愛する人と出会うことができないのは、酷く苦しい。でもその反対に、会いたくない人と会うこともまた酷く苦しい。輪廻である限り、全てが苦しみだというのはほんとだなとつくづく思う。
会いたくない人と出会うといえば、まだ勉強途中の僧侶にとって、先生と出会うことは恐怖である。特に鉢合わせた場所が町などで会った場合、「遊んでいないで勉強しろ!」と言われるのが目に見えているので、常に周囲に目を巡らし、遠くに先生の姿を認めようものなら、一目散に逃げて行く。
ゲンギャウさんの弟子たちにとっても、日本におられる先生からかかってくる電話はちょっとした恐怖である。近くの町に出ているときに電話がきた場合、電話に出れば先生に怒られるのは目に見えているし、また電話にでなくても後で怒られるに決まっている。
「一度、町の食堂にいたときに先生から電話がかかってきました。ですが、その時はラダックで洪水が起きたと聞き、どうしてもニュースを見たかったんです。それで素直に、『ラダックで起こった洪水のニュースを見に町に来ています』と告げると、先生はまだ洪水のことを知っておられなかったようで、『それはほんとうか!?』と驚かれただけで、怒られませんでしたよ」
と笑って教えてくれた。
そんな弟子に恐れられているゲンギャウさんに、会いたくない人に会う苦しみをどうしたらいいんですかと聞いてみると、
「まずその苦しみがどうして怒るのか考えてみなさい。どんな苦しみが怒ろうと、それは自分の行った悪業の結果でしょう?だから、昔自分が積んだ悪い業が少し清まったと考えるといい。少し苦しみを減らせますよ」
との言葉をくださった。そして、
「それに、苦しいのは自分だけじゃない。他にはもっと大変な苦しみを味わっている人たちがいる。他人のことを考えなさい」
とも。
本当にその通りだと思う。
ゲンギャウさんに限らず、他の先生たちからも素晴らしい教えをいっぱいいただいているのに、いざ何か困難にぶつかった時に、それを思い出すことは難しい。すぐに忘れてしまうからこそ、普段から何度も何度も心のなかで考えなおさないとどうにもならない。死はいつやってくるか、わからないからこそ。
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