2024年11月20日早朝、深夜便で久しぶりに日本にゲシェー・ロサン・イクニェン師(ゲンギャウ師)が到着されました。
本来は昨日早朝に到着される予定でしたが、日本大使館からビザが発給されたのが一昨日になったため、昨日ゲンギャウは深夜便で日本へいらっしゃることになりました。昨晩も飛行機の搭乗時刻の3時間前には搭乗口にもう着いたと連絡があり、「そんなに早く着き過ぎではないじゃないですか?」と申し上げると「読経をしたりマントラを唱えたりするんで全く問題ない。乗り遅れる心配もないんでいいでしょ」とおっしゃっていました。
今朝は早朝に羽田空港に着き、そこから乗り換えされる予定でしたが、羽田空港でいつまでも待っても出口へと出てこられないので、ひょっとしてあれでも別の飛行機に乗ってしまったのか、とみんなで心配したのですが、どうも入国カードに滞在先でどこの住所を書いたらよく分からず「広島だけではダメなんですか」とか色々聞いたところ、入国ゲートの人たちに「ちゃんとした住所がいるんです。。。」と言われ、携帯電話の電波も届かないので、入国ゲートの人がwifiを準備してくれて、そこでやっと連絡がついて無事に入国することができました。
羽田空港では乗り継ぎ便に乗り換えるために、急いで国内線の搭乗口に向かったのですが、何せ入国ゲートで止められていたので、広島行きの15分前に手荷物のカウンターに着いたところ、今度は法具などがぎっしり詰まっている重たい荷物を預けるため時間がかかり、広島便は一本遅い便に変更してもらい、無事に広島空港に着くことができました。
広島空港に着かれると無事に手荷物を受け取り、「そういえば昔最初に広島に来た時に荷物が韓国でどっか行ってしばらく届かなかったけど今日は無事に届いてよかったですね」とそんな昔話をしながら広島駅に向かいました。
広島駅ではゴペル・リンポチェがお迎えに来られており、少し迷子になりましたが、何とか合流でき、その後は古くからの友人の方のお見舞いに一緒に伺い、その後車で真光院へとお迎えすることができました。
ゲンギャウは車のなかでも、〇〇さんは最近どうしているか、〇〇さんに連絡しなくちゃね、とか結構細かくいろんな方との再会を楽しみされておられたり、また道ゆく看板をみながら、ひらがなの読み方を思い出して読んでみたりされていました。本日はお疲れのため、ゴマン学堂の昔話をリンポチェとお二人でされながら、今日は比較的のんびりと過ごされることができました。明日からは宮島大聖院へと向かい、金曜日の降臨大祭・土曜日の護摩法要の準備がはじまります。
今日もゲンギャウによると昔はゴマン学堂はかなり貧乏で僧侶に朝食のお茶も出すことが出来なかったのですが、ゴペル・リンポチェが入門された頃にはお茶を出すことができるようになり、その後朝食にもパンを出すことができるようになっていったことや、ゲンギャウが寺務局を担当した最初の頃は、僧侶に食料のストックを買おうとしたり、何か修繕をするたびに原資がなかったので毎回誰かに借金しなくてはならず大変だったことなど、その後利益率の高い絨毯工場などを作ったりして、少しずつ財務状態がよくなっていったことなど、チベット亡命難民キャンプにデプン僧院がどのように復興されていったのか、ということの苦労話など詳しく伺うことができました。
これから約一ヶ月間デプン・ゴマン学堂を代表する化身ラマのお一人であるゴペル・リンポチェと長老のゲンギャウとみなさまとの楽しい交流の時間がはじまります。できるだけ多くのみなさまとお会いできるよう、スタッフ一同楽しみにしております。