2022.05.17
ཐོག་མཐའ་བར་དུ་དགེ་བའི་སྨོན་ལམ།

梵行の修行者であり続けるために

ジェ・ツォンカパ『初中後至善祈願』を読む・第3回
訳・文: 野村正次郎

生まれた後には直ちに有の享楽を

決して貪らずに解脱を得るために

出離の意志で梵行を追求するために

努力を怠らずに進んでいけるように

3

私が出家しようとする時には

隣人や親族や環境のすべてが

妨げとなることもないままで

思い通り順縁が実現するように

4

出家した後には生を終えるまで

戒師・阿闍梨の御前で誓った通りに

本性上あるいは制約上の定めを越える

違犯を侵すなどは決して為さないように

5

今後、死後、生まれてくる時には、必ず再び人間に生まれ、人間に生まれるだけではなく、正法を享受して実践できる殊勝な有暇具足の人身を得られることをはじめに祈願した。それに引き続き、単にその有意義な所依を得ているだけで満足して、無益に人生を過ごしてしまってはならず、正法を実践するために正しく規則正しい最適な生活を送りながら、正法を成就していかなければならない。その規則正しい生活をするためには、如来とその弟子たちが推奨してきた生き方の規則に則って生活したい、つまり別解脱戒を受戒したい、という思いを強く固めなければならない。戒律を授かろうとする思いが固まったら、戒律を授かって在家の生活を捨て出家の生活をするために逆縁がなく、順縁が整わなければならず、その環境要因が整っているのならば、その機会をさらに有効活用するために、決して戒律に違反することなく、戒体護持のままその生における生涯を終えるように努めなくてはならない。

それでは戒律を授かろうとする思いをどのように起こすのだろうか。まずこの娑婆世界に再び有暇具足の人身を得ることができたのならば、まずいまここに再び生きていることの意味を自覚することからはじまる。再びここに生まれて来られたのは、過去の善業の結果であり、重要な使命をもって私たちはここに再び生まれて来られている。だからこそまず何のためにここに来たのか、ということへの自覚が必要となる。ここに生まれてきたのは、他の衆生たちのために、ただ享楽的に幸せを追求し、苦しみを避けるためにありとあらゆることをするためではない。神々を供養して天界に生まれようとしたが失敗してここに生まれてきた訳でもない。苦行や禅定に励んで悪業が少なくなったが天界に生まれることができないで人間に生まれてきた訳ではない。苦苦と呼ばれる苦痛を避けるために努力をすることは動物たちでさえ日々していることである。壊苦と呼ばれる快楽を追求しないために苦行という誤った修行をしてきた訳でもない。私たちが有暇具足の人身を得られているのは、苦しみの本質である、輪廻、あるいは五蘊盛苦を避けるために善業を行った結果、いまここに再びやってきている。それは私たちが無限の衆生のため、無限の祈願をなしたことの結果であり、如来や菩薩たちと同じように利他の活動をするために再びここにやってくるために祈願をし、その祈願が成就していまここにやってきているのである。だからこそ、かつてこんな輪廻から解脱したいという出離心を起こしていたのと同じように再び、ここは長く留まるべき場所ではなく、輪廻から解脱したいというこの出離心を再び私たちの心に再現していかなければならないのである。

生きるということ、老いるということ、病気に苦しむということ、死んでいく、ということ、これはどんな時代にどんな場所に生まれて来てもすべて同じ現象である。どんな国、どんな街、どんな家庭に生まれても、それらのことがすべての人々を苦しめ続けているのであり、この世の問題は何も解決していない。私たちは生活のために、畜生のように生きるのをやめ、自己中心的な価値観で猜疑心や競争心に左右される普通の人間の生き方をやめなければならない。そのためには、かつて釈尊がカピラヴァストゥの王子であられた時、ただ独身主義を貫き乞食の生活をしている、梵行の遊行者の生活こそが、理想の生活であると思われたのと同じように、不要なすべてのものは捨てて、必要最低限だけのものをもち、最高の財産であるこの有暇具足の人身を活用し、家や故郷などのすべてのしがらみを捨て、梵行者となるための準備をしてゆかなければならない。釈尊もかつては由緒正しい王家に生まれ、王子としての為すべきことをすべて為し終えた後に出家なされたように、梵行の遊行者としての生活をはじめるためには、それぞれ在る程度の準備が必要である。それと同じように私たちも再びここに生まれて来たのなら、ただちにその準備をして、出家しようという強い意志を固めていかなければならないのである。

在家の息子として生まれて来て、その家を捨て、出家の遊行者となる、ということは、私たちだけでできることではない。私たちは小さな人間の共同体に生まれてきて、家族や親戚だけではなく、使用人や従業員、家来などがいる場合もある。家長として相続すべき財産を管理しなくてはならない場合もあり、いくら自分が出家したいと思っても、周囲の者からは出家してほしくない場合も多くある。

出家をすることと家出をすることは、字面は似ているが、まるで違うことである。生まれてきたその瞬間から、両親の人間関係でまだ子供なのに結婚相手が決まっていたりする場合もある。出家をして独身主義を貫き、沙門として供養されて生活がしたい、といくら自分勝手に思っていても、そうしない方がよい場合も多くあるのである。まずはよちよち歩きの状態では他の出家者に迷惑がかかるし、自分の意志を自分で伝える能力がなければ出家しても、僧院で邪魔になるだけである。まずは実家で最低でもひとりで畑を荒らすからすを追い払えるくらいの能力が身に付くまで成長し、両親の許可を得て、実家のある村の長の許可を得て、受け入れ先の僧院でも、いまの両親の代わりに一生面倒をみてくださる先生の許可がなければ出家することはできない。

しかるに出家したいという決意を固めた後には、周囲の者もそれに反対しないで、私たちの決意を納得して応援してくれるような状態になるように心から望まなくてはならず、周囲の者たちがまだ心から納得しておらず、猛烈に反対されている場合には、しばしその機会を待たなければならないのである。これから仏位を成就するために何度でもここに再び生まれてくる時には、そのようなことも無限に起こり得る。だからこそ、すべての生物の死や生の問題と向き合って暮らす梵行の修行者たらんと出家しようとする人がいた場合に、どんな時でも何の問題もなく滞りなく、それを積極的に応援したいと思い、周囲の者もその思いが共有できるように祈らなくてはならないのである。

出家したいという願いが周りの者にも通じて、出家できた場合には、戒律を授けてくれる戒師の前で誓ったこと、密教の行法を教えてくれる阿闍梨の前で誓ったこと、そのすべてを正しく一生護り続けるように常に心がけなければならない。戒律には、本質的にこれは慎むべきであるという規則、出家者の手段生活上慎むべき規制などの様々なものがあるが、そのすべての規則の細則にいたるまでを、たとえ生命に危険があっても、護持しようしなければならない。これは無限の衆生のため、そして自分の過去世の希望通りいま再びここに在れたことの使命であり、梵行の遊行者の生活をする選択を応援してくれるすべての人の心の底からの期待に応えるということである。だからこそ、まずは自分自身で自分の生活を常に振り返り、彼らの期待を裏切ることはなく、この先の未来の無限の生において、出家できた場合には、戒体護持を全うできるよう、心に強くその希望を刻むのである。

釈尊もかつてすべての修行者に戒律を授けられ、その戒体護持をする者たちに説法し、そのことで弟子たちの生は明らかに異質なものとなり、それは絶対的に善なる方面へと変化した。それは釈尊が涅槃に入られる前に最後に教えた最高の音楽家や外教徒の師匠もまた同じである。戒律は修行の土台であり、すべての衆生に直接影響を与えることのできる利他の行為、非暴力の実践とは、戒律護持にこそある。

本詩篇を著したジェ・ツォンカパも、アムドの家庭に四男として生まれ、2歳くらいで在家の優婆塞戒を授かり、7歳の時に師トンドゥプ・リンチェンから沙弥戒を授かり出家し、「ロサン・タクパ」という僧名を授かった。その後16歳の時に中央チベットへと赴くまで、師トンドゥプ・リンチェンの元で育てていただいた。ジェ・ツォンカパが中央チベットへ仏教の学習を極める時に、どのように学ぶべきなのか、具体的に仏典の名前や学ぶ順序、学んでいくべき内容を課題として教えたのもこのトンドゥプ・リンチェンであり、トンドゥプ・リンチェンはジェ・ツォンカパの聡明な姿を見て、3歳の時から両親の元へと出向き、家畜などを献上した上で、自分が大切に育てるので、自分にどうか預けてくれないか、とお願いをしにいっている。ジェ・ツォンカパの父君も喜んですぐに快諾したが、縁が整うまでに数年間かかっていることも確かである。

弊会の創始者であるケンスル・リンポチェはゴマン学堂の元僧侶の家庭に生まれ、ご実家はデプン僧院の寺領を管理する仕事をしていたが、小さな時より父親の悲願を叶えて欲しいという期待を背負いつつ、本人の希望もあり出家されることとなったようである。ゴペル・リンポチェの場合には、長男のアボと次男が出家してしまったので、三男であったリンポチェが出家しようとしたら、最初は父君が猛烈に反対されたとのことである。しかし、どうしても出家したいというご本人の希望やほかの家族の支援もあり、父君は考えを変えるようになり、兄弟と一緒にリタン僧院へと出家して、入門することとなった、とのことである。出家された時には、いまのように「リンポチェ」でもなかったし、ただの子供であったが、不思議な縁で、出家され、ダライ・ラマ法王から化身ラマに認定され、インドに亡命し、ゲン・ロサンの元ですべてを教えていただくことになり、そして日本にも不思議な縁で来られることになった。

ダライ・ラマ法王がよく私たちは「過去世でたてた祈願の力」あるいはそして「過去になした業の力」によっていまここに集っている、とおっしゃっている。日本でもダライ・ラマ法王は何度も灌頂を授けられ、そのたびごとに私たちは在家の優婆塞戒を授かったり、菩薩戒を授かったり、三昧耶戒を授かって来た。この機会は誰にでもあるものではないし、機会があっても実際にそれを授かれた私たちは大変幸運な運命を生きている。

私たちは、たとえば今生で出家できなくても、いまのこの生涯は如来や師の面前で立てた誓いを片時も忘れることなく、来世にも、そしてその来世でも継承し、可能な限り出家の梵行の修行者となり、非暴力の実践を行うのに相応しい生き方を毎回実践していかなければならない。ここの三偈では、無限の衆生を利益するため、如来の大慈大悲の非暴力の伝灯を継承するために、如何に生きるのか、ということを常に自ら選択できるよう祈るものである。

デプン・ゴマン学堂で解脱のために禅定に励む若い僧侶たち

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