食べるのも忘れてしまう精進をはじめている
入門した直後から解脱の境地を目指している
三日後より先はないと放漫に過ごしてしまい
そんな調子では実ってゆくものなど何もない
精進を河が流れるよう絶えず堅固としなさい いざ
仏教を学ぶということは簡単で短い期間で終わるようなことではない。仏教を学ぶことは、無始以来の輪廻を退けて解脱の境地へと善業に励むということであり、常に善業に励むことを喜びとし、無始以来積集してきたすべての悪業を浄化し、その悪業の原因である煩悩をすべて断ち切って、解脱の境地を得てはじめて仏教における学びというものは完成するものである。あるいはまた一切衆生を苦しみから解放するため、自分だけが解脱しても不十分であるとし、すべての衆生たちのすべての苦しみを解決するためのその方法を、そのひとりひとりの衆生の器量に応じて導いていけることのできる仏の境地を実現してはじめて仏教における学習というものは完成することになる。
解脱の境地を実現し、仏の境地を実現するまでの間に必要なのは極めて長期的な計画である。この長期間の修行期間が必要なのは、これまでの無限の過去からいまに至るまでの数多の世を経て自分たちが行ってきた生の営みを、これまでとは異なる生の営みへと変革することが容易ではないから必要となるのであり、これまで無限の転生を繰り返してきたことを考えるのならば、たった数日間、数ヶ月間、数年間、数十年間、一生といった短い期間で完成することなどあり得ないのである。私たちがこの長期的な計画にもとづいた修行をはじめなければならないのは、現在の我々のような稚拙な知性や経験や指導力では、衆生をこの輪廻の苦海から救済することが不可能であるからである。
これまで何憶年、何兆年以上もかかって習慣化してきた因習を廃止して、自分自身を常に善行のみに従事させることですら容易ではない。短い仏典を紐解いても、それを完全に自分の思想として学ぶだけでも簡単なことではないのである。ましてや他の衆生を指導して、救済へと導こうと思うのならば、生半可な知識や能力ではそれは不可能であることは明白である。自分のことなら自分だけが変わっていけば済むことであるが、何憶年、何兆年以上も継続してきた他者の生き方に善い影響を与え、他者が決して苦しむことのないような状態を作り出すことなど容易ではない。それが数ヶ月、数年仏典を学習したからといってできるようなことではないのは、少し考えただけでわかることである。
日本では通常、高等学校は3年間、大学は4年間、大学院は5年間で必要な単位を取得する。高校入学から大学院を修了し、博士号を取得するまでは最短で12年間必要となるが、高等学校の教員になるためには大学で教職課程を履修して、教員採用試験に合格する程度でよく、高校入学後、最短で7年間で教員になることができる。医学部の場合には、最初から専門性の高い学習をしなくてはならないので、学部自体が他の学部よりも2年間長く、6年間あり、多くのものは大学院に進学する以前に医師の国家試験を受験して医師免許を取得するので、医師になるためには、高校生から数えると9年間で医師にはなれるが、医師免許はあくまでも医学の実務を行うためものものであり、医学についての研究した専門知識を後学に提供するものではないので、医学博士となり医師の指導を行うためには、高校入学後最低でも14年間かけて学ばなくてはならない。ただ高校生の時に学んでいるものは医学だけではないので、実際には医学を学んで一人前の研究技術も有する医学博士となるためには、合計十一年程度の時間で済む話である。
これに対してデプン・ゴマン学堂に入門して、仏教の博士号を取得するためにはどのような僧院での学習をしなくてはならないだろうか。まずはゲルク派の僧院では完全に仏教以外のことは何も学ぶ必要がない。むしろ学校教育で学ぶような外国語や社会科や理科などといった一般教養を学んでいる暇が一切ない。デプン・ゴマン学堂では、論理学として『量評釈』、般若経研究として『現観荘厳論』、中観学として『入中論』、阿毘達磨学として『倶舎論』、戒律学として『律経』というインド仏教のその分野を代表する五大聖典をひとつずつ徹底的に学んでいかなくてはならないが、まずは論理学に5年、『現観荘厳論』で5年、『入中論』『倶舎論』『律経』は2年ずつで6年、ゴマン学堂の伝統教育課程を修了するまでで最低でも16年間学ばねばならない。近年では『現観荘厳論』にかける時間が短すぎるということから1年間延長して17年間のカリキュラムが組まれている。この17年間は毎年暗記と問答の試験があり、僧院の行事としては早朝七時から暗記の時間がはじまり、一日の問答法苑が公式に終了するのは、大体夜22時ころである。毎日の学習ペースは、日本でいえば大学受験前の高校生や国家試験前の医学生のように他のことをやる暇が一切ないほど学習に集中して毎日を過ごさなくてはならない。ゴマン学堂のカリキュラムは毎年きちんと進級すれば17年間で終わるが、その後ゲシェー・ラランパと呼ばれる博士号を取得するためには、ゲルク派の三大総本山で組織されている共通試験に六年間毎年出席して、2ヶ月程度かかる試験に合格して最短でもこの共通試験を最終合格して「ゲシェー・ラランパ」の資格を取得するまでには、学堂での17年間の学習を合算すると22年間必要となる。つまりインド仏教の代表的な論書である五大聖典を学ぶためには、日本で高校入学から医学博士になるまでの14年間の約1.5倍専門的な学問のみを朝から晩まで詰め込み式で学習していかなくてはならないのである。
しかしながらこの22年間という数字はあくまでも最短期間であり、諸般の事情で受験不可能となることもあるし、学力不足のため不合格となる場合もあるので、実際にはひとりの人間が五大聖典を学び終えるためには、約四半世紀の時間がかかるのであり、多少余裕をもって学習していったとすれば大体30年間くらいは学習していかなくてはならない。しかしこれはあくまでも顕教の学習に過ぎないのであって、博士号を取得したら、今度は最低でも一年間の密教学堂で密教の基礎を学び、その後、学堂に戻るなどして級友たちと勉強会をしながら三年間は最低密教の基礎課程を学ばなくてはならないことになっている。その上で密教の学習としては更に生起次第と究竟次第を深く探究し、最低でも1ヶ月、できれば3ヶ月、1年、3年3ヶ月は籠行修行を行ってはじめて密教の儀軌を正式に他者に対して行うことができるようになる。
現在ゲシェー・ラランパの試験に合格している者は、毎年約100人ほどであり、これは現在チベットの総本山が南インドに亡命居留区を移転した1973年以降、ゲシェー・ラランパの試験制度を改革したことの成果である。それまではチベットではゲルク派全体で七つの各学堂受験者を2名ずつしか選出できなかったため、各学堂で定められている15年程度の学習課程を修了しても、伝統を重んじるあまり、博士号の試験を受けられないでそのままになっている学僧が大量にいた。彼らのなかには学問を諦めて地元の僧院に戻っていく場合も多かった。このような事情からインドに亡命した後には各学堂で学んできた全学問に関する試験の毎年難易度を上げて試験をし、6年間の試験には各学堂の履修課程を修了したすべてのものに、試験に参加する機会を与え、所定の試験に合格していきさえすれば、ゲシェー・ラランパの学位を順番を待つことなく取得することができるように制度改革が行われたのである。これによってチベットの学問僧院の伝統教育の水準を上げ、これまでに行って来なかった記述試験も行い、今日ではチベットの仏教文化の伝統の保全を盤石な体制となったが、これは当時のダライ・ラマ法王や総本山の指導者たちの提案に基づく制度改革であり、これが現在継続しているももである。これらの制度改革は、仏教における博士号の取得にかかるための必要修業年数を減らして学位を取得したのではなく、修業年数や試験の実施内容をより長期間とし、より複雑で難解な課題を課し、最終的な学力の向上を図るための制度改革であり、近年ではダライ・ラマ法王の指導によりこれまで試験には出なかったバーヴィヴェーカやシャーンタラクシタのテキストからチベット仏教史まで新たな課題も随時追加されている。
こうした長期間に渡る顕教の学習カリキュラムやゲシェー・ラランパなどの学位取得制度などは、古くは、11世紀頃からインドのナーランダー僧院の方式を取り入れた、サンプ、デワチェン、ツェルグンタン、ガードン、スルプといったカダム派の僧院を中心に行われてきたものであり、これを踏襲して、ジェ・ツォンカパは十五世紀初頭にガンデン、デプン、セラという学問僧院を開創して、五大聖典の学習のための基本的なテキストもまた、ジェ・ツォンカパとその二大弟子であるギャルツァプジェ、ケードゥプジェといった「至尊三父子」(ジェ・ヤプセー・スム)によって整備されたものである。その後、各学堂ではそれらのテキストで扱われている様々なトピックスについて、新たに数多くの問答の実例を作成し、それが各学堂の「教本」(イクチャ)として整備されていったものであるが、セラ・ジェ学堂のセラ・ジェツンパ、デプン・ロセルリン学堂のパンチェン・ソナムタクパの両教本はともに十六世紀前半に書かれたものであるし、ゴマン学堂の教本は十七世紀に書かれたものであり各学堂の学習で使用している教本はそこから一切改定されることなく、300年以上もその研鑽の伝統が今日まで続いていることは、世界的に見ても例のない事象なのである。
仏教における博士号としてのゲシェーの試験がはじまったのは、十七世紀のパンチェン・ラマ四世ロサン・チューキゲルツェンの時代からであると言われているが、中国共産党による弾圧によってインドに亡命することを余儀なくされることとなった、三大本山も十五世紀冒頭に創建されて以来今日にいたるまで約600年間は僧侶たちに仏教の教義の基礎を教育するために変わることなく、仏教の教理学に関する世界の最高学府としていまも各学堂2,000名以上もの僧侶たちが日々研鑽を続けており、ゲルク派の総本山だけでも総勢15,000人以上の僧侶たちが、この約四半世紀もかかる仏教の基礎の学習のために生涯を捧げ、毎日仏典の徹底的な暗記学習と問答に励んで暮らしている。
世界の大学ランキングで上位を占めるオクスフォード大学は、11世紀末の成立であり、ケンブリッジ大学は13世紀とこれはゲルク派の15世紀初頭の総本山よりは古い伝統をもつが、ハーヴァード大学やマサチューセッツ工科大学は17世紀の成立であり、スタンフォード大学は19世紀末の成立であり、これら世界のトップクラスの大学とはいえ、セラ、デプン、ガンデンなどの歴史に比べれば、圧倒的に新しい教育機関であるといってよい。
世界のトップクラスの大学とのチベットの僧院の最大の違いは、決して学生のために学習課題が時代に変化しながら簡素になっていくのと異なって、時代とともにむしろ学習課題をどんどん増やしていっている点があげられる。学習内容の基礎となる聖典や教本は何世紀も研究され続けているものであり、チベットという国家を失ってもなおいまも継続しているという点が世界中の他の学術機関にもない最大の特徴であるということができる。このチベットの学問僧院のあり方は、世界でもチベットだけでその伝統がいまも継承しているのであり、世界の無形文化遺産であるといって間違いない。
チベット仏教の伝統はゲルク派以外にもサキャ派、カギュ派、ニンマ派とあるが、このような顕教の学習過程は学習年数や難易度の違いはあるにしても論理学・般若経・中観学・阿毘達磨学・戒律学という基礎学習科目を学ばなくてはならないことはすべての伝統で共通しており、その伝統は、インドのナーランダー僧院やヴィクラマシーラ僧院の学流を継承したものである。鳩摩羅什や三蔵法師玄奘などの漢訳仏典の伝統を継承している日本の仏教の伝統もこのナーランダー僧院の学流にあることだけは間違いなく、日本でも奈良時代から輸入されて、その伝統は現在も継続している。言語や地域などは異なり、政治的な背景は異なっている。
仏教を学ぶのかどうか、それはあくまでも個人的な問題であり、仏教を学ぶということは私的な営みに過ぎない。しかしながら私たちがいま享受することのできる仏教は、2,500年前の釈尊以降、龍樹や無着などの祖師たちによって継承され、広大に学究と研鑽が決して途絶えることなく継続してきたものにほかならない。21世紀の現代の日本で仏教を学ぶ必要があるか、ということは別として、仏教を学ぼうとする限り、今日に生きている私たちであっても、それは無始以来の煩悩を断じる道へと決意し、この大いなる充分すぎる稀有なる法流の恩恵をうけ、その流れを決して堰き止めることなく、この生でできる限りのことを学ぼうとすることにほかならない。仏教を学ぼうとすること、これは私たち個人個人のの自由意志であるが、一度それを学びはじめたのならば、長期的な計画への不動の決意と絶えざる精進によってしかその学習は決して修了することがないことを本偈は教えている。