呼ばれる部派があり、それは徐々に拡がりました。この根本は四部派です。

根本四部派のなかに「上座部」があります。スリランカ、タイ、ビルマこれらの地域ではテーラヴァーダ所謂 上座部です。チベットでは根本四部派の中で、説一切有部の律の法脈が伝えられています。説一切有部です。チベットの律に関する典籍は説一切有部の伝統に従ってます。中国には法蔵部などの幾つかの部派の伝統があります。中国ではこれらの部派仏典に基づいています。

その後に段々と龍樹父子などの時代からもちろんメインは釈尊がサンスクリット語で般若経等の仏典を清浄な所化に説かれ、大部分は後で龍樹父子等が梵語で仏典を解説したのです。

こうして時を経てパーリなどの部派仏典と梵語仏典との二つの伝統ができています。梵語仏典のなかには小乗の典籍もありますが、メインは大乗仏典ですし、大乗仏典は殆ど梵語で説かれています。ですから、ブッダがインドで説かれた法でスリランカやタイなどの地域に残っているのはパーリ仏典を主としています。その後仏教はまず中国に伝来しました。大乗仏教はまずは中国で普及しました。一度中国に伝わりその後でそこから、日本 韓国 ベトナムなどこれらの地域へ拡がったのです。

たとえば日本では漢文に基づいていますよね。まあ一般的にはみなさんは漢文に基づいていますよね。殆どが漢字で書かれるように中国からがメインですね。韓国も同様に漢文仏典をベースにしていますよね。ベトナムも同じでしょう。


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