誰でもどこかの地に住み続けると、その地からの影響を何かしら受ける。文化に習慣。朱に交わればではないが、人は多かれ少なかれまた善きにつけ悪しきにつけ人から感化されが、
「日本の習慣が癖になってしまってね。姪に笑われるよ」
とゲンチャンバ。
何かと思えば、
「人に会ったら頭を下げることに慣れてしまってね。誰彼なしに頭を下げてしまうんだ」
チベットでも目上の人に尊敬を表すために頭を低くしたりする。しかしそのようにする相手は限られており、師や高僧などに対して以外、知り合いや友人などには頭を下げたりしない。特にゲンチャンバはゲシェーの学位も納め、弟子を育る立場なので、むしろ頭を下げれる立場。そんなゲンがお辞儀している姿は、姪たちにはおかしく映るのだろう。
「まあ、尊敬を表すわけだし、悪いことじゃないんだがね」
腰の低いゲンチャンバ。ゲシェーになって、厳しく弟子を教育していても、姪っ子たちにかかると形無しである。
そもそも、チベットでは師は尊敬すべき相手であると同時にとても恐い存在である。
「遠くから先生の姿を認めると、みんな先生に会わないように逃げていくんだ。特にバザールに行ったときは先生と会わないようと、みんなびくびくしてるよ」
とおかしそうに笑うゲンチャンバ。
バサールで先生に会ったりるすと、「遊んでないで勉強しろ!」と怒られるらしい。
「先生にも二種類ある。それぞれの住んでいる学寮の先生。それに授業を教えてくださる先生だ」
学寮の先生は主に学僧の日々の面倒を見、授業の先生は仏教教学を指導される。どちらも学僧にとって重要な存在である。
寺院の教育方法はまさにスパルタ。先生たちの弟子に接する態度はとても厳しい。最近は昔に比べると少しゆるやかになったらしいが、それでもしっかり勉強しないと容赦なく先生からお叱りを受ける。もちろんその厳しさは弟子のことを思ってなのだが、弟子からするとやはり先生は恐るべき相手。
そういえば、ゲンギャウさんのお弟子さんも、
「数年前、ゲンギャウ先生と一緒に故郷に戻ったんですが、全然楽しめなかったです。先生がおられると緊張しますから。でも、先生には内緒ですよ」
とひっそり漏らしていた。
「ゲンギャウ先生はよく私たちに電話をかけてくださいます。先生が日本におられて不在なため、私たちが勉強を怠けてしまうことを危惧してくださっているんです」
とお弟子さん。
ゲンギャウさんも数多くの立派な弟子を育ててこられた。弟子を想うその厳しさで、弟子を育んでこられたのだろう。
「ゲンギャウ先生は私たちの仏教の師であることはもちろんですが、私たちが病気になったり何か問題が起こったりしても、全て面倒をみてくださいました。 先生は私たちにとって師であり父であり母であり、それら全てなんです」
師と弟子の関係は絶対的といえるほど堅固である。師の弟子に対する厳しい愛情。その強い絆が、寺院における仏教教育体制を支えている。