「先生の授業は難しいと聞いたのですが…」
ゲンロサンの授業は絶望的に難しいという話を、以前事務局長から聞いた。特に中観などの授業で、年長の僧侶が聞きにやってくる授業は、深淵すぎて理解しがたいと。
その質問に対してゲンロサンは、
「まあ、そうだねえ。上のクラスになってくると問答を交えながらの授業になるから、少し難しいかもしれなしねえ」
とのお答え。
一度ゲンロサンの授業を見学させていただく機会を得たが、その迫力は圧倒的だった。
ゲンロサンの授業はとても人気で、先生が授業をされる建物の前には、たくさんの僧侶たちが前の授業が終わるのを今か今かと待ち受けている。
「朝は、まあだいたい7時半から、遅くとも8時までには授業を始めるよ。午前中11時を過ぎてから昼ご飯を食べて、昼からも授業。5時半に夕食をとって、生徒たちが夜の問答に行くときは9時まで授業がある。問答がない時は、もう少し遅くまで授業だね」
ゲンロサンの予定は超過密。朝から晩まで、弟子たちの指導にあたる。そんな先生の弟子たちの数は数えきれない。
「休みは基本的には月曜しかない。あと夏安居の後とお正月くらいか。月曜日にはよくキャンプ3までモモを食べに行くよ」
お寺のご飯は菜食なので、たまの休みに近くのチベット人亡命キャンプまでお肉を食べに行くのが、先生のひそやかな楽しみらしい。
先生はゲルーギュトゥと呼ばれる僧侶がゲシェーの学位を取るための試験の試験監督もなされたことがある。
「ゲルーギュトゥでは、セラ、デプン、ガンデン寺院から、それぞれ8名の試験監督が選出され、計16人で話あって毎年問題を考えるんだ。私たちが作った問題を、他の僧侶がパソコンで打ち込み、試験用紙が作成される。問答試験では受験者は数種類ある紙の中から一つ選んで、その問題について問答するんだ。紙を見てから5分の間、受験者はどんな問答をすべきか頭を巡らせる。短い間で頭の中で問答を組た立てるんだ」
たった5分。その間に受験者は、自分がする問答の道筋について高速で頭を回転させる。
以前、それぞれの学堂で夜半まで行われる問答を見学したとき、若い僧侶の問答を見守る同じ学堂の僧侶たちの最前列には、ゲシェーを習得し終わった先生方が座し、問答が変な道に行ったときには先生方も問答に加わっておられるのを目にした。そのため、ゲルーギュトゥでも試験監督が問答に加わるのかと思うと、
「いや、試験監督は、殆ど口出しすることは許されてないんだ。そりゃ問答が道筋から外れた時、一言二言口を挟んで道を修正するぐらいはあるが、基本的には受験者同士が問答するのを見守るのが役目だよ」
とのこと。
学問でのすごさで他を圧倒するゲンロサンだが、智慧のすごさで恐れられるだけではない。というのも、ゲクーと呼ばれる寺院での維那の役職にも就かれたことがあるからである。ゲクーは寺院内において僧院長の次くらいに権力を持つ。集会に遅れてくる僧侶がいないか取り締まり、外を歩く僧侶の服装が乱れてはいないかと目を凝らす、寺院内での規律を守るいわば風紀委員のような役目も担う。
では、取り締まられた僧侶はどうなるのかと言うと、
「集会に遅れてきたら、ばしばし殴って怒るよ。集会に欠席したり、服装を乱した僧侶には集会の間中五体投地をさせるか、2日間の台所や食堂での力仕事を言い渡すんだ」
とのこと。まるで体育会系クラブである。
「それに集会や問答に何度も欠席すると、ゲルーギュトゥの試験を受けられなくなるしね」
やはり、たくさんの僧侶が共同で生活する寺院では規律を厳しくしく取り締まっておかないと、少しずつ僧侶の側もだらけて勉学にまで障りが出てきてしまうのだろう。
本山での多忙な日々の合間を縫っての来日。インドでは、多くの弟子たちが先生の帰りはまだかまだかと首を長くして待っていることだろう。
昔はインドまで危険な道のりをゆかなければ仏教の教えを授かることはかなわなかった。それが今回は釈尊からの教えの流れを受け継ぐ方のほうから、こちら側に赴いてくださった。龍蔵院での秋期特別法話会は終わってしまったが、11月下旬には宮島の大聖院にて白ターラー菩薩の灌頂や瞑想講座などが予定されている。また、日々朝夕の読経を他の僧侶とともに行われ、ご祈祷も行っておられる。この希有な機会を是非大切にしたい。