過去に何度もダライ・ラマ法王と対話を持たれた遺伝子科学者である村上和雄先生と、インドのゴマン学堂から来日したゲン・ロサン師による広島での対談をご紹介します。
2011.6.20 於:アステールプラザ 多目的スタジオ
司会:田北冬子 チベット語通訳:野村正次郎
主催者あいさつ:岡野竜馬
「変化はあなたの心からはじまります。すべての人に愛を」
2006年11月、ダライ・ラマ法王をはじめとする、3人のノーベル平和賞の受賞者と、本日のスペシャルゲストのお一人である村上和雄先生は、このように広島からのメッセージを残してくださいました。
あれから、5年が過ぎようとしています。この5年間には、様々なことがありました。
2008年4月には、チベットでは多くの人が自由を求めて、平和的な抗議活動を起こしました。多くのチベットの人たちが弾圧され、命を落としました。それからまた、チベットでは大地震も起こり、たくさんの方が亡くなりました。
日本でも、この3月11日に、東日本大震災による地震と津波で、多くの方が亡くなりました。あれから3ヶ月経とうとしている今も、約12万人もの人たちが、避難生活を余儀なくされております。
このように、世界中では今も多くの人が、大小様々なことで苦しんでいます。その一方で、私たちは生きることの素晴らしさも少しは知っています。
生きることとは何なのか。そして、死ぬこととは何なのか。戦後の日本のテクノロジーの発展と経済発展に、必ずしも答えはありませんでした。
しかしながら、私たちは時に病気になったり、友が突然いなくなったりするなどの、一度しかない人生の中で出会う様々なことの中で、「私たちが一体何者なのか」ということに、何かの答えを出していかなければなりません。
今日ここには、お二人の素晴らしいゲストをお迎えします。
まずは、遺伝子科学者で筑波大学の名誉教授である村上和雄先生と、チベット仏教ゲルク派の総本山、デプン・ゴマン学堂から、ゲン・ロサン・ツルティム先生のお二人をお迎えしております。
村上先生は、ご本の中でこうおっしゃっております。
「生命の細胞核の中の極めて小さな空間に、万巻の書物に匹敵する遺伝子情報を書き込み、一刻の休みもなく働かせている大自然の素晴らしさを、私は『サムシング・グレート』と名付けました。そして、人間の魂は、大自然の偉大な存在であるこの『サムシング・グレート』につながっているように思える」
この村上先生は、2006年に私たちが開催した「広島国際平和会議」でも議長をつとめてくださるなど、科学者の視点から「平和の問題」そして「人間の魂の問題」について、今も取り組んでおられます。
また、ゲン・ロサン先生は、歴代ダライ・ラマ法王を教育する機関である「デプン大僧院」から、このたび2週間ほど、この広島の牛田にある「龍蔵院デプン・ゴマン学堂日本別院」に来られています。先生は、インド・チベットの大乗仏教の論理学から、密教の教義まで幅広く深淵な知識をお持ちになられ、毎日、何百人もの未来のチベット仏教の指導者となる僧侶たちを、養成しておられます。
今日は、この二人の素晴らしいゲストをお迎えして、私たちが誰しも疑問に抱いている、心や魂、そして生命というものが、一体どのような存在なのかということについて、お伺いします。
お一人は、現代の最先端の科学の世界に精通している方。もうお一人は、伝統的な仏教哲学に精通している方。このお二人が、それぞれの立場でどんな話をしてくださるのか。それは、主催者側の私たちにも全くわからないことなのですが、とても楽しみにしております。お二人の話が、これからの私たちの未来を生きる知恵になることは、間違いないと思います。
遺伝子のONとOFFのダイナミズムを感じる
村上和雄−−−私は、遺伝子の研究を始めて30年くらいになります。この間、非常に大きな進歩がありました。しかし、遺伝子のことを話す時に感じるのは、まだ一般の人にとって、遺伝子というもののイメージが固いということです。遺伝子は、実の親から子に情報を伝達するということは知られています。しかし、私が非常に面白いと思うのは、遺伝子は、もっとダイナミックにしなやかに働いているということです。
こんにち、人の遺伝子暗号は全て解読されました。しかし、全遺伝子情報の中で、本当に働きがわかっているのは2~3%だけです。あとの90%以上が何をしているのか、さっぱりわからないんですね。
私は、遺伝子のONとOFFに関係すると思っていますが、よくわかっていない。多くのDNAは眠っている訳です。もし、眠っている遺伝子、「健康になるための遺伝子」とか「才能を伸ばす遺伝子」のスイッチをONにして、起きている悪い遺伝子、「病気のための遺伝子」のスイッチを切ることができれば、私どもの可能性は何倍にもなる。ひょっとしたら大化けするかもしれない、というのがわかりつつあります。
これは、大変エキサイティングなことですね。私どもはそういうことで、「遺伝子のスイッチのONとOFF」の研究を始めております。例えば、なぜ運動すると体にいいのか、という疑問があります。私は「運動すると健康のための遺伝子がONになるのではないか」と思っています。医学的には証明されていませんが、そのように、運動や栄養や食べ物が、スイッチのOFFとONに関係するのではないかと思います。
笑うと遺伝子のスイッチがONになる?
村上和雄先生−−−さらに私は、心の働きも「遺伝子のスイッチのONとOFF」に関係するのではないかと考えています。ごく最近、私どもは笑うネズミを作るのに成功したと、発表しました。どのように作るのかと言いますと、ネズミをくすぐるんですね。そうすると、ネズミは50kHzという超音波を出します。これが「気持ちがいい」というあらわれです。ネズミが嫌だと思うと超音波は20kHzに落ちます。厳密には、笑っているかどうかはわかりません。しかし、ネズミが喜んでいる、気持ちがいいと言っているか、嫌がっているかはわかります。これで調べているのは「気持ちがいい時に、脳の中のどの遺伝子のスイッチがONになり、どれがOFFになるのか」ということです。
なぜ、このような研究をするかということをお話しします。私どもは吉本興業と組んで、5年間の実験を行いました。笑いはなぜ健康にいいのか。一つわかったことは、笑うことによって、糖尿病患者の血糖値の上昇が抑えられるということでした。そういう研究を続けておりまして、心の持ち方で、スイッチがONになったりOFFになったりするということがわかってきました。
しかし、心というのが一体何かというのは大きな問題なんですね。どこに心があるんでしょうか。心を二つに分けるとします。陽気な心、ポジティブな心、楽しいとかうれしいとか喜ぶとか感動するとか、祈りというのはいいスイッチをONにします。陰気な心、ネガティブな心、恨み、腹立ちとかそういう心は、ネガティブなスイッチをONにすると思ってきました。
笑いの研究で、「ポジティブな楽しい心が遺伝子をONにする」というきっかけがつかめそうです。今年から、近くの大きな病院全てをあげて、本当に心からスマイルする、微笑するような笑いの効果の研究をしようとしております。院長先生にも「笑い療法士」になっていただきます。だいたい、病院の雰囲気が患者さんを癒せるような雰囲気ではないところもあります。院長先生も、試験を受けて落第することもあります。「笑い療法士」1級、2級、3級と作って、心を変えることによって、病気がよくなるかという実験を進めつつあります。
遺伝子の暗号を書いた、大いなる存在
村上和雄先生−−−私どもは、1万6千個の遺伝子の暗号を解読しました。一口に1万6千個と申しても大変なんです。私どもの研究グループの若い人たちが、頑張って解読します。研究というものは、1位じゃないとだめなんですね。1位しか残らないんです。研究の成果は論文として発表されますが、厳しい競争があります。勝った時には飛び上がっておりますし、負けた時には布団をかぶって寝ております。そのような中で、1万6千個の遺伝子を解読したということは、私どもの誇りであります。
このように、暗号を解読したと喜んでいたのですが、ある時不思議なことに気がつきました。遺伝子の暗号を読む技術も確かにすごいのですが、もっともっとすごいことがあると気がつきました。
それは、気がついたら当たり前ですけれども、読む前に書いてあったとういうことです。書いてあったから読める訳でしょう。書いた人と読んだ人では、どっちが偉いか。仏典を書いた人とちょっと読んだ人では、どっちがえらいか。それは、やはり書いた人がえらいわけです。書いたのは誰なのか。人間ではない訳です。人間が、人間の遺伝子暗号を書ける訳がない。人間ではない。誰が書いたかわからないけれど、でたらめではない訳です。体の設計図になっています。これは、自然が書いたとしか言いようがない訳です。
ここで、自然はどうして書いたのかということになります。私どもがよく知っているのは、目に見える自然の太陽や月や地球など、目に見えなくても測定できる自然です。しかし、万巻の書物に匹敵する遺伝子情報が、本当に狭い針の穴を100万等分したところに書かれている。これは月や太陽が書いたんじゃないだろう、と。そうすると、それを書いた自然は私どもがよく知っている自然ではないのではないか。目に見えないけれども、不思議な偉大な働きをする自然があるんじゃないか、ということを考え出しました。
これは、すごい世界があるなと。私は、人間にとって本当に大切なものは、目に見えないかもしれないと思いはじめました。例えば、愛情は目に見えません。心は目に見えない。命は目に見えない。
全ての遺伝子暗号を書き込んだだけではなく、間違いなく働かせている訳です。遺伝子は1分の休みもなく働いている。これを書き込んだ自然というものがある。それを私は「サムシング・グレート」と名付けました。
「サムシング・グレート」とは何か
村上和雄先生
神様とどう違うのかと言う人がいますが、そんな難しいことは私に聞かないでください。わからないから「サムシング・グレート」と言っているんです。しかし、何かがなければ、偶然では絶対にできない。そういうことを感じ始めました。ということは、生きているということは、普通一般に考えられているより、はるかにはるかにすごいことなんですね。
現代では、遺伝子工学という技術が非常に発達しています。私どもは、人のホルモン例えば大腸菌で、人のインシュリンを作ることができる、このようなことができる私どもが、世界中の学者が全部集まっても、世界の富を全部集めても、細菌ひとつ元から作れないんです。
なぜ作れないのか。なぜ細菌が生きているのかという、本当の仕組みが、まだほとんどわからないんです。わからないと言っているだけではバカに見えるので、わかっていることだけを説明するわけです。しかし、材料を集めても、生き物は生まれないんです。
これは、今の現代科学や医学がだめということではなくて、生きているということが、細胞1個でも、いかにすごいかということです。ましてや人間は、60兆個の細胞からなっていると言われています。体重1kgあたり1兆個と計算します。60兆というのは、地球人口の9,000倍くらいです。そんな膨大な細胞が体に集まりながら、どうして、細胞同士のけんかをせずに助け合って生きているのか、本当に不思議ですね。そういうことを遺伝子の暗号を読みながら考え始めました。このように、生きているということだけで、本当にすごいことなんです。
私どもの遺伝子は、さかのぼっていきますと、約38億年前に出現しました。それからずっと、連綿として続いている訳です。一度も途切れていないんです。38億年間ノーミステイクなんです。だから、人間として生まれてきただけで、奇跡を100万倍くらいかけたくらいの奇跡です。まさに生きているということは、ありがたい存在なんです。私が生きていることも、みんなが生きていることもありがたい。そういったことを、遺伝子暗号を読みながら考えています。
私たちの「心」とは何か
ゲン・ロサン師
私は、仏教の聖典を学んできまして、それを講義しております。仏教の教義では、心ということを考えます。そして、その心と肉体が結び合っている状態、それを命というふうに言っております。
心というのは様々な変化をするものですから、変化をするものの一つであると考えます。そして、変化をするものというのは、心だけではなくて、一般的な物質もそのように変化をしております。物質・心の両方ともが、仏教では「無常な存在」と言っております。そして、無常であるということは、必ず壊れることがあるということです。
その心とは何かということですが、通常我々が生きていて、体を持って生きているわけですが、体を持っている存在である限り、私たちは「何らかのものを認識する働き」を持っているわけです。その認識する主体のことを「心」といいます。その心の基本的な働きとしては、その対象となるものを明らかにして、それを理解するというふうに、広く定義しております。
では、なぜそのように定義するかというと、ものがどのようなものでも、そのことが存在するということは、そのものが「ある」ということがわからなければ、存在するという命題を作れない。存在するものを認識することを心と言っております。そして、心には、存在している対象と一致して、対象を正しく理解するものと、正しく理解しないものの、2つがあるというふうにいいます。いずれにしても、何らかのものが存在している限り、その「存在している」ということを理解するのを「心」といいます。
その心が、どこから来たのかということを考えます。先ほど先生がおっしゃったような、我々の細胞や物質的なものそのものと、もちろん何らかの関係があるとは思いますが、それと同一のものではないのではないかと。
我々の肉体というものは、お父さん、お母さんの精子と卵子からできてくるわけです。例えば、そのお父さん、お母さんが非常に賢くても、子どもがそうではない、ということがあります。我々の肉体と心が同一であれば、例えば足や手がなくなると、その分だけ心が減るということになるわけですが、そうはならない。
そう考えると、やはり、物質的なものと心は違うものではないかと。そして物質とは違うのであれば、今現在ある心と同類のものでないと、過去のものにはならない。例えば、昨日の別の人が、今日の私にならないというように、今日の心は昨日の心の延長線上にあると。そういうふうにずっと突き詰めて考えると、仏教では、全くの無から物質ができたり、全くの無から心ができるとはいいませんので、過去とは無限にあるというふうにしか結論を出せないと。そして、我々の今生きている意識であったり、心それを魂というかそれはわかりませんけれど、それは、前世からやってきて、その記憶がないだけで、現在の我々の意識と同じようなものが、過去にもあるはずであろうと、仏典では説明しております。私もそれについて深く考察し、そうではないかなと今まで考えてきました。
人間が幸せになるには、何が大切なのか
村上和雄先生
私の『人を幸せにする『魂と遺伝子』の法則』という本で、幸せになるために必要な2つの条件として「自分の人生と向き合うということ」「自分を越える存在とのつながりを感じる」と書きました。これは、河合隼雄先生の受け売りでありまして、河合隼雄先生がこういう風に言っておられて、私もそうじゃないかと。
人生とまともに向き合うというのはわかりますが、何か大いなるものとつながるというのは、これはわかりにくい点でもあると思います。
私は「サムシング・グレート」というのは、遺伝子暗号を書き込んだ何者かと言っています。私どもには親があったんですね。これは間違いないです。親には親がありました。さかのぼっていきますと、子どもは親なしでは出てこないんです。何万年経とうが、何千万年経とうが、私どもの存在というのは、親があったからだということになります。
ただ、そういうものとつながらないと、なかなか人間は本当に幸せになれないという風に考えて、そう言ったわけであります。
それは、昔からの神とか仏とか言われているものかもしれません。私どもの命にも脳にも限りがありますが、そういう何か無限のものにつながっているという、そういう安心感が、やはり人間を幸せにする根本にあるんじゃないかと思っております。
ゲン・ロサン師
今、先生が、人生と向き合うということと、何らかの偉大なものをきちっと見つめていくということ、それが幸せの条件であるとおっしゃいましたが、私は100%その通りだと思います。
仏典の中では、人生に大事なのは、真摯に自分の人生に向き合って、欲を少なくして足ることを知る、「小欲知足」といいますが、それが非常に大切だと説かれています。インドのナーガールジュナという有名な学者の方が、サータバハーナ王朝の王様に宛てた手紙の中で、「全ての宝の中で最も大切なものは、欲を少なく足るを知ることである」とおっしゃっております。
物質というのは、いくらあってもそれに対して欲が増えるだけで、満足することはないと。仏陀が、物質をいくら追い求めても、苦しみが増えるだけだと。例えば竜という動物がいます。竜は1000くらい頭があるわけですが、1000の頭があると、頭痛も1000個あると。だから、物をいくら求めてもしょうがないと。まじめに自分の人生に向き合って、欲望を追い求めず、そして我々であれば、仏陀の教えをきちっと学ぶということが、幸せの近道であるという風に思います。
死ぬとはどういうことなのか
村上和雄先生
人間は誰でも幸せを求めています。しかし、本当に幸せになるためには、死ぬということをどういう風に考えるかということを抜きにはあり得ないと思います。生まれたときはおめでとうで、死ぬときは御愁傷様ですから、その最後はハッピーではないということになっています。
しかし、人間そして生き物は必ず死ぬわけですね。これは、100%ですね。絶対的真理というのはあまりないのですが、これは絶対的真理ですから。しかし、私ども現代人はなるべく死を避けているんですね。なるべく長生きしたい。最後まで健康でいたい。しかし、必ず死ぬ。とすると、死というものにまともに向き合わずに、人間は幸せになれないと思います。
特に死の問題は、仏教をはじめ、宗教がずっと考えてこられたわけです。例えば、死後の世界があるのかないのか。その問題を解決しないと、本当の幸せが来ないと思います。現代人が最も避けていますが、必ず来る、死や死後の世界という問題を、チベット仏教はどのように考えているのかというのを、是非伺いたいと思います。
ゲン・ロサン師
今、先生がおっしゃったように、死後のことを考えることは、仏教では非常に大切です。そもそも、「死んだ後のことを心配して初めて宗教だ」というように言われています。
仏教では「無常」という風に言います。全てのものが、集合してできている。そのようなものは無常である。その一番大きなわかりやすい例として「死」というものがあるわけです。
しかし、死ぬ瞬間だけが「死」ではなくて、一瞬一瞬我々は死に向かっているわけです。今も死につつあるという発想をとります。例えば、花は咲いた瞬間から、枯れつつあるんですね。それと同じように、我々は生まれた瞬間から死につつあると。
そして、そういうことを考えると、非常に恐怖を感じる人も多いと思います。しかし、「できるだけ強く恐怖を感じた方がいい」という風に言います。そして、この恐怖を感じて、「死」という事実をきちっと受け入れて、その恐怖を乗り越えるための方法をとりなさい、というふうに言っています。
先ほどちょっと、「心」のことをお話ししました。心というものは無限の前世からやってきます。同質のものしか、後には続かないので、来世というものに続いていくと言う風に考えるわけです。
そして、来世がどのようになるかというのは、現在の心の状態を見ればわかると。現在持っている「心」を、来世もこれと同じようなものを持って行くわけです。来世に自分がよい方向に行くのか、悪い方向に行くのかというのは、現在の自分の心の持ちよう、それによることになるわけです。
そして、それを考えると、自分の心をよりよい方向へ持っていくことが、死の恐怖を乗り越える唯一の方法であるということになります。そのために、他の生きとし生けるものになるべく役に立つようなことをして、他の人が、より幸せなことを経験する原因を作ること。そして、そのことによって自分も幸せになれるし、今現在死につつあっても、肉体と精神がバラバラになっても、この精神はよい方向にいくと考えられます。
仏教の「利他」の活動をしなさいということは、死の恐怖を乗り越えるための、最大の方法ということになるわけです。
村上和雄先生
今の生命科学から言っても、私どもの体は、ものすごい勢いで入れ替わっています。すなわち、見事にプログラム通りに死んでいるから、生まれているわけで、生死というのがすごいスピードで入れ替わっているということになります。
だから、今の私の体の分子や原子はどこから来たのかというと、地球の無機物を植物が摂取して、動物が食べて、それを私たちが食べているわけです。だから、私の持っている体の分子・原子は、全部地球の分子・原子なんですね。
地球はどこから来ているかというと、宇宙から来ているわけです。だから、私どもはまさに地球のひとかけらです。生死というより、「誕生と死」が見事にプログラムされて、毎日毎秒入れ替わっているのが、私どもの体です。私どもは亡くなると、炭素は炭酸ガスになって、風になって地球を吹き回るわけですね。そうすると、また植物が摂取して帰ってくる。だから、まさに物質レベルでいうと、私どもは「輪廻転生」しているわけです。これが自然の掟で、これには逆らえないんですね。オレだけが長生きしようと言うのが無理なんです。そのように、ぐるぐる回っているのが、自然の法則じゃないかと思います。
ゲン・ロサン師
私は、あまり科学を勉強したことがないので、先生のお話を聞いて、これは仏教で言っていることと全く同じだと思って、非常に感心しております。
科学が解き明かす、命の世界の真理
村上和雄先生
遺伝子の働きについては、一見利己的な、自分のコピーを残すことが、非常に重要だと言われております。しかし、細胞は、自分の働きをするだけではなくて、他の細胞を助けているんですね。助けなければ、臓器の働きはできない。臓器は自分の働きをやりながら、他の臓器を助けている。心臓は一生ポンプ作用を打ち続けるんですね。
なぜ、こんなに見事に、他の細胞を助けているのか。私は、遺伝子の中に「利他的な遺伝子」があると思っております。そういうものが、21世紀には見つかるのではないかと。
そうすると、仏陀がおっしゃっている慈悲、聖徳太子の和の精神、キリストの愛。こういった、宗教的な大天才が直感で捕まえた真理が、ごく一部でありますが、遺伝子の言葉で語れる時代が来るんじゃないかと。
これを私の生命科学の大きな目標の一つだと思っております。何千年も前に説かれた教えを、やっと科学の言葉でわかり出しているというのが、現状だと思っております。
ゲン・ロサン師
利己的な遺伝子というお話は、非常に興味深いと思います。仏教では、「利他」というものを説いております。今のお話によく似ているもので、シャンティーディーヴァという人の、大地や水、風などの元素というものが、生物の生活の糧になりますようにという詩があります。
大地などの物質というものは、通常、生物が享受して、消費して生きるためのものです。そのものが、他の人のために役に立つようにと、例えば我々が誰かの役に立ちたいと思うように、意志を持って活動しているわけではありません。それにも関わらず、他のことに役に立つことがあると。このように、シャンティディーヴァは言っています。
この考え方を、仏教では「縁起」といいます。全てのものが相互に依存していて、何一つとして他のものに依存していないものはないと。
例えば、我々の幸せは、他の人に依存しています。これと同じように、全ての存在がほかのものに依存している限り、ほかのものに、何らかのよい働きかけをしなければ、悪い方向にいきます。
これは利他の活動とは違い、自己愛や我執は、よくないということです。そして、それが我々の苦しみを生み出すと言っています。このことと、先生の非常に小さい細胞の話は、共通しています。
そもそも、さまざまなものが依存してできている限りに於いて、ある程度、他者に対してよい働きをしなければ、生存できないのではないかと思います。
村上和雄先生
先ほどのコメントに付け加えます。私は「誕生と死」が繰り返されていると言いました。個体が死んだら、体は分解されていくんです。たんぱく質、脂肪、糖などの大きな分子が分解されるんです。しかし、生きている間は、それが再利用が可能なところでぴたっと止まるんです。例えば、タンパク質はアミノ酸に分解されたところで止まるんです。そのアミノ酸は、再利用が可能なんです。
それは、自分としての利用もあるし、他の生物のためにも利用されます。見事に分解するのも、リサイクルできる形できちっと止めるような仕組みが、既に体の中にあるということを感じました。
そういう点では、「自分が死んで他のものを生かす」というシステムが、既に体の中に、遺伝子レベルでインプットされているということを、付け加えたいと思います。
人類はDNAによってつながっている
村上和雄先生
先ほどお話ししたように、私どもは、人のホルモンを大腸菌にすることができます。なぜそのようなことができるか。全ての生き物、細菌、昆虫、植物、動物、人も、また、今生きるているものだけではなく、過去に生きた全ての生き物も、これから生きるであろう全ての生き物も、全く同じ遺伝子暗号を使っているのです。
これは、20世紀最大の発見であります。だから、人のホルモンを大腸菌にすることができる。「人類は全部兄弟であると」いう教えがありますが、生物の歴史から見ると、全ての生き物は、ご先祖様か親戚か兄弟である可能性がある。20世紀は、このことが、宗教の言葉ではなくて、科学の言葉でわかり始めたということですね。
これは、環境問題を解決するために非常に必要なことです。「地球にやさしい」と言っていますが、これは人間の傲慢でしょう。
地球は46億年も前からあるんですよね。人類に近い旧人が出てきたのは、20万年前くらいです。地球の年齢を1年ととらえますと、人類がこの世に来たのは12月31日大晦日の午後11時40分過ぎです。
この人間が地球にやさしくしてあげましょうというのは、傲慢ではないでしょうか。今回の大震災は、そのことを改めて教えているのではないかと思います。地球には長い長い歴史があります。一方人間は、確かに非常に科学が発達し、知恵もついているんですけれども、まだまだ本当の命の不思議とか地球のことについては、ほとんど知らないというのが現状です。それは、現代の科学がだめなんじゃなくて、地球とか命というものが、いかにすごいかということを、私は感じているわけです。
ゲン・ロサン師
今の先生のお話、細胞がリサイクルで生きるということとか、細胞の死と個体の死ということをおっしゃいました。
仏教では「生物かどうか」という議論があります。我々が生物であるということは、「心」と「物質」を両方持っていること、これが非常に重要な条件となります。例えば、木とか草は、仏教では生き物とは見なさないんですね。それはなぜかというと、心を持っていないからです。もちろん、木が枯れたり、花が咲いたものが枯れたりということはあります。他のものを認識する、幸せを感じるといった、対象を認識する力、それが心です。しかし、その心がないので、植物は生き物の中には入れないんです。もしそういうものを入れると、人間にももぬけの殻のような、心がない人間があることになると。そういうような議論もあって、その辺は非常に難しい問題ではないかなと思います。
魂とはなにか
村上和雄先生
私は『人を幸せにする『魂と遺伝子』の法則』という本を書いたのですが、本当は魂については、よくわからないんです。わからないけれど、なぜこういう本を書いたかというのをお話しします。
私は、自分の体は自分のものだと思っていますが、私は自分のものではないと思っています。先ほど言ったように、私どもの体の元素は、全て地球からの借り物なんですね。宇宙からの借り物であります。
誰が貸しているのか。それは、地球であり宇宙であり、また「サムシング・グレート」が私どもに一定期間貸してくれているんです。すると、貸し主は「サムシング・グレート」。借り主は誰かというと私。私といっても体は私ではない。と、いうと心であるようだけれど、心でないのかもしれないと思ったり。
「心」というのは、しょっちゅうふらふら変わるんですよ。こんなものに「サムシング・グレート」は貸していないのではないか。そうすると、借り主はよくわからないけれど、「魂」と言われるものなのではないかと、考えています。そうすると、「心」と「魂」はどう違うのかと。これは難しいわけです。
心の本当に奥底に、「魂」といわれるあまり変わらないものがあるんじゃないかと。「三つ子の魂百まで」といいますが、「三つ子の心百まで」とはいわないんですよ。「心」は成長する、変わるもの。そうすると「魂」というものは、どうもあるのではないかと仮定しています。
これは、科学的には証明できないんです。でも、どの民族にも「心」以外に「魂」という言葉があるんです。ということは、今の科学ではわからないけれど、人間は、死んでもなくならないような前世、今世、来世を貫くような情報を「魂」として持っているんじゃないか、というのが私の仮説なんですね。
どちらが幸せか、ということですね。死んだら全てが終わりだというのと、死んでも何か残るんじゃないかというのと。どちらが、人間の生き方で幸せかというと、やっぱりあの世とか死後とかいうものを考える方が、人間にとっては幸せである、という風に思っております。
これは、恐らく何千年も前から、宗教や大哲学者が考えてきた問題で、そう簡単に答えは出ないと思います。私もそろそろ歳ですので、そのことを真剣に考えたいという意味で書きました。「心」は心理学というのがありますけれど、魂学というのはないんですね。どちらが、人間にとって幸せですかという観点で考えると、死は最後じゃないんだと思う方が私は幸せだという風に思います。そのように考えています。
ゲン・ロサン師
通訳註:「魂」という言葉が、チベット語にはないので、通訳不能なんですけれども、それをなんとか説明しました
今、先生がおっしゃったような、我々が死んだ後の魂、「三つ子の魂百まで」とこういうお話は、仏教にないわけではないんです。
仏教では、「心」を例えば海のように表面に出ているものと、奥に隠れているものという風に二つに分けます。その隠れているものと、表面に出てくるものの違いとして、「倶生起」という、生まれながら持っている感情や心の働き、それと、生まれた後から後天的に身についたものとを分けます。
例えば、自分のことを「私」と思う意識は、生まれながらに持っているものです。また、小さな動物などは、生まれた瞬間に立ち上がったりします。これは、前世から続いている心の表面化していないものです。表面にはのぼっていないものに、記憶が残っていると。だから立てるんだと説明します。
仏教でいう、輪廻転生して、前世から今生に来て、来世にいくという意識は、表面上の意識ではないんですね。その表面化しているかどうかというのは、例えば、目で非常に美しい光景を見ている時には、その目の認識というものが、そこに表面化して起こっている。
例えば、音がしていても聞こえないとか、非常に美しい音楽を聴いているときは、そこに集中して他のことに意識がいかない。他の感情はなくなったわけではないですけれど、海の底のように活動していないと。その活動しているかどうかということを言います。
それから、我々生き物とか、サンスクリットでプドガラといいますが、仏教で「輪廻転生する生物」として考えているものには、定義があります。
物質的な感覚器官が、最初に生まれる時に広がって、そして死ぬ時に閉じていく。その上昇して下降するような、そういうものを生物といっています。
「心」には表面的なものと、表面的ではないものがあり、その表面的ではないものと同質のものが、来世にも続いていくというのが「輪廻転生」の発想です。今の先生の「魂というものが必ずあるんではないか」というのは、そういうものではないかなと思います。
会場からの質疑応答
Q:村上先生は「遺伝子をONにして生きていく生き方をしなさい」と長らく説いてくださっています。先ほど「利他的な遺伝子」というお話がありましたが、例えば、私どもが日々の生活の中で利他的に生活する、利他的な行動をしていくことで「遺伝子をONにしていく」または「魂の遺伝子をONにしていく」ということが可能なんでしょうか?
A:村上和雄先生
喜びが、生き生き若くするということがありますが、こういう時には、遺伝子のスイッチがONになります。しかし、喜ぶことも、自分だけ喜ぶよりも、家族と一緒に喜ぶとか、多くの人と一緒に喜ぶとかの方が、喜びが増えると思うので、そのことによって、遺伝子のスイッチがONになるんじゃないかと思っているんです。
なぜなら、私どもはみんな「サムシング・グレート」の子どもなんですよね。「サムシング・グレート」は、特定の子どもだけをひいきするわけがなくて、全ての子どもの幸せを願っています。その「サムシング・グレート」の思いに沿う時に、遺伝子のスイッチがONになると思っています。
そういうことも、これから証明していきたいと思っているところで、全てが説明できるわけではありませんが…。利他的な行動をすることが、人間の本性なり遺伝子の中にあると。少なくとも細胞があります。人間も細胞がたくさん集まったようなものです。
21世紀というのは、本当に宗教的な真理と科学的な事実が、お互いに相補っていくようなそういう世界になる、あるいはしないとだめだと思っています。そういった中で、遺伝子のスイッチのONとOFFということを考えています。
「魂」のスイッチのONとOFFがあるかという問題もあります。眠れる魂が目覚めるときが恐らくあるんじゃないのか、遺伝子と同じように魂にもONとOFFがあるんじゃないのかと思っています。これは全くまだ証明されていません。ただ研究したいと思っています。
Q:日本の仏教には「山川草木悉皆成仏」「一切衆生悉有仏性」という言葉があります。先ほど、ゲン・ロサン師は、木とか植物の場合は、心があるとかないとかというように触れておられました。私は植物と話ができる、そういう作家も日本にはございます。その点について、お聞かせください。
A:ゲン・ロサン師
「一切衆生悉有仏性」というのは、「全ての生きとし生けるものが仏陀になれる」という意味です。「仏陀」というのは、今の我々の心の延長線上にある存在であると言っております。全ての対象が、ありのままにわかる智慧を持った瞬間に、「仏陀」と言います。
我々は、本来清らかな「心」を持っています。仏になることができるのは、あくまでも「心」を持った存在でなければいけないということです。そして一般的に、草とか木は「心」を持っていません。心と肉体を合体した、他の対象を認識することができる存在ではないので、草とか木は「仏陀」になったりはしない。これが、基本的な考え方であると思います。
しかし、日本で、山、川、草や木も仏になるという説があることは、何らかの意味がある伝統であると思います。私は、それについては詳しくはわかりません。あくまで、一般的にはそう言われているということです。
Q:今日のお話でも、東日本大震災について出ました。今、毎日生活している中で、あの震災を「サムシング・グレート」の立場から見て、私たちが何を感じて生きていったらいいのか、ということを疑問に思っております。放射性物質のニュースなどを聞くと、自分の遺伝子がどんどんとOFFの状態になっていく、そういう気持ちも感じております。一体こういうところから何を感じて生きていったらいいのか、ということについて、村上先生はどうお考えでしょうか?
A:村上和雄先生
大変難しい問題です。その「サムシング・グレート」がどう思ってこの震災を起こしたのかということは、なかなか推察できません。しかし、これはやっぱり「サムシング・グレート」というか、天からの悲痛な叫びじゃないかと思っております。人間の傲慢に対するものですね。
このままほうっておくと、恐らく人間がますます傲慢になって、犠牲になられた方には本当にお気の毒なんですけれども、その犠牲がもっともっと増える、そのための忠告であろうと思っております。そういう風に受け止めたいと思っておるんです。
この4月29日に、ダライ・ラマ法王が、わざわざ日本のために予定を変更して、東京に立ち寄られまして、四十九日の法要が行われました。その中で法王は、「この幾多の困難を乗り越えた日本は、この大震災からも必ず立ち直ると確信しています」というメッセージを残されました。
従って、私どもは、この震災を日本人全体に対する、あるいは人類全体に対するメッセージだと受け止めて、それを無駄にしないために、私どもの毎日の生き方を考えることが、必要であろうと思います。
日本人は、「もったいない」「おかげさま」「いただきます」といった精神で、2000年も生きてきたわけですね。しかし、そういうものを日本人は忘れかけている。それに対する命の親からの切ないメッセージだと、私は感じました。
インドのダラムサラという、チベットの亡命政府があるところに一週間滞在したことがあります。「科学と仏教の対話」という談話を中心とした滞在でした。その時に法王が個人的に私を呼ばれまして、「21世紀は日本の出番が来ますよ」とおっしゃいました。
しかし、新聞を読んでいてもとても出番だとは思えない。日本は、自然と共生して敬って生きてきた文化や伝統を持ちながら、経済発展をし、科学技術力もあった。こんな国は、世界にないんですね。本当に、日本が世界を救うような国になってほしいという、痛烈なメッセージだと受け止めたいと思っております。
それ以上、「サムシング・グレート」の心に立ち入って話をすることはできませんが、命の親は、子どもにただ単に罰したり叱ったりするんじゃなくて、非常に痛烈なメッセージを送っていると、思っております。
Q:ゲン・ロサン師は「少なく欲し足るを知る」この考えが一番大事だとおっしゃいました。チベット仏教の中で、この考えにフォーカスした、日常の具体的な行いや考え方になる規範のようなものはあるのでしょうか?
A:ゲン・ロサン師
「小欲知足」とは、簡単に言うと、欲を断つということではありません。欲に「今日はここまででいいや」と限度を置くということです。毎日、簡単に実践する方法としては、ある限度というものを言って、自ら定めて、それ以上を求めないと。それが大事なんですね。
例えば、夫婦のことで相手に過度な要求をしないと、朝起きた時に考えて、一日を過ごすようにすると。商売している人であれば、もちろん、損をしてまで商売する必要はないし、自分にも利益は必要です。しかし、相手を過度に損させたりということはしないと。それなりに価格に見合った取引をすると。それは、限度をちゃんと定めるということですね。食べ物を買うにしても、食べるにしても、着物を買うにしても、自分で限度を決めて暮らすと。
夜寝る前に、自分は一日どうだったかと反省して、朝起きたときの決意の通りにできればよかったな、と。できていなかったら、明日はもうちょっとここまでいこうと思う。毎日毎日、非常に小さなことですけれども、そういうことを思って、自らの限度を設定してやると。それが「小欲知足」なんですね。欲を全て捨ててしまうという話ではなくて、自分の欲はこれでいいやと、自ら満足するポイントを設定するというのが重要です。
Q:日本人にとっては「仏陀=釈尊」ととらえてしまうのですが、「仏陀」になれるという意味を、ゲン・ロサン師から教えていただけますか?
A:ゲン・ロサン師
仏教というのは、我々一人一人が「仏」になることを目指すわけです。「仏」というのはどのような存在かというと、最初から神様のように、我々とは全く別の人であったり存在であったりというわけではありません。最初は、今の我々と同じです。
しかし、ある時から、我々のように自分のことばかり考えるのではなくて、「利他」のためだけに活動するようになります。そして、利他を行う、他の生きとし生けるものの役に立つためには、他の人が考えていること全て理解しなければ、他の人を救うことができないわけです。全ての対象を理解しようとして「一切智(一切を知る)」を実現します。
一切を知ることができれば、全ての生きとし生けるものが求めているものが、わかるようになります。それが、他者を救うことになるわけですね。そうなった時に「仏陀になる」といいます。成仏するというのはそういうことです。
最後に
村上和雄先生
21世紀を日本の出番にしようということですが、これは、日本が世界から尊敬される国になる、世界のために役立つ国になると、そういうことだと思っております。日本は世界的な評価は非常に高い。今度の震災で少しわかりましたが、日本はベストカントリーの一つなんですね。しかし、問題は日本人がそう思っていない。満足していないというところがあります。私どもは、震災を契機に、第一線のすごさとかありがたさを感じて、見事に復興をなしとげて、世界から尊敬される国になりたいと思っております
ゲン・ロサン師
これまで、こうして科学の専門家の方とお話しする機会が一度もなかったので、非常によい機会をいただいたと思います。先生のお話に出てくる「魂と遺伝子」についても、非常に興味深く、納得がいくことがたくさんありました。
今日は、たくさんの方においでいただきました。先ほどから出ているように、いろんなことがあって、初めて今日ここに我々はいるのではないかと思います。この偶然というか、このご縁をいただいたことは、大変ありがたいと思います。また、村上先生とお会いできたことは大変素晴らしいことで、本当にありがたく思います。心から尊敬申し上げます。