『現観荘厳論』第一章の講義です。ジャムヤンシェーパの註釈の上巻42ページあたりです。
『現観荘厳論』は『二万五千頌般若』の註釈ですが、基道果について、その順番に違いがあります。『二万五千頌般若』は、果道基の順番で、『現観荘厳論』は、基道果の順番です。
実際に修習するときは、最初にこの世の相を学ぶ基地→修習過程としての道地→結果としての一切智すなわち果地の順番だけれど、
もし、聞思する場合なら、結果の一切智を学び、それに至る修習過程の道を学び、最後に、その前提となる基地を学ぶべきである。
このため、順番が違うけれど、過失はない、と述べられています。
まだ始めの部分で、偈頌にさえ入っていないわけです。自利と他利の二つについて述べられているらしいけど、他利については、ほとんど触れられていない。多分、今から、触れられるから、証因とかも触れないでいるという感じです。全体像が見えないので、まだまだ、手探り状態です。