2021.05.19
སྟོན་པའི་མཛད་རྣམ་སྙིང་བསྡུས།

成婚

釈尊の行状(8):カピラヴァストゥの皇太子と皇太子妃
訳・文:野村正次郎

皇太子妃の条件

釈尊はある日、農村を家来の誰も同伴せずに、ジャンプ樹のもとで座禅をして第四静慮まで到達してそのままその禅定に留まっておられた。他の国の仙人たちや誰にも邪魔することができず、その姿は帝釈天や梵天を圧倒するほどであった。釈尊がなかなか城に帰ってこないので、浄飯王は心配して誰か王子を見かけた者はいないかと聞くが誰もみていないので、行方不明になった王子の捜索をさせるとジャンプ樹のもとで座禅をされているのが発見されたので、浄飯王はそこを訪ねて連れ戻そうと近づいて、息子が座禅をしているのを遠くから観察した。息子の姿はそれだけで周囲の世界を圧倒し、王子を迎えにいった家来たちも菩提心を起こしており、王子は父浄飯王に「農業を大切にしなくていけません。他のものから与えられてもないのに、それを要求して奪おうとするのはやめましょう」と必要以上に税を徴収しないよう父に説くなど、この王子の心のなかでは既に出家の修行者となる決意が固まっているようであることは、父浄飯王にも周囲にも気づく程度となっていた。

その後カピラヴァストゥの城では、釈迦族の長老たちは浄飯王を囲んで次のように進言した。

「王子がこのまま出家すれば、ブッダになるでしょう。これは生まれたすぐ後から様々な占い師や仙人が言っていた通りのはずです。しかし王様。同時に彼らの予言では、出家しないで在家のままならば転輪聖王となる、とのことです。」「もしも王子が転輪聖王になってくれるのならば、東西南北のすべての国を我が国は武力行使しなくても支配できるようになります。そうして我が国は最大の法治国家となっていくのが期待できます。」「王子はなるべく早く婚約させて結婚させ、王子がのぞむだけの沢山の人数の妃を娶らせれば、きっと快楽に耽って出家しようといった考えも起きなくなるでしょう。」「王子が結婚して転輪聖王になれば、私たちの一族は転輪聖王の家系となり断絶しませんし、ほかの民族からも尊敬されますよ。ですから、王子をはやく沢山の妃と結婚させましょう。」

浄飯王は先日王子の座禅をしている姿を見ているので、これは大変名案だと思い、その通りにしようといい、長老たちに王妃の候補として相応しいものはいないか聞いたところ、釈迦族の五百人のものたちが「うちの娘こそが王妃の候補として相応しいものです」と答えるので、浄飯王は「王子が無比なる者であるからこそ、王子自身にまずは聞いてみましょう。王子の気に入る皇太子妃として迎えるのが相応しいでしょう」といって家来たちと一緒に王子のところにいって一体どんな女性を妃として迎えたいかを聞いてみた。すると王子は一週間ほど考えて返答したいと告げた。

そこで釈尊は次のように考えた。そもそも愛欲の過失というのは無限である。愛欲はさまざまな争いごとを生んだり、恨みを生んだり、悲しみや苦しみを生み出す根本である。彼らがどんなに多くの妃を娶らせたからといえ、どんなに多くの妃に囲まれたからといって私は彼女たちを色欲の対象としてみることもないし、むしろ森のなかで静かに座禅をして暮らしたいところである。しかし泥のなかでも美しい蓮華の花がひらくように過去の菩薩たちも優秀な家族や眷属に囲まれて多くの衆生を導いた。過去に出現した菩薩たちも妻や子や側室や美しい侍女に囲まれて愛欲を求めることなく禅定を求めた。私が求める妃の候補は、まずは品行方正であるべきである。容姿や年齢や家系や民族も問わないが、それらに問題を抱えていない者がよい。そこで釈尊は次のような意味の詩頌を作って返答とすることとした。その詩頌の内容は次のようなものである。

「私の求める妃とは次のような者である。まずは品行方正であれ、節度のあるものである。さらに容姿を誇ることもなく、まずやさしい心を持っていることが大切である。他者に自分のものを与えることを喜びとする者がよい。修行者を日常的に供養し、年齢はそれほど重要ではないが容姿端麗であるがそのことを自慢しない者がよい。自己中心的ではなく、頑固でもなく、怒りっぽかったり嫉妬深かったり、誤魔化そうとしたり騙そうとするようなことのない心の真っ直ぐな者がよい。貞節をまもり自制心をもち、どんな時も奢り高ぶることもなく、尊大になることもなく、誰に対しても侍女のように接するような者が望ましい。暴飲暴食をすることなく、少欲知足であり、財宝などの物欲を貪らない者が望ましい。つねに真実を重んじて軽率ではなく、節度のある衣服を来て、適切な羞恥心をもつことが望ましい。誤った宗教的な儀礼に執着することもなく、自分自身の行動・言動・考えを清浄に保とうとする者が望ましい。目上の者たちには宗教的指導者と接するように正しく接する者であり、身分のひくい者たちに対しても自分と常に対等に接する者が望ましい。」

釈尊はこのような内容を詩頌のかたちでしたためて、七日後に王に返答として渡したので、王は家来たちに命じてそのような女性を皇太子妃の候補としてひろく募集することとなった。

皇太子妃の募集から婚約

そして「家系を問うことはないがこのような美徳を備えた者がいれば王室に知らせよ」という広告し、王室の補佐官を務めていた婆羅門もまたこうした美徳を身につけている者を婆羅門から奴隷までのすべての家系を問うことなく妃の候補者の捜索することとなった。世界の最初の王である釈迦族の王の妃となることは、すべての家族にとってこの上のない名誉なことであり、どの家庭でも娘たちが何とか王子の妃となれればよいと必死になって娘を再教育し、若い娘たちも王室に迎えられることを夢みて、自己の美徳を王子がのぞむように磨くことに邁進した。

王室の補佐官は様々な家々を訪ねては妃の候補となる者を探していったが、あるとき釈迦族のダンダパーニ家に入ると絶妙なる美しさをもつゴーパーという名の娘に出会った。この娘は大変有名であったので「ヤショーダラー」(有名な娘)とも呼ばれていた。王室の補佐官はこの娘がいいと思い、彼女に王子はこのように大変すぐれた特徴を備えたものであるが、その王子が記したこのような詩頌があり、現在妃の候補を探しおり、どうかと打診して釈尊の記した詩頌を見せた。

するとその娘は「ここで求められている美徳を少なからず私はもっていますが、王子がもし望まれるのならば王子もご遠慮なきようよろしくお願いします」と補佐官に伝えた。

補佐官は妃の最適な候補が見つかったと思ったので、浄飯王に報告すると王は大変喜んだ。しかし皇太子妃の候補はひろく募集し、皇太子妃の候補も推薦された者や自己申告の者まであまりも沢山いたし、実際にそのような功徳をもっていなくても嘘をついている深刻しているものもいるだろうから、浄飯王は金銀や宝石で「憂いなき宝石の器」(アショーカバーンダカ)と呼ばれるものと数多くつくり、妃候補をあつめて、嘘の申告をして候補としたものがいないか、好みかどうかも王子に選ばせて、王子の眼に叶った者がいれば、それを渡すようにと伝えた。そうして家来に命じて、「王子は妃候補に一週間後に謁見されることとなった。妃の候補は全員そのとき宮殿に集合せよ」と妃候補たちが集まるようにした。

ゴーパー・ヤショーダラー妃との出会い

一週間後、宮殿には大勢の妃候補が侍女などをも連れて、大勢集合した。浄飯王は王子がどの娘を気に入るのかを報告せよと家来に王子の謁見の様子をこっそり伺わせることとした。美しく着飾って礼儀正しく挨拶する妃候補のひとりひとりに王子は丁寧に謁見して「憂いなき宝石の器」を渡していった。しかしほとんどすべての娘は王子の威風堂々としたその姿すら見上げることもできず、会話もできないまま、それを受け取って下がっていった。

ダンダパーニ家の娘ゴーパー・ヤショーダラーの番になり、ゴーパーは王子の前へと進んでいくと正々堂々としてしっかりと菩薩と眼を合わせて会話しようとすることができた。ちょうど偶々「憂いなき宝石の器」の在庫が切れてしまったので、ゴーパーは王子に微笑みかけながら「王子様。私は何かきっとあなたに悪いことしたのでしょう。だからこんな意地悪されるのでしょうね。」と言った。

すると王子は「私は意地悪をしようとしてはいませんよ。ただあなたが登場するのが少々遅かったですね」と声をかけ、ご自身がしている指輪を外してゴーパーに与えた。ゴーパーは「大変ありがたいですが、私の価値というものはこの程度のものでしょうか」と申し上げたところ、王子は「いえいえ、違います。あなたの価値は私のもつすべての宝飾品を差し上げるほどです」と答えたので、ゴーパーは「私は王子様を宝飾品がないような王子様になって欲しくはありません。どうか王子様は宝飾品をそのままお持ちであることを望んでおります」と述べて下がることとなった。

この様子をこっそり見ていた見張り者たちは浄飯王に、ほかの候補とはまったく眼を合わし会話もされなかったがこのお二人だけはこのようでしたと報告した。浄飯王は喜んでゴーパーを皇太子妃の正室として迎えようとしてダンダパーニ家に許可をもとめたが、ダンダパーニ家からは「畏れながら、我が家はこれまでも代々と武芸学問の競技大会の優勝者に娘を嫁がせることになっています。しかしながら王子はいままでこの地域の競技大会にも参加されたこともなく、優勝経験もありません。大変申し訳ないのですが婚約を反対する者も多く、今回のお話はせっかくですがお断りしなくてはなりません」と断りの返事がきてしまった。

浄飯王は王子を武芸などの競技大会に参加させるのも不可能であると思ったので、大変落胆して悲しみに嘆いていた。王子は王の様子をみて「父王よ、どうしてそんなに悲しい顔をされているんでしょうか。何か悩みごとでもあるのですか。躊躇わずどうぞ打ち明けてください」と声をかけたが、浄飯王は「いやいや、王子よ。大したことはない。そんなことを聞かないでくれ。」と相手にしなかった。しかし王子は真剣に三度も同じ質問をしたので、王も遂に王子に悩みを正直に告白することにした。

王子は「父王よ、どうぞ心配されないでください。競技大会を是非開催なさってください。私と競って勝てる者などは誰もいませんので全く問題はありません」と申し上げたので、浄飯王もたしかにそうだと思い、悩みが解消して家来たちに命じて、一週間後にゴーパー妃を争奪するための競技大会をカピラヴァストゥの城にて開催することになったのである。

カピラヴァストゥの競技大会

カピラヴァストゥの大会が近づくにつれ、街の内外から大会に参加する者たちが集まってきた。競技大会はさまざまな種目があったが、数学や天文学や問答から裁縫や植栽にいたるまで様々な種目があったが、特に運動系の種目や武術などに秀でた当代屈指の男たちが、王子に勝利して皇太子妃の第一候補となったゴーパーを娶るために万全の準備をし、七日後の競技大会に望んだ。

釈迦族の五百名以上もの選手が参加し、優勝旗の代わりにゴーパーが座って競技大会が開催された。まずは釈尊の従兄弟のデーヴァダッタがいきなり城の外へと出ていき、城の外から白い巨象をつれてきて、釈迦族の誇りと自分の威信をかけ、釈尊に対する強烈な嫉妬の感情から右手の拳一発でこの巨像を殴り殺した。巨象の死体はすぐにデーヴァダッタに従っていたスンダラナンダによって城外へと運びだされたが、王子はこの巨象の死体を目にして、「デーヴァダッタたちはなんたる罪業を行ったのだ。しかしこのままでは死体は腐敗して悪臭を街に充満させてしまうだろう」と述べて、巨象の死体の尻尾を車の上から足の指で掴んで、七つの城壁を超えた城市の外へと投げ飛ばしたので、巨象の死体は飛んでいき、後に「象坑」と呼ばれる大きな穴があいた。神々たちはその光景をみて、さすが釈尊はこのような輪廻の城そのものである競技大会の会場から智慧の力によって慢心した者たちの仕業を投げて捨てるなど、さすがであると感銘することとなった。

これを皮切りに猛々しい競技大会がはじまり、各種目の各会場には浄飯王と釈迦族の長老や多くの観客たちは移動しながら、観戦することとなった。釈迦族の若者たちは浄飯王のつくった釈尊のための学校でよく学んでいたので、文武ともによく学習していたが、書法の競技をしても、数学の協議をしても、誰一人として釈尊に敵う者など誰もいなかったし、格闘技の後には弓道、弓道の後には徒競走、水泳、遠泳、戦車の運転、奇襲攻撃などといった戦争に関係する種目であれ、作文・絵画・超克・歌・器楽・ダンスなどの芸術系の種目、さらにはマッサージ、手品、夢占い、鳥の声の真似、牛や馬や象や未や犬の真似など、さらには哲学論争・政治論争・裁縫・植栽技術に至るまで、何から何までやっても釈尊がすべての種目で首位となったので、ダンダパーニ家の人も大変喜び、ゴーパー・ヤショーダラー妃は正式に皇太子妃の筆頭かつ正室となることが決定した。

釈尊は格闘技の種目の競技でも、三十二名の屈強な選手を一度に相手にし、デーヴァダッタを三度空中に投げて大地に投げ落としても、常に誰も負傷者がでないように手加減をして相手をした。そもそも通常釈尊ほどの者であれば、神通力を使って相手を瞬時に負かしてしまうことなど簡単なことであるが、釈尊は競技相手の慢心が癒えるために、ひとりひとり丁寧に敬意をもって負かしていった。

また正式に婚約が確定したゴーパー・ヤショーダラー妃も正式に皇太子妃となる儀式の時に顔を布で覆わないことを批判されそうになった。そこでヤショーダラーは

「真の美しさとは正々堂々としていることが大切であり、自分はどんな襤褸を着ていても、どんなに不細工に痩せていたとしても、聖者がその内面の功徳によって美しく輝くのと同じようなことを私は目指しています。心のなかに悪しきものを抱えて外側を飾る、これほど悪しきことはありませんし、不快なことなのです。気高く生きる、ということは、どんなときにでも心に嘘偽りなく生きる、ということでしょう。ですから、顔を隠して嫁入りするのを私は不誠実なことと考えるのです」

という意味の詩頌をつくったので、批判うる者はいなくなった。そしてそのような才能がこの皇太子妃にあったことが知られることとなり、この妃こそが将来転輪聖王の妃となり、女王となる、皇太子妃の筆頭として相応しい方である、と誰しもが納得することとなった。浄飯王もまた自分の息子と同じく清浄なる功徳をもち、威風堂々として類稀なる両人が結婚することを心から歓迎した。

こうして釈尊は御年二十五歳の時、成婚戴冠の儀を厳粛に執り行い、ゴーパー・ヤショーダラー妃と成婚し、第一皇妃以外には八万四千人の妃を迎え、後に出家するまでカピラヴァストゥで過ごされて、皇太子妃との間には、日蝕や月蝕を起こす魔神ラーフの敵と名付けられた月のように美しいラーフラという王子を授かり、祖父となった浄飯王も王家のこのような繁栄に満足して天界にも昇るほど換気したのであった。

釈尊が王子時代に妃として迎えた人数は、五百人、六万人、八万四千人と様々な数え方はある。しかし釈尊の王子時代の結婚は乳から絞って生成してものがまたひとつに戻って溶け込むよう自然であったと表現されるものである。しかし釈尊はどんなに多くの妃がいても愛欲を追求することなく、またそれによる様々な怨恨などが起こる源となることは一切なく、当然のことながら、王宮の愛憎劇のようなものを連想するべきでは決してない。妃候補の募集の時点から国家全体の若い女性によい影響を与え、若い男性にもよい影響を与えている、という部分はすべての仏伝に共通している。以上のことから、これらの逸話は、若い成人男女がどのようにあるべきか、ということの理想像を示しているものであり、その理想像を実際に示している、ということが、「多くの妃を娶って歓迎した」というこのエピソードのメインテーマであると思われる。

カピラヴァストゥの城で過ごされている皇太子シッダールタ王子
ラリタヴィスタラのサンスクリット語写本(ケンブリッジ大学デジタルライブラリーより)


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