釈尊は、無上菩提を得るまではこの座から決して起き上がるまい、と決意し、坐につかれると十方の菩薩たちがこれを祝福しにやってきて、十方の如来たちは、釈尊が人間の肉体をもちながら、これから成道される、と宣言した。欲界に君臨する、ならず者たちは、これを聞き、釈尊が菩提への道に至るのを邪魔するため、ありとあらゆる武器の雨を降らしはじめ、妨害工作を開始した。
釈尊は眉間の白毫から周囲のすべての魔物の領域を破壊するひとすじの光明を放った。この光明は三千大千世界の魔物たちのすべてを震撼させ、大地は六種類に振動した。
釈尊の白毫から放たれた光明に身震いした魔物たちは、釈尊が自分たちを挑発しているのだと思い、号令をかけて多くの大軍を率いて集まってきた。彼らの姿は実にさまざまであった。恐ろしい武器をもつ者もいた。恐ろしい表情をしている者もいた。人間の肉を食べている者もいた。恐ろしく醜悪な顔をしているものもいた。ある者には頭が千もあり、ある者は頭すらない者もいた。腕が千本ある者から腕がない者までいた。足が一本しかない者から千本ある者もいて、足すら無く胴体だけの者もいた。彼らは阿修羅であったり、夜叉であったり、羅刹出会ったり、食肉鬼であったり餓鬼であったりしたが、その正体は一体何だか分からないほど醜く恐ろしい姿をしていた。
醜悪な姿をした魔物たちは、釈尊が帝釈天や梵天や阿修羅の王たちまでも釈尊に合掌して礼拝しているのを不快に感じた。八十由旬の空間を満たすほど集まってきた夜叉や魔物の軍勢にも、釈尊の姿をみただけで戦意を失い、釈尊に自然に崇敬の念を生じた者も大勢いた。だからこそ魔物たちは尚更一層釈尊に対する憎悪を炸裂させた。この修行者は神々たちから祝福はされているが、ただ独りの修行者に過ぎない。こちらの魔物の軍勢は無数である。彼が一体どんなに素晴らしいことをしようとしても、こちらの無数の軍勢には決して敵う訳がない。彼らはそう憎悪をひとつにして釈尊を攻撃しようとしてきた。
釈尊はこのあまりにも哀れな魔物たちが憎悪で熱り立っているのを鎮めようとして、御自身の口のなかに彼らを入れようとなされた。すると魔物たちはその力があまりにも強いので、警戒し一旦退去しようとした。しかし特に何も起きなかったので、再び攻撃体制を組み、矢や槍などの無数の武器を雨のように釈尊の頭上へと降らせた。しかし釈尊は微動だにすることもなく、武器は釈尊に近づくと美しい華の環や瓔珞や天蓋となって、菩提樹を荘厳するものへと変化した。釈尊は右手で頭を触る仕草をされると、魔物たちは釈尊の手に剣があるように見えて、一旦退去したが、何事も起こらなかったので再び武器の雨を降らしたが、それらはまた花吹雪に変化して、菩提樹の美しい荘厳へと変化したので、魔物たちの嫉妬と羨望は絶頂に達し、憎悪の念を込めて釈尊にいった。
「若者よ、おまえはここでそんなことをするのをもうやめて、実家に戻って王家を継ぐべきだろう。おまえ如きの功徳では、解脱の境地など一体どうして得られるだろうか」
釈尊はしっかりとした深い洞察と威厳のある美しい声を発せられ魔物に声をかけおっしゃった。
「あなたはいままで一度衆生から貢物や供物を捧げられて欲界の支配者にいまなっている。しかし私は無限の過去から供養されてきたのであり、私自身の手や足や眼や頭などを切り取って、それを望む衆生たちにこれまで施してきたのである。すべての衆生を解脱させ、救済するために私は住んでいる家も財産も食物も、ありとあらゆるすべてのものを、それを乞う者たちに与えてきた。」
魔物は調子に乗って言った。
「お前が言うように我こそは供物を捧げられて欲界の支配者となっている者であり、おまえはその証人である。しかしお前が無限の回数供物を捧げられてきた、ということに一体証人でもいるというのか。訳の分からないことを言っても、この戦いはお前の負けである。」
釈尊は
「魔物よ、この大地が証人である」
とおっしゃって、無数の劫にわたり無量に積集した善なる資糧の結果である、美しい右手の先で大地を触れられた。
釈尊の右手が大地に触れた瞬間大地は六種類の揺れ動き、重低音が鳴り響き三千大千世界に轟いた。大地からは無数の土地神の眷属を連れて、大地の女神が出現し、釈尊に合掌して「それはまさにその通りでございます。私たちはそれを目撃させていただきました。しかし私たちが目撃しそれが正しい知であるというまでもなく、あなたご自身が天界と人間界のすべての証人であり、あなたご自身がすべての判断基準となられた方なのです」と述べ、魔物を非難し釈尊を賛嘆して、地中へと戻っていった。
魔物はかなり落ち込み、大変恥ずかしい思いになった。しかしいまだ慢心も癒えることもなかったので、退去の号令をかけることもなく、軍勢にしばらく攻撃を待機するように命じた。釈尊が奸計に騙されるかもしれないので、その隙を伺うこととした。魔物は自分の娘たちに命じて魔性の三十二の誘惑を作り出し、妖艶な女たちは強烈な性愛で釈尊を誘惑しようとした。
釈尊はいくら妖艶な女たちが誘惑しようとも、決して動じることもなかった。彼女たちに目移りすることもなく、ただ微笑を浮かべて、「性欲は苦しみの根本であり、性欲に耽けり欲望は増大し、それは自己のためにも他者のためにも一切役に立たないものである。あなたたちがどんなに淫靡に誘惑しても全く無駄である。須弥山が動こうとも、大地がなくなろうとも、太陽や月が落ちてこようとも、私があなたたちに靡くことなど一切ない。」こう諭されたのであった。
釈尊がこう魔物の娘たちを諭されると父である魔物は、そうはいっても何とかならぬものか、と娘たちに何とかするように命じたが、魔物の娘たちは
「これだけの誘惑をしても彼は一切動じません。彼のような人は天界にも人間にも全く存在しません。他の神々たちがやっているように彼を礼拝して供養するべきことが得策でしょう。私たちが彼をどんな手段によっても打ち負かすことなどできやしないのである。この戦は私たちの負けですので、もう撤退するしかありません。」
と述べて敗北を素直に認めて撤退するよう進言した。
すると菩提樹を守っていた女神たちは十六の特徴を述べて釈尊を礼拝し、それと同時に浄居天たちが魔物たちの軍勢を散開させ、七日間は再び軍として集結できないようにした。
それでも魔物の王は諦めきれなかった。しかし魔物たちの多くの者たちは、釈尊への敵意は完全に癒え、尊敬と崇拝の念を強く持つようになった。そのなかには自分たちも釈尊と同じように衆生のために覚りを目指そうと発心したものも無数にいたので、遂にすべての魔物たちは釈尊との戦いに敗北したことを認めて、撤退することとなったのである。
魔物たちが撤退したことにより、これまで菩提心を起こすことができなかった無数の衆生たちもこの釈尊の降魔をきっかけとして菩提心を起こすことができたものが多くいた。
以上が、釈尊が金剛のように堅固な菩提心の力と、すべてのものが幻の如く無我であると看破される智慧の力により、この三千大千世界のすべての魔物たちを弱体化し、魔物たちを改心させて戦意を失わせ、その軍勢のすべてを敗北させ完全に撤退させられた、という行状である。