私と同行で親しんで下さった方々と
いつも出逢えることができるように
身体や言葉や心を使いこなして
行いも祈りも共有できるように
私のためにと望んでくれていた
善い行いを教えてくれた人々と
彼らとまた常に出逢えるように
彼らを私もまた落胆させぬよう
『普賢行願讃』
この世界には大地の砂の数ほどの生物がいるが、そのなかで人間の身体に生まれることが出来て、かつ仏法に出逢うことができる人たちは、爪先で掬い上げることができる砂粒の数くらいしかいない。そしてこのいまの有暇具足の人身の所依を活用して、来世に再びこの境涯を得ることのできる確率もまたさらに爪先の砂粒の数しかないのである。
一切衆生への大慈大悲を心に抱いている如来や菩薩たちは、常に一切衆生を平等に慈しみ、平等に利益しようとされ利他の活動をしてくれているが、私と苦しみや悲しみを共にして、共に同じ行を行い、同じ言葉を話し、日々を私たちと共に過ごしてくれる人々は極めて限られている。地球上には七十億人も人間がいるが、私たちが一生のうちに出逢うことができる人数は極めて限られており、そのなかでもきちんと言葉を交わし、一緒にお茶を飲んだり、食事をしたりすることが可能な人間はほんのごく僅かしかいない。私たちの日常は客観的に見れば奇跡の連続であり、この奇跡の時を如何に過ごしたらよいのか、ということを常に私たちの側で私たちと同じ目線、同じ時間で語ってくれているのが善知識たちなのであり、そして私たちは友人、知人、偶々集まった積善の仲間たちとこれを受容して暮らしている。
昨日日本別院では、今年の最後の通常祈祷法の修法のまえに、一昨日亡くなられた古い友人の方の追善供養のため、ゴペル・リンポチェとゲンギャウ師が『師供養儀軌』『三品経』『普賢行願讃』を読誦されたが、この時読誦された『普賢行願讃』のなかの一節がこの二偈である。文意は、特に説明することがないであろうが、今生でも奇跡的に出逢うことができた素晴らしいこのご縁が来世以降も必ず常に続き、再びまた同じ時を過ごすことができますように、という祈りの文章である。
会者定離の理を私たちは退けることは出来ないが、同時に同行の二人が常に離れないでいるようにすることも出来ることを仏教は説いている。今生で奇跡の時を共有することが出来た友人たちとは、自分たちがしっかりしている限り、また出逢うことができるのであり、いまはまだ何もわかっていないし何もできないかも知れないが、共に一切衆生の救済のために仏の道を目指して進んでいく限り、私たちはいつの日か共に仏となり、ほかの衆生たちのために一緒に活動することができるようになる。今生での別れはほんの暫しの別れに過ぎないのであって、また再び出逢えた時には、決して彼らを落胆させることのないよう、私たちは奇跡の時で共有してきた意志を、少なくとも再会の時まではそのまま共有し進み続けなければならない。仏教的な別れの言葉は無責任な「さようなら」ではなく「またお会いしましょう」でなくてはならないのかも知れない。
昨日の法要の際には、若いお母さんが小さなお子さんを連れてお参りに来られ、法要の最中にゲンギャウ師はなんどもその子に微笑みかけてあやしていた。その方は以前日本別院で良縁成就のお祈りをお坊様たちにお願いして、素晴らしい伴侶に出会い、無事に本当に愛らしいお子さんを授かられたとのことである。標高3500メートル以上のザンスカールからチベット難民居留区に復興されたデプン・ゴマン学堂の復興に関わられたゲンギャウ師は、不思議なご縁でアメリカ支部を立ち上げるのではなく、日本に滞在されることになった。日本から地元に帰られた後にも、トンデ僧院で管長をされ、常に日本人の参拝客のご案内をし、十年ぶりに広島にほんの一ヶ月ほど滞在されていないのにも関わらず、その最後の法要に偶々参加された、その若く愛らしいお子さんは間違いなくこの奇跡の時を共有することのできる堅固な仏縁をもっていたのは確かであろう。そしてまた、現実にこのように大地の砂を爪先で掬い上げた砂粒ほどの奇跡の時が、私たちが積み重ねてきた祈願と善業の結果として、このようにして続いていくことと思われる。
お二人とも来週にはインドにお戻りになられるが、リンポチェは日本でまた桜が色づく頃にお戻りになられる予定である。同時にゲンギャウ師をはじめゴマン学堂から日本に来てくださった善知識の方々も、桜や紅葉が日本の空に舞う季節にまたお越し下さる予定となっている。本偈のような祈りによって実現していく仏縁というものはこの世で最も貴く稀有なものであり、私たちの最高の財産であり、実に有難いものであることだけは確かであると思われる。