2021.01.20
བྱམས་པའི་བསྟོད་ཆེན་ཚངས་པའི་ཅོད་པན།

慈しみの灯明がある場所で再会するということ

ジェ・ツォンカパ『弥勒仏への悲讃・梵天の宝冠』を読む・第11回
訳・文: 野村正次郎

かけがえのない身体に恵まれても

力もなく逃げだすこともできない

最強の死王の使者がやってくる

病いと老いとを手に届けてくる

13

いつ死ねるのかも決まってない

すべてを捨てるのに忘れている

年月や暦を数えるだけで過ごしている

暗闇のなか私は慈しみの最期を迎える

14

私たちはどんな宝石よりも入手困難な高価で貴重な人身というかけがえのない宝物を授かって生まれてきた。この身体は脆く壊れやすいが、非常に便利なものであり、様々な使途に活用できる。自分の身体だけでできないことであっても、他人の身体の助けを借りてさらに活動範囲を広げることもできるし、実際に私たち人間の社会生活のほとんどの活動は、このような活動によって成り立っている。

しかしそのような立派な身体があっても、力不足で決してできないことがある。どれだけの人間が寄って集ろうと、どれだけの力を使おうとも実現できないことがある。それが死を退けるということであり、死から逃げ出してしまうということである。死というものをこの世のなかには存在しないかのように隠蔽工作をすることもできるし、タブーとして触れないような風潮を作り出すことは出来るが、死それ自体を退けることもできないし、人々が死なないようにすることもできない。

死というものは大変残酷なものであり、私たちの力がどんなに弱くても、そしてどんなに強くても決して手加減をしてくれる訳ではない。死というものは、この世において最強の権力者であることは間違いないし、私たち人類であれ、ほかの生物であれ決して抵抗できない。死の恐怖から逃げ出して、享楽的に生きて、たとえば月旅行などをして遠くへ逃げ出そうとしても、必ず死という追手には簡単に捕まってしまい殺されてしまうのである。このようなことからか死は超越的なものであり、絶対的なものであるとされ、死そのものが神として扱われ、死神という言葉で表現されている。

この絶対的な権力者は、私たちが生まれてきたその瞬間から、死というこの不吉な贈り物を配達させる使者を私たちに送り込んでいる。死という荷物は必ず私たちに届けられるものであり、私たちはこの荷物が届くのを毎日待っている状態にあり、それを決して受け取り拒否できない。さらにこの死という贈り物は、何故か丁重にも病いや老いという私たちが望んでいない特典がついてくるものであり、私たちは一刻一刻とこの不吉な荷物が届くのをただひたすら待っているだけである。

いつ届くかも分からないこの荷物が届いた瞬間、私たちは今生では最期を迎えざるを得ない。しかしながらこの荷物は時間指定できるようなものではない。いつ私たちが死ぬのかは決まっていないし、死んでしまうための好条件ばかりあって、死なないようにするための条件は大変希少である。そのような状況にありながら、私たちはいつ死ぬのかも分からないので、死ぬことを考えないようにして、日々を無益に暮らしている。毎日私たちは今日何年何月何日何曜日だ、自分たちの死亡が確定する日でもないにも関わらず、そんなどうでもいいことばかりを数えながらぼんやりと過ごしている。

このように私たちは必ず孤独に死んでしまう、そしていつ死ぬのかは決まっていない、死に望むに際して仏の教え以外には何か役にたつものなど無い、この三つのは仏教徒が死に関して繰り返し考えておくべき根本命題である。この根本命題から引き出せる結論にも三つがありそれは、私たちは、仏法を日頃から実践しなくてはいけない、そしてその実践はいますぐに始めなければいけない、そしてその実践以外の他の雑事に呆けてしまわないようにしなければならない、というものである。

私たちは必ず死ぬのであり、決して避けることもできないし、死なないようにすることもできない。私たちが今回は自分の預かり知らぬところで、ここに生まれて死んでいっているが、これから死に次に生まれる時、どんなところに、どんな風に生まれるかはある程度いまの自分たちで制御できる事柄である。見知らぬ場所に見知らぬ者たちに囲まれていても、いま私たちが他者にできるだけしておくことで、他者からやさしくしてもらうことができる。だからこそ、私たちは死後の私たちが受けるべき愛情、享受できる環境、そのようなもののために、ここに生きているうちに、死んだあとでまたここにやってきた時に、もっとよい生とその環境を受けられるようにすることができる。これが必ず死ぬので、仏教を実践しておかなくてはならない、ということとなるのである。

また私たちの寿命は不確定であり、誰が先とかいうこともなく、死ぬための原因はたくさんあるが、長生きするための条件は大変少ない。私たちの体は失いやすく、一体いつ死ぬのかも決まっていないので、自分たちの未来のため、他者の未来のために費やせる時間には限りがある。だからこそ、いますぐにそのような善意の活動をはじめなくてはならないのである。

また死に際しては、私たちは孤独に死んでいかなければならない。家族であろうとも、医者であろうとも、財産がいくらあろうとも、私たちはいまもっているこの体をここに置いて死んでいかなくてはいけない。日頃私たちはいまのこの環境のために、最大限の努力をしているが、死んだあとのことのために、きちんとした未来の準備をしてはいないのである。しかし、私たちが死ぬということ以上に、どう生きるのか、ということを選択する上で参考になるものなどほかにはない。死ぬということを思うことは、生きるということを思うことであり、生きるというのは未来のために生きることであり、それは死んだ後もよりよく再生して、よりよく生きるということである。

この世界が絶対にして唯一なる神によって創造されたと考える人々にとっては、死ぬということもまた神の思し召しであり、死とは神に召されていく、ひとつの幸いな出来事である。キリスト教の教えをよく学んでいるものであれば、決して死は不吉な出来事というわけでもない。

同様に仏教でも、私たちは死んだ後、中有という状態を経て、またどこかに別の肉体をもって起き上がる。これを転生というが、転生の理論では、中有から再生までの期間は人間の時間で四十九日以内と決まっていることに特徴がある。私たちはいまのすべてを捨てて、どこかに行かなくてはいけないが、道に彷徨っている時間というのはせいぜいたったの七週間以内に過ぎない、ともいえる。

七週間の間に転生して再生する場合には、どこに生まれたのか、どんな生物に生まれたのか、関係者でも分からなくはなってしまう。極楽浄土などに運良くいけるものもいるが、地獄や餓鬼やそのあたりの動物になってしまう者も沢山いる。しかしひとつだけ言えることは、たとえどんなところに生まれたとしても、いまの私たちと全く無縁な場所にいく訳ではない、ということである。つまりこれは別の見方をするのならば、私たちが誰かを亡くして別れに悲しんでいても、その別れは七週間くらいしかないということであり、また別の形で必ず再会できる可能性があるこの同じ衆生世界に再生しているということなのである。そしてこれが転生という考え方のもうひとつの側面にほかならない。

今生で憎しみあった人たちと永遠に再会したくないと思っても、たったの七週間しか別れている期間がないので、私たちはまた何かの形で再会する。たとえどんなに嫌な人間であろうとも、今生で出会ったということは何かの縁があったということであり、そのような縁があった者とは無縁の者よりもはるかに再会する可能性の方が確率論上も高いということになる。だからこそ今生でどんなに嫌な人がいても、そこまで憎まない方がいいということになり、どんな人にもどんな生物にも、必ずいいところがあり、私たちはそのいいところだけを見るようにし、彼らの幸せを願う、ということは、自分が再会する確率が高いものと再会する時に、大変なことにならないようにするための事前の準備でもあるのである。私たちは、いまそのようなことも分からずに深い闇へと落ちていっているが、最終的には、他者のやさしさや愛、他者の慈しみに身を任せるしかない、これが死という最期の時を迎えていくことであり、私たちがこれから死んでいく先の未来のずっと先を考えていくならば、その未来は弥勒仏が降臨する未来であるのであり、それまでの間はいろいろなことがあっても不思議ではないということになるのだろう。

死というものを感傷的になって捉えて思い悩むことは実はかなり無益な営みである。何故ならば、死というものは精神的なものではなく、物質的な身体の消費期限に密接に関係している論理的な事実であるからである。花が枯れたり、木が枯れたり、冬になると緑が景色から少なくなることに一喜一憂する人はいない。どんな無駄な抵抗をしても冬になれば寒くなるし、木枯らしが吹けば樹々はかれていく。しかしまた春が来れば新緑が生えてくるし、花が咲かなくなるわけでもない。しかるに死というこの自然現象を感情的に捉えるべきではない。死というもの考えること、それは他者のやさしさに気づくこともでもあるだろう。死ぬということは生きるということを教えてくれるものであり、生の意味というのは死を思うことによってはじめてリアルに考えることができるものである。

私たちは人と別れる時に「さようなら、それではまた。」と言う。「さようなら、もう会いませんように」という人はあまりいない。本能的にいつも再会を願い人と別れるのであり、本音ではそのつもりがなくても「また」という表現を使うことにそれほど抵抗を感じないものである。

再会の日がいつくるか、それは私たちがいつ死ぬのかが決まっていないように、不確実なものであるが、確実なことは無限の未来においてまた会う日が決して来ないことは絶対にあり得ない、ということである。他者との出会いとは、無限の過去や無限の未来を考える限り、必ず再会でしかない、というのが論理的な真実なのである。

私たちが必ず死んでいく、ということは同時にまた再会するということでもある。これが死という別れのもつもうひとつの意味でもある。仏教に出会い、弥勒の法に出会った人たちは、いつの日か必ず弥勒如来の説法がはじまるブッダガヤの地で再会できることになっている。それまでの間は、しばらくの間お互いに見知らぬ人になって寂しいこともあるだろうし、しばらく会えなくてひとりで辛い思いをすることもあるかもしれない。しかし死という事実が避けられぬように私たちは必ず再会するというこの事実も絶対的なものなのだろう。

死のことをよく思っている人たちは、死に際して、久しぶりに故郷に帰るような楽しい気持ちになる、そんなことをケンスル・リンポチェが教えてくれたことがある。いまはどちらにいらっしゃるかは分からなくなってしまったが、リンポチェと私たちはかつて今後も日本との縁が続いて発展しますようにという願いを込めて、ゴマン学堂の本堂に少し大きめの燭台と、そこで燈明を灯すためのバターの基金を奉納した。その燈明は今後もデプン・ゴマン学堂が存続する限り、本堂で灯し続けられるだろうし、私たちがたとえどんなところに生まれて見知らぬ者同士になっても決してこの灯明の炎と無縁なところに生まれることも決してないのだろう。それは弥勒仏が説法をされる時の燈明のように昼も夜も分からないほど明るいものではないが、その僅かの灯火は今後も私たちの記憶をつなぎ無明の闇を照らしてくれる光であることは間違いないのである。

このように考えてみれば、死の恐怖や死の悲しみ、それらは正しく冷静に受け止めるべきであるが、過剰に反応するべきことでもない。死神は実は私たちと生まれた時から常に一緒に暮らしている仲間でもあり、夜明けに暗闇から眼をさます時、私たちが昨日と同じ体で起き上がり、昨日と同じ人たちに囲まれているように、死から再生する将来も、少し違う体で少しだけ違うものに囲まれているが、決して無縁のものに囲まれているわけではない。

死というものは世界中に共通のものであるが、そこから発生する抒情は文化的な背景によって大きく異なることも確かである。日本的な伝統的なもののあはれという言葉で表されるものと、インド・チベットの文化的な背景のなかで表される死というものの抒情とは完全に一致するものではない。

本偈で述べられている慈しみの最期とは、直接的には弥勒仏が私たちに注いでくれる深い愛が注がれるべき時を意味しているが、このツォンカパの告白は、決してただひたすら悲しいという絶望の吐露というものでもないだろう、それは慈愛という希望が紡がれてゆく、大変永い時のなかで我々が経験するしばらくの別れやしばらくの悲しみ、そして無力感をも含んでいる複雑な感情を表現しているものでもあるだろう。本偈で直接述べられるのは、あくまでも生老病死のうちの老病死の苦しみであるが、これを怨憎会苦・愛別離苦と合わせて総合的に考えてみるのならば、死という無常さまざまな側面をより広い視点や様々な抒情で考えることもできるようにも思われる。

ゴマン学堂の本堂で灯しつづけられている燈明

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