大宝のような心は根を張り巡らせる
壮大な二つの資糧が枝を広げている
三身の果実がよく実って垂れている
仏 大木のような君を私は礼拝する
深い森のなかを歩いていくと巨大な樹に出逢うことがある。砂漠化した荒野を歩いていくと巨大な樹に出逢うことがある。最初は遠くからそれを見かけただけであるが、不思議にその樹に引き寄せられていく。一本の大きな樹を取り囲むようにして、さまざまな生命がそこには宿っている。その巨大な樹を中心として、草木も生い茂り、その樹を目印にしているのかのように、鳥たちもそこに集まって、美しい音楽を奏でている。歩き疲れた旅人たちもこの樹の大きな枝の下で、しばしの休息を楽しむことができる。この樹がいつからここに生えているのかは分からないが、この巨大な樹は生命の樹ともいえる生物に恵みをもたらしてくれている。
輪廻に彷徨い続けている私たちにとって如来たちもまたこの大木と同じような存在である。わたしたちすべての生きとしいける者たちを偏りなくすべて幸せになれることだけを望んでくれている。決して私たちが荒野や樹海で彷徨って苦しむことがないように、彼らはその大きく広げた枝のような福徳と智慧の二資糧で、私たち衆生を利益しつづけている。巨大な樹の下で私たちが安心して休息をとることができるのと同じように、私たちは如来とそれを目指している菩薩たちと触れ合うことで、心安らかに静謐な時を過ごすことができるのである。巨大な樹木が、数えきれないような果実を毎年実らせてくれ、辺りの植物や動物たちの生命の恵みとなるように、如来たちは、如来の精神を引き継いでいる法身を生み出し、しっかりと存在感のある次世代の樹木となる受用身を生み出し、その樹木が彷徨いつづけているさまざまな生物たちに恵みをもたらす変化身を生み出している。どんなに遠くからでもその大木を見失うこともないのと同じように、そしてしばらくそこから離れていてもふたたびその大木を見かけるとそこに安心と休息をもとめて心が惹かれていくように、私たちはどんな時にでも、どんな場所にいても、仏たちの存在に思いを寄せるだけで、心はそこに惹かれてゆき、そこに安心と静けさや落ち着きを求めてしまうだろう。
これから読んでいきたいのはグンタン・リンポチェの『樹の教え・二つの教えの百の枝』という百偈ほどよりなる詩篇である。以前ここでこの『樹の教え』の続編として執筆された『水の教え』を翻訳しながら簡単なエッセイを連載したが、『水の教え』は本編『樹の教え』の続編として書かれたものであり、「樹は水で育つ」というコンセプトに基づいて、すべての仏教の要点を過不足なく水に関する風景とともに記したものであるが、こちらの『樹の教え』は執筆されてすぐに、多くの読者を魅了した、グンタン・リンポチェの記した最高傑作のひとつである。
新型感染症の感染拡大の早期終息を願い『水の教え』の翻訳は完成したが、その後混乱の余波がこの世を騒がし続けている。日本では宗教への嫌悪感を煽動する報道が毎日のようになされており、この同じ地球上で人間の人間による殺戮が行われつづけている。私たちが本来目指すべき場所、その指標を決して見失わないように、このグンタン・リンポチェの教えをみなさまと共有したい。