「私の先生はゲン・ロサンです」
アムド地方チェンツァにある寺院に参拝に行った日のこと。インド戻りだという一人の僧侶と出会った。
アムド地方では中央チベットとはまた違う、独特の方言が話される。少し日本の東北弁に似ているだろうか、口をあまり開けず喉の奥で絞り出すような音が多いように思う。アムドでは、その独特の言葉が喋れないと、話がほとんど通じない。
寺に参拝に行って、片言のアムド語で喋っていると、「ラサからですか?」と話しかけてきた僧侶がいた。年はゲン・チャンパより少し若いくらいだろうか。やっと言葉が通じたことが嬉しくて、いろいろ質問していたところ、なんと南インドのデプン・ゴマン学堂で勉強されていたことがわかった。
「ゲン・チャンパを知っていますか?」と尋ねると、
「ええ、知っていますよ。最近の若い僧侶のことはわからないが、古い人のことならだいたいわかります」
と、話に花が咲いた。そうこう話しているうちに、ゲン・ロサンのお弟子さんだということがわかった。
「ゲンロサンは素晴らしい先生でした」
僧侶は目を細め、昔日のインドでの日々を懐かしむように語った。
「先生の授業を受けられたことはとても光栄でした。たくさんの僧侶たちと共に、ゲン・ロサンのもとで学んだ日々。とても楽しかった」
その僧侶は4年間インドで勉強したが、暑い気候に身体が順応できず体調を崩してどうしてもインドにいられなくなり、後ろ髪をひかれながらもチベットに戻ったそうである。
「私が病んで、ゲン・ロサンに相談した時、『お前にチベットに戻った方が良い』と言われました。私と共に学んだ僧侶たちは今はもうほとんどがゲシェーになっています。私もインドに留まれば今頃はゲシェーまで進めていたでしょうが、先生の言葉に従ってチベットに戻ることを選びました」
と、少し寂しそうな顔で語った。
「勉強をするのなら、インドが一番ですよ」
近年でもなお、仏教を学ぶためにインドに行くことを渇望するチベットの僧侶は多い。しかし多くのチベット人は中国でパスポートを申請しても受理されず、困難を極めることが多い。
「ゲン・ロサンはどんな先生でしたか?」と尋ねると、
「とても厳しい方ですが、同時にとても優しい方でしたよ」
と言った後、少し笑いながら、
「でも、弟子が英語を学ぶことを好まれませんでした。以前、先生の弟子の中でも優秀だった僧侶がいたんですが、先生の反対も聞かず英語を学んで海外に行ってしまいました。それ以来、先生は英語を勉強したい弟子に仏教を集中して勉強するように厳しく叱られるようになったんです。ですから私も、途中で英語の勉強を断念しました」
と語った。ゲン・ロサンが英語嫌いという話は聞いたことがあったが、そんな理由があったのかと、納得がいった。
その僧侶は、今はラブラン寺院に属しながら、アムド各地の小さな寺を回って指導して回っているらしく明日にはまた他の寺に出かけて行くとこのことだった。
「さあ、そろそろ私は行きます」
そう言って、僧侶は門を潜り、砂埃の舞う道をゆっくりと歩いて行った。
ゲン・ロサンの撒いた種が、今ここでしっかりと根ざしている。