令和6年4月8日(月)宮島・大本山大聖院観音堂ではお釈迦さまの降誕をお祝いする花祭りの法要(釈尊降誕会)が開催され、吉田正裕座主猊下をお導師とし、ゴペル・リンポチェもチベット側の代表としてご出仕になられ、日本・チベットの合同法要が開催されました。
大本山大聖院観音堂では江戸時代までは厳島神社本社本殿の裏にあった本地堂に安置されていた行基菩薩作十一面観音菩薩をご本尊とし、その脇間の弥勒堂ではチベットのラサにあるデプン大僧院の「見ただけで解脱する」と言われている弥勒菩薩像の写しの仏像をお祀りしていますが、この弥勒菩薩の体内には、ダライ・ラマ法王猊下から拝領し開眼していただいた釈尊の仏舎利が安置されています。観音菩薩は三世十方のすべての如来たちの大悲心の象徴であり、弥勒菩薩は三世十方のすべての如来たちの大慈心の象徴であり、すべての生きとし生けものが幸せになり決して苦しまぬように祈りを込めてこの両尊は祀られています。
大本山大聖院の弥勒堂では毎月八日に弊会が招聘しているデプン・ゴマン学堂の師僧たちによる「弥勒五法」のひとつである『現観荘厳論』を読誦する法要を行なっておりますが、毎年4月8日は、日本の暦での花祭り(釈尊降誕会)と日程的に重なっており、平成31年度までは、毎年日本・チベットの合同での降誕会の法要を行なってきました。しかしながら令和2年度以降、世界的なパンデミックの拡大により合同での法要が開催できない状態がつづいておりましたが、このたび令和初の日本・チベットの合同での釈尊降誕会が無事に開催されることとなりました。
法要の終わりには、大本山大聖院吉田正裕座主猊下から、本日がお釈迦さまがルンビニーでご誕生になられたその日であること、その後釈迦族の皇太子「シッダールタ王子」として何不自由ない生活を送っておられた釈尊がそのすべてを投げ棄てて出家なさり、六年間の苦行を経て、菩提樹の下にてさとりを開かれたことが紹介され、私たちがいまこうして何不自由ない、当たり前と思っているこの環境そのものが、決して当たり前のものではないこと、私たちがいま自分たちが当たり前のように日常正解一喜一憂しているこの境涯自体を、もっとありがたいものであると感謝する気持ちを意識的にもつことが大切である、とのお話をいただきました。
法要に際しては、世界中のさまざまな国々からの参拝者が参列しただけではなく、参拝者のみなさまで釈尊降誕像へ甘茶をかけて、釈尊がご誕生された時に神々たちが灌仏をなされたのと同じように、改めて釈尊をお迎えし、日々のこのゆとりのある境涯に感謝しつつ、私たちひとりひとりが慈悲の心を育てていけるようにお祈りしました。
法要終了後にゴペル・リンポチェからは、毎月弥勒堂で唱えている『現観荘厳論』という本は、弥勒菩薩が説かれた教えであること、その教えは釈尊が『般若経』で説かれた教えを如何に私たちが実践していけばよいのかということを説いているものであること、そしてこの『現観荘厳論』という弥勒菩薩の教えそれ自体を現在私たちは普通に当たり前のように唱えているけれどもこの教えを授かるため、無着菩薩は弥勒菩薩から教えをいただくために洞窟のなかにこもって修行されはじめて授かった大変貴重な教えであること、釈尊の次にこの私たちのいる世界に弥勒菩薩が将来お越しになり、釈尊と同じように法輪を転じられ、特に釈尊教えとご縁をいただいている私たちから先に導いていただくことをすでに決意なさっていること、といったことの説明がありました。
午後からは弥勒堂にてチベット大蔵経仏説部の奉納作業のひとつである仏説部第五 經部 32帙のひとつずつの整理や長期保存ための準備作業などが行われ、8割ちかくが終了いたしました。次回の法要は2024年5月8日(水)となります。