釈尊は大乗と小乗の法輪を無数に転じられて、無数の神々と人間たちを教化されたので、御歳80歳の丑年には、釈尊に退散させられて以来活動休止状態になっていた魔王が、もう充分仕事もなさったので、そろそろどうか涅槃してもらえないだろうか、と打診してきた。釈尊は、ご自身が教化しなくてはならない弟子としては、音楽家でガンダルヴァのスナンダと外道の師スバドラの二人だけが残っていたので、三ヶ月後に涅槃しましょう、と申し出を引き受けられた。
そこでまずは音楽家のスナンダを教化するために、瑠璃の胴体をもつ千本の弦をもつ琵琶を持ち、ガンダルヴァの姿の化身を示現して釈尊はスナンダの家の外へと赴かれた。スナンダハは世界のなかでは自分以上の音楽家はいないはずなのに、家の外から自分と同じくらいの演奏をする音楽が聞こえてきたので、家の外にでてみると、釈尊が美しい演奏をしているので、一緒にそこで自分も演奏してどちらが名手なのか競うことにした。両者が演奏していると弦が一本切れ、一本切れ、遂には弦がなくなってしまっても、釈尊の名演奏は決して止まることなく、妙なる旋律を奏で続けていたので、スナンダは自分よりもすぐれた音楽家がこの世に存在することを知り、慢心が癒えたので、釈尊は仏の姿を化現して彼に説法したところ、スナンダは預流果を得て仏弟子となることができた。
その後クシナガラで涅槃の相を示されるためにアーナンダに命じて沙羅双樹の下に北枕にして右脇を下に、獅子が眠るように臥しておられたところ、百二十歳にもなる外道の師スバドラがやってきた。釈尊は彼に四諦八聖道の説法をされると彼もすぐに真実を現観したので、こちらに来なさいとおっしゃって具足戒を授けられ、彼は阿羅漢果を得て釈尊より先に涅槃してしまった。
こうしてすべての教化すべき弟子の教化が終わられると寅年の4月15日の深夜クシナガラの沙羅双樹の下にて、涅槃の相を示されようと釈尊は弟子たちに「比丘たちよ、仏法僧や四聖諦に質問がある者がいたら聞くがよい。」とまず説かれ、それからそして上半身の衣を脱がれて「比丘たちよ、如来を見ることは得難いことなのである。如来の身体を見るがよい」と如来の身体とは如何なるものかを確認させた。
そして次に「比丘たちよ、しばし何も語るではない。このようにすべての有為は滅する本質をもっている。これが如来の教えの最後のものである」と仏教とは何かを確認させた。
その次に釈尊は四禅・四無色・滅尽定などの禅定へと入定したり出定したりされる様子を弟子たちに見せ、禅定が進化していく過程を見せながら、そのまま涅槃へと入定されたのである。
以上が寅年の4月15日の深夜クシナガラの沙羅双樹の下にて、釈尊御年81歳になられた時に、すべての衆生に「涅槃の相を示現した」という逸話である。
これはあくまでも知性の力の弱い衆生たちをも対象として見せられた涅槃の共通の行状であって、実際には釈尊は虚空無辺にいたるまで無数の色身を化現しつづけられており、またその活動も決して途絶えることもなく今日でも続いている。
釈尊が敢えてすべての人間が見えるような形で涅槃のやり方を見せられたのは、如来たちがこの世界に降臨することが極めて貴重な機会であり、それが貴重な機会であった、ということを教えるためである、とするのが標準的な仏典に共通したこの逸話に対する捉え方である。
すなわち釈尊が涅槃されたのは、死を超越する解脱と涅槃の境地にどのように至るのか、ということを実際に見せるということを目的としているのであり、兜率天から降下からはじまり涅槃の相を見せる、というところまでの如来の十二の行状のすべては、すべての如来が人間たちを教化するために地上で行われる役割と同じものであり、閻浮提に第四番目の最勝化身として降臨された釈尊もまた涅槃の相を見せられるのも当然ということになる。そして同時にたとえこの閻浮提の世界では、涅槃の相を見せられても、同時に他の百千万の世界では、降誕の相を見せられていたり、王宮で学問をしたり遊戯されていたり、転法輪をされていたり、涅槃の相を見せられたりしている、とするのが釈尊の涅槃に対する共通した見方である。
涅槃とは、小乗の学説論者である毘婆沙師と経量部の解釈では、煩悩を断じた択滅のことであると定義され、唯識派では煩悩障を断じた法界たる択滅のことであると定義され、中観派でも煩悩を断じた択滅のことを涅槃とすることには変わらないし、これは滅諦そのものであり、すべての煩悩を断じ尽くしてすべての苦しみが起こってこない精神の状態のことを涅槃と呼ぶことは大乗であろうと小乗であろうと変わらないし、死と涅槃が同じものであると述べる仏教の学説などまったく存在しない。
しかるに釈尊の涅槃とは「釈尊が亡くなられた」「人間釈尊が死んだ」とするのは、大乗の伝統にしても小乗の伝統にしてもまったく正しくない言明である。何故ならば、涅槃は死ではないからであり、もしも「釈尊が死ぬ」という命題が成立する限り、「釈尊が有漏の身体をもっていて苦を滅していない」ということになり、「釈尊が煩悩を断じて滅を現証して仏となった」ということも成り立たなくなり、そのようなことは、人間である釈尊が成道して仏となったと考える小乗の教義でも論理的に破綻している、ということになるからである。
非常に残念なことに近年では「ブッダは毒キノコを食べてその毒にあたって亡くなられた」と間違った情報を流している人も多くいる。仏教学者と名前のつく人たちもこれと同じようなことを述べている人たちも多くいる。しかし、これも涅槃が死ではないのと同じ原理であり、ブッダが有漏の身体をもっていないのならば、毒キノコの毒で身体を毀してしまうこともあり得るだろう。しかしそもそもブッダとは、そもそも有漏のすべてを断じ尽くした存在なのであり、煩悩をすべて断じているので、病気にもならないし、死にもしない。そして毒キノコを召し上がろうと、その毒を甘露へと変化させて不死の境地の滋養とされると考える方が自然なのである。しかるに「ブッダは毒キノコを食べてその毒にあたって亡くなられた」という言明は「オリンピックの走り幅跳びで優勝した選手が、体調不良と老化のため10cmの溝を飛び越えられずに転んで死んだ」というくらい下らない言明であると理解するべきであり、そのような情報に翻弄されるべきではない。
私たちは限られた時間、限られた出会いのなかで、この世で死ぬまでの間、時を過ごしている。釈尊が涅槃の相を見せられたのも、この私たちの時間が限られており、私たちがいま享受しているもののほとんどが無常であるということを示されるためである。如来が示した身体の本質は、物質としての色身だけではなく、物質的な身体に注目していては、如来の本当の姿を私たちは見ることができない。
仏教の思想の核心は、慈悲と縁起にこそあれ、その縁起とは次のようなものである。
諸法は因によって生じたものである。
それらの因を如来は説くのである。
またそれらの滅をも説くのである。
偉大なる沙門はこのように説いている。
釈尊はこの偈を唱えた時、
「観自在よ、この縁起は如来の法身である。縁起を観る者、彼は如来を観るだろう」
と説かれている。十二の行状を示された色身としての釈尊を対象としていくら観想しても私たちは解脱の境地を得ることができないし、釈尊の物質身体だけを礼拝するのは、真の礼拝とはいえない。真の礼拝とは、釈尊の身体・言葉・心の三つを対象に、釈尊に向かって合掌し、「如来を礼拝します」と自らのことばで口から言葉を発し、心に如来の慈悲と一切相智の無量の不可思議なる功徳を思いながら崇敬の念を自ら起こしてひとつの礼拝となる。