2010.08.13

アボのパスポート更新と故郷

みなさまお盆は如何お過ごしでしょうか。現在別院では、ゲンギャウとゲシェー・チャンパのお二人しか居られません。龍蔵院の境内は結構ひろいので朝のお掃除だけでも大変です。アボ、ロサン・プンツォ師はパスポート更新のためにインドに帰っています。いまはゴマン学堂に戻っています。さまざまな連絡事項がありますので、ちょこちょこ連絡がありますが、来月まではかえってこれません。

もともとチベットの僧侶の方たちは亡命していますので、国籍がありませんので、パスポートといっても本当はパスポートではありません。

彼らは「Identity Certificate」つまり身分証明書をもっていて、そこには「No Objection to Retern to India」というものがあります。これは「万が一この人をインドに送り返しても構いません」という意味のものです。日本ではそれを有効な旅券としてみなしていますが、これを有効なものであると見なしていない国も沢山あります。ちなみに日本では彼らは「無国籍の外国人」ということになります。

たとえば中国がその代表格です。彼らはインドに亡命したのであたりまえですが、中国には入ることができません。これは生まれ育ったチベットにも入ることができないということを意味しています。万が一、捕まって二度と帰ってこれなくてもいいのなら中国に行ってみることもできますが、命の危険があるので、それはやはり避けて通るべきことなのです。

最近インターネットではスカイプ電話というものがあり、ゲシェー・チャンパやアボは本当に何年かぶりに家族とインターネットを通じて顔をみて話ができました。ゲシェー・チャンパの家族はインターネット電話で話すときでも、久々に会うということでカタをもってきたり大変なことになっていたそうです。アボも実家ではお父さんもなくなったので、お母さんがさびしく暮らしており、本当に嬉しそうに何時間も話をしていました。ご家族もさぞ嬉しかったことだと思います。

チベットの僧侶の方たちは、基本的には自らのことを多く語られません。御寺にお参りにくる人の悩み相談などを通訳していたりしていますが、彼らが自分たちはこんな苦労をしましたといったようなことを語ることを聞いたことがありません。

しかし彼らがどんなに遠い道のりを亡命したのか、そしてどんなに多くのものを犠牲にして仏道へと人生を捧げているのか、ということは身近にいる私たちでも想像を絶するものがあります。そしてそういうことを感じるとき、改めて自分の家族の大切さやこうして彼らが日本で活動してくれていることのありがたさというものを痛感します。

日本で活動していると「あのリンポチェはチベットではどのくらい偉いのですか、上から何番目ですか」といったことを聞かれることがあります。また「○○菩薩ってのはどのくらい偉いのですか。何番目」って聞かれることもあります。もちろんこういう質問をしてはいけないないってことではないのですが、その考えには、すべてのものを物質的にブランド化したり、価格をランキングしてして考えなければそのよさを自分で判断できなくなっている点に問題があります。

先日もゲンギャウが「日本はお盆じゃないですか。それはお祈りをするべき時間だってことですし、いまこそ善業を積むべき時なんですよ」といっていました。お盆にはランキングしたりすることのできない自らのご先祖や家族を思い、そしてその恩を思うのと同じように、すべての生きとし生けるものが幸せになり、苦しみから逃れますようにと強く思うべき時なのではないか、そんなことを蝉がしきりになく声に無常を感じながら思う一日です。


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