2021.05.12
སྟོན་པའི་མཛད་རྣམ་སྙིང་བསྡུས།

初菩提心

釈尊の行状(1):釈尊ははじめはどのように菩提心を起こされたのか
訳・文:野村正次郎

私たち仏教に関わるすべての人間は、いまから2500年前にインドで釈尊が説かれたブッダの教えに何らかの形で関わっている者である。「仏教」とは「釈尊の教え」のことであり、「仏教」に対する信仰をもっているかどうかに関わらず、「仏教」のことを耳にしたことのない人はいないであろうし、「釈尊」「ゴーダマブッダ」のことを聞いたこともない人この世にほとんどいない。

しかし釈尊とはどんな方であったのか、その具体的なイメージは人それぞれ異なっいる。所謂「仏伝」と呼ばれるものにも様々なものがあり、「ブッダ」とはどんな存在であり、何を説いたのか、ということについて様々な人々が様々なことを言っており、仏教がどんなことを目指しているのか、ということについても様々な考え方がある。

仏教徒にとってこの数千年間で起こった出来事のなかで最も重要な出来事とは、釈尊が仏教をこの地上で説かれたというこのこと以外に重要なことはないし、私たちが知るべき重要な伝記とは、釈尊の伝記以外に何もない。このようなことからも、さまざまな釈尊伝のいろいろな逸話があるなかで、デプン・ゴマン学堂の僧院教育でも最も標準的で誰しもが認めているような常識的なものをすこしずつ紹介したい。

以下に述べるエピソードは、クンケン・ジャムヤンシェーパの『現観荘厳論第八章考究明・如意宝蔓・賢劫開眼』の十二行相の第五相に関する記述をそれが出自としている『方廣大荘厳経』(『普曜経』・Lalitavistara)の前後の記述を補って再構成したものである。

『方廣大荘厳経』は大乗の釈尊伝としてもっとも重要なものであり、チベットでは『ジャータカマーラー』や『ブッダチャリタ』よりも詳しい釈尊の伝記として大変親しまれており、日本でも古くから釈尊の伝記として大切にされてきたものである。『今昔物語集』では、以下のエピソードは「巻一悉達太子在城受楽語 第三」に所収され、表現を多少平易にした以外には出典はそこにあり、漢訳仏典を読解されることを日常とされている方々は、『大正新脩大蔵経』本縁部(第3巻・第4巻)の二巻を紐解いていただければよく、『方廣大荘厳経』は梵本蔵訳漢訳ともに揃っており、テキスト原文もすでにひろくネット上に公開されているので、そちらを参照していただきたい。

第一話 初発心

『律分別・薬事』の記載によれば、釈尊は初発心のエピソードを次のように弟子たちに紹介されている。

太古の昔に、ある光輝かしい国に「光るの君」という名の王がいた。この王は正しい権力をもち、正しい財産を余すことなく持っていた。王の財産のなかには純白の美しい象がいた。大変美しくて立派な象であったので、王はその象に乗って自国を行脚したいと思い、そのために家来のなかにいた象使いに命じて、行幸のために象をしっかりと調教しておくように命じ調教させておいた。

ある日、王は行幸に出かけるため、調教師に準備はできたかを確認し、白象を連れてこさせて、それに乗って城の外にでかけることとなった。調教師も手綱をひいて王と一緒に象に乗りでかけることになった。城から出てしばらく行くと段々と森のある場所へと近づいて行ったが、すると突然この白象は全速力で走りだしてしまったのである。どうやら森の奥の方からメスの象の薫りがしてきたようである。走り出した白象は調教師がどんなに止まれと言っても聞こうともしないで一心不乱に全速力で走っていく。王の籠から様々なものが振り落とされて。王も調教師もつかまっているのがやっととなった。王は危険を感じ恐怖に怯え、風のように走る象を止めて象から降りようとするが、象は止まる気配すらないし、調教師の命令など全く聞きもしない。王は調教師に「おい、何とかしろよ」と命じるが、何ともならない。調教師は王を危険に晒したままにすることもできないので、「あそこの樹の枝に飛び移りましょう」といって、王と一緒に象が樹の下に近づくと枝に飛び移って象から降りることには成功した。しかしながらあまりにも速く駆け抜ける象から枝に飛び移ったが、その勢いあまって王も調教師も枝をしっかり掴むこともできず、地面へと転げ落ちてしまい、体を強く打ち王にも激痛が走ることになってしまった。

樹から落ちて投げ出された調教師はすぐに王のもとに駆け寄って王の手をとって起こそうとしたが、王の怒りは頂点に達していた。王は怒って調教師に「おまえにはあの象をちゃんと調教するように命じていたはずだ。命令も聞かずにちゃんとあの象を調教していないのは何事だ。けしからん。あんな状態できちんと象を調教したなどと抜かしやがって。こいつを牢へ入れてしまえ」と怒鳴り散らして、駆けつけた家来に調教師を拘束させようとした。

こんなことで投獄されてしまうのも不当なので調教師は「すみません、王様。たしかに私は象の身体を調教したんです。どうか信じてください。ですが心は調教したわけじゃないんです。あの象はあれでちゃんと調教されているんです。」と弁明してみたのであった。

しかし王はそんなことを言われても納得がいかない。そこで調教師に「お前はあれで身体をきちんと調教したと言えるのか。お前の発言には信憑性がまったくない。本当に調教したんなら、それなりの証拠がなければ処罰を免じるわけにもいかないぞ。」と言うと調教師は「分かりました。それでは、一週間時間をください。一週間後にもう一度あの象を連れて参ります。その時までには必ずご納得頂けるようにしておきます。」と約束して、とりあえず投獄の猶予を得て、象を連れて自宅退居となったのである。

一週間後、調教師は前回暴れた白象を連れて王のもとに戻ってきて言った。「王様、一週間もご猶予をいただきまして誠にありがとうございます。一週間自宅でさらにこの象を肉体的に調教しましたので、その成果をご覧にいれましょう」と言って大きな鉄の玉を火のなかにくべて、真っ赤になるほど熱したままそれを象の鼻先において、象に命じて言った。「それを口にしろ、口いしろ」。すると象は真っ赤に燃えそうな鉄の玉を長い鼻で持ち上げて、辛く悲しい声をあげながら、耐え難い表情で口にいれて飲み込んで死んでしまった。

調教師は得意そうにいた「王様、これをご覧ください。このようにこの象の身体はきちんと調教しました。ですからこうして鉄の玉を飲みました。ですがこの象の心を調教したわけではありませんのは、以前にも申上げた通りです」と言った。

王は自分が癇癪を起こしたことを少し反省しながら調教師に言った。

「たしかにお前はこの象をちゃんと調教したというのを認めてやろう。しかしこないだも言っていたが、象の体を調教したが心は調教していないというし、心を調教することなんて出来るというのか。そもそもそんな人間は見たこともない。お前はそんな人に会ったことがあるのか。そんな人がいる話でも聞いたことがあるのか。」と尋ねたのであった。

すると調教師は答えていった。「恐れながら、王様。身体と心の両方を調教できる方がおられます。彼はブッダと呼ばれ、すべての煩悩を克服しています。彼の教えに従って彼と同じようになれる者もいます。その者たちもまたブッダと呼ばれるのである」と王に申し上げたのであった。

この時この王ははじめて「ブッダ」と呼ばれる存在を耳にした。国一番の調教師でもできなかった象の心と体の両方を調教できる存在。そんな存在がいて、自分もそんな存在になることができる。こんな素晴らしいことなど他にあるだろうか。来る日も来る日も王は次第にブッダのことを思うようになり、自分もブッダになりたいと思うようになった。そして仏になるための決意が固まり、すべての乞食たちに分け隔てをすることなく、多大な施しをし、強く決意して次のように祈願を立てた。

「いま私はこの街の物乞いたちに至るまですべてのものに施しをした。こんなことをした王はいままで誰もいなかった。この善業で釈迦族が誕生し、我が王家はその民族とならんことを。そして人種や身分の差別もなく、哀れなものたちから神々にいたるまでのすべてのものが平等にブッダとなり、肉体と精神の両方のすべての苦しみを克服し、寂静の境地を実現し、すべての恐怖を超越し解放されるように」と祈りを捧げたのである。

この時の王が後の釈尊となり、この時の施しをしながら捧げた祈りこそが、はじめて釈尊がブッダにならんと決意し初めて発心を起こした時である、と『律分別』で釈尊は弟子たちに語ったのであった。この話は大乗・小乗を問わずすべての弟子に対して語られた釈尊自身が自ら語られた初発心の逸話として、すべての仏教国で同じようにいまも語り継がれているものである。

釈尊の初発心についてはこれ以外の逸話も語られているが、大乗仏教の伝統的な釈尊の初発心についての逸話はこの話とは異なり、『賢愚経』に説かれるもの次のようなものが有名である。

かつて太古の昔に釈尊は地獄の衆生として生まれていた。高温の熱をもつ、鉄でできた大地の上で、大変重い馬車を二人の者で引っ張っていかなくてはならない。しかし相方は体も弱く、気も弱く、馬車を押すこともできないし、引くこともできなかった。閻魔はその弱々しく怠惰な姿に怒ってその相方の頭に鉄の槍を振りかざし、その相方の頭蓋骨は割れて血飛沫が天空を舞り、雨のように流れてきた。弱々しい相方は悲痛を挙げ、慟哭するが閻魔や獄卒の拷問は一瞬たりとも弱まることもない。彼らは決して容赦をすることもなかったのである。

これを見て二人で馬車を引かなければならない釈尊は耐えられない気持ちになった。

どうかお願いだから、もう拷問はやめてあげてほしい。この相方には何もできないし、力もない。閻魔よ。獄卒たちよ、どうかこの者を勘弁してあげてほしい。鉄の鞭で彼を打ち続けるのなら、私の頭をそれで代わりに打ってほしい。どこかに連れていき拷問するのなら、どうか彼だけは赦してあげてほしい。私ひとりだけをどこにでも連れていくがよい。彼だけではなく、他の地獄の衆生たちも全員好きでここに生まれてきたわけではない。彼らはどうしようもない煩悩と業の力でここに生まれて来ざるをえなかっただけなのである。もう彼らが苦しむのをみるのは十分だ。どうか彼らを赦してあげてほしいし、そのこれから地獄に生まれてくる者の苦痛も含めて全部私ひとりがその苦痛を味わうのでもよい。だからどうかそのようにしてもらえないものだろうか。地獄の衆生である釈尊はそのように閻魔もう申し出たのである。

すると閻魔は申し出の通りに三叉の鉄槍で釈尊を殴打し、そのことによって釈尊は百劫の間積んできた罪障が消滅し、寿命も尽きてその場で死に、三十三天へと転生することとなった。

以上の逸話は、釈尊が最初に他の衆生のために、その苦しみをすべて自分で引き受けようと思ったはじまりの時として最も有名なものであり、この後、三阿僧祇劫に渡って二資糧を積集し、煩悩を克服し成道し、いま私たちが住んでいるこの世界へと降臨され、ブッダになるためのなり方を実際に披露し、そしてその方法を説かれ、その仏の慈悲は今日もなお継続しつづけている。

釈尊の初発心の逸話はほかにもいくつかあるが、この二つが最も有名なものである。象を精神的には調教できないと考えた王の話は、仏教というものが私たちが自らの精神を鍛錬し、先鋭化し、身体的にも精神的にもすべての苦痛や障害を超越することがこの釈尊のきっかけであるということを教えており、地獄の馬車を運ぶ労働者の話は、他のすべての衆生の苦しみに耐えかね、利他のための完全なる自己犠牲を目指したことを教えている。菩提心とは利他のために仏の境地を目指すことであるという二つの強い決意と意思よりなるものであるが、この二つの逸話はその二つを説いたものである。


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