2024.08.05
ལེགས་པར་བཤད་པ་ཤིང་གི་བསྟན་བཅོས།

歪んだものを補正する

グンタン・リンポチェ『樹の教え』を読む・第57回
訳・文:野村正次郎

歪んだ樹をいくら伸ばしても

湿気があればまた歪んでゆく

悪い性格をいくら矯正しても

切掛があれば本性が露呈する

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歪んだ人間を歪んでいない人間にするのは難しい。それは元々歪んだ木をいくら真っ直ぐに伸ばしても、湿気などがあればすぐに元通り曲がってしまうのと同様である。

木材の歪みや反りというものを完全に無くすことは極めて困難である。そもそも木材として使用する部位は、長い年月をかけて成長して出来ているものであり、外気の湿気を吸収する時には膨張し、湿気を排出する時には収縮しながら出来上がったものであるからである。これと同様に人間の性格や考え方もまた長い年月をかけて培われてきているものであり、私たちの生物としての習性は、今生の人間としての生だけではなく、無始以来の過去からの習性によるものも多いのである。

歪んでしまう木材を、真っ直ぐ伸ばすためには、まずはどう歪んでいるのかを認識する必要がある。そして何故そのように歪んでしまうのか、原因を解明し、歪みを補正し理想の形状とするためにはどうしたらよいのか、ということを正しく知り、元に戻すための正しい補正を行わなくてはならない。しかしこれは一度歪みや反りを直せば、そのまま永遠に大丈夫か、というとそうではない。長くその木材を使うためには、多少の歪みや反りが起こることは事前に予想しつつ、問題が起こるたびに正しく補正しながら維持していく必要がある。

私たちの心もまたこれと同様であり、実直で気高い佇まいであり続けるためには、心の歪みを都度補正しながら、理想とする均質的な状態を維持していかなくてはならない。何故心が歪んでしまった状態とはどのような状態であり、その歪みが起こる原因を解明し、正常な状態へと歪んだ心を補正するための正しい対策を講じて都度心を補正して維持していく必要がある。

この心の歪みを補正し、正常で理想な状態を維持することを仏教では「修習」「修行」という。歪みの原因は煩悩にあり、歪んでしまった心は対象を正しく認識する本来の心の働きを失ってしまい、自己中心的な誤った視座によって対象を屈折して理解する。心に巣喰う煩悩を完全に断じてしまえば、心は永久的に公正な状態を維持することができるようになり、その状態では心は対象を屈折して理解することがないので、常に真実のみを理解することができるようになる。この歪みを完全に克服した状態が「断円満」と呼ばれ、永久的に公正な精神を得ている状態が「証円満」と呼ばれるものであり、この断証の二つの完全状態を得ている状態が、「如来の法身」と呼ばれるものである。

歪んでいく木は、急激にできあがったものではなく長い年月をかけて年輪を重ねながら成長して出来たものである。それと同様に私たちの歪んでいるこの心も無始以来の無限の悪業を重ねながら培われてきたものである。だからこそ数度補正したとからといって、また直ぐに元通りのものに戻ってしまい易いのであり、多少のことでは簡単に歪まなくなる訳ではない。それと同様に何億年も前から私利私欲の追求だけに生きてきた私たちが、突然に慈悲深く、利他行のみを行える人間になれる訳では無い。しかるにこの歪んだ心の補正維持管理は仏の境地を実現できるその日まで、決して精進を怠ることなく、身を変え、生を変え長期計画で継続していかなくてはならないものである。歪んでいるものを補正するのは、一筋縄ではいかないものである。


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