2010.09.18

夢訓練

「今朝はどんな夢を見たかな?」

デプン・ゴマン学堂で行われる朝一の授業前、先生が生徒に質問する。
何か夢を見たような気がしたが、朝になったら忘れてしまっていたので、生徒は「何も見ませんでした」と答える。

「確かに、夢を見ない日もある。だけど大概私たちは夜に夢を見る。いい夢を見たら嬉しいし、恐い夢を見たら嫌な気持ちで目を覚めるね」

いい夢を見たとき、目覚めたくなかったと思って起きるときがある。反対に悪夢にうなされるとき、ああ目覚めれてよかったと思う。

「夢は夢でしかないし、そこに意味を見いだして執着しても仕方ない。しかし、やはりいい夢を見れば嬉しいし、悪い夢を見ると苦しい。ではどうすればいい夢が見られるか」

灌頂を行う場合も、師が弟子に夢を覚えてくるよう指示する。夢はチベット仏教の修行において、ある一定の位置を占めているのだろうか。

「夜床に付く前に、『今日は一日良いことをした。もし明日の朝目覚めなかったとしても、私は満足だ』と思って心安らかに眠るならば、いい夢を見るだろう。反対に『ああ、今日は私は悪いことばかりをしてしまった。どうしよう、心配だ』と、心に不安を抱きながら眠りについたならば、悪夢を見るだろう」

確かに、それはその通りだなと思う。というか、心に不安を抱いたままでは、なかなか眠気がおとずれてくれない。

以前ゲンチャンバが、
「朝起きたら、『今日は一日、他の衆生のためになることをしよう!』と考え、夜寝る前も『他の衆生のためになることを出来ますように』にと考えるといいです。そうしたら、昼間は善行を行い、夜は夢の中でも功徳が積めます。いいことだらけです」

と、にこにこ笑いながら教えてくれた。それを聞いたとき、「寝ながら功徳が積めるなんてなんてお得な!」と思った記憶がある。

それにゲンギャウさんも

「朝起きたとき、他の人のためになることをしようと考えてみてください。実際に出来るかどうかは別の話です。まずはそう考えてみてください。毎朝起きるたび『今日は人のためになることをするぞ』と考えます。そして夜眠る前にその日一日を振り返り、もし人のためになることが出来ていたなら、『今日は私は人のためになることができた。明日もがんばろう』と考えてください。もしその日あまりいいことができず、人を害してしまったなら、気落ちしてしまうのではなくそのことを反省し、『明日こそは人のためになるようにがんばるぞ!』と考えてみてください」

と教えてくれた。

なんだか、とても単純なことのように思えるが、心を訓練するのにとてもよい方法だと思う。

「夜遅くまで問答をして、わからない問題があったりすると、それをずっと考えたまま眠りに入る。すると、夢の中で素晴らしい答えを考えついたような気がする。だが朝になったら全部忘れているという夢をよく見たよ」

と先生。

お寺ではチュラがある時には夜中の12時頃まで問答が繰り返される。問答が白熱してくるとまるで喧嘩をしているような剣幕。早口すぎて、何を言ってるのかとても聞き取れない。
先生も若かりし頃はさぞ熱い問答をかわされたことだろう。

「今晩見た夢を明日覚えてきなさい。宿題だ」

さて、今夜はどんな夢をみるだろう。

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