知るべきことは草原のように広大で
正理の道が華開いて咲き乱れている
さあ さあ 賢しき者たちよ
ここへ集い 戯れるがよい
チベット仏教ゲルク派の総本山のひとつであるデプン・ゴマン学堂にはいくつかの不思議な名勝があるといわれているが、その最大の不思議な名勝として数えられるものは、ゴマン学堂の僧侶たちが行っている教理問答にほかならない。
もちろん他の学堂でも問答は行っており、セラ・ジェ学堂が中観学の学堂、デプン・ロセルリン学堂が論理学の学堂と呼ばれ、仏教論理学に関する学の伝統としては、同じデプンのもうひとつの顕教学堂であるロセルリン学堂の方がより定評があり、ゴマン学堂は「波羅蜜学堂」(パルチン・ダツァン)と呼ばれるように、般若経の伝統を学ぶ波羅蜜学で定評があるが、しかし教理問答を行う場合に、圧倒的な強さを見せる戦略を受け継ぎ、その戦略をマスターするよういまも養成、ゴマン学堂の学流の教理問答の伝統で学んだ人たちであると言われており、ゴマン学堂の教理問答の手腕をさらにパワーアップしたのが、アムド地方のラブラン・タシキル僧院の伝統である。そしてこれらの伝統を作ったのが、クンケン・ジャムヤンシェーパにほかならない。クンケン・ジャムヤンシェーパの教えの伝統に従う僧侶たちは、仏教論理学に関する独自の「クンケン十八命題」と呼ばれるものがあり、学堂の最初のカリキュラムで学ぶ仏教基礎学の履修課程において、基本的な教理問答術をマスターしながら、ジャムヤンシェーパの教理問答の伝統を身につけることで、他の学堂の僧侶たちと問答した場合には無敵無双の戦術を身につけることができるのである。
それではその教理問答の実際はどのように進めていくのか、というとこれについては「ドゥダ」(仏教概論)「ターリク」(仏教論証学概論)「ローリク」(仏教認識学概論)という三つのジャンルの問答集のテキストを元に学んでいくのであるが、実際にこれらのテキストを翻訳しても、内容があまりにも専門的過ぎで、日本人が理解するのは大変困難極まりない。また実際に問答をしながらこれらのテキストを学ぶ以外に外国人その問答技術をマスターできるようなものでもない。ゴマン学堂の教理問答の伝統は、モンゴル人僧侶たちもいまも学んでいるが、そのためにはまずはチベット語を学ばなければいけないし、問答の弱い人たちがいくら集まっても、問答の実力が付くわけでもない。日本の大学院などの仏教を学んでいる大学院生たちでもチベット語を学んでこのドゥダを学んでも結局それを全くマスターできず、ちんぷんかんぷんであり、問答の世界の楽しみやその深さなどを学ぶことはできない。
これはちょうど将棋や囲碁の世界と似ている。将棋のルールを学んでも、実際に対局しなければ将棋ができるようにはならないのであり、定石や詰将棋のような問題集を数多く解いて、プロ級の人間と対局していくことで、名人や竜王などの指し手の妙技を知ることができるのである。たとえばプロの棋士は、指し手を1000手先くらいまで考えながら一手を指すのであり、早指し将棋であってもこれまでの経験から瞬時に次の名手を指せるようになる。ゲルク派の教理問答も基本的にこれと同じような早指しの対局と同じであり、経験を積んでいくことで、驚嘆の一手とも言えるような命題を構成できるようになるのであり、その名人芸の極致が「クンケン十八命題」と呼ばれるゴマン学堂の教理問答の無双の伝統なのである。
ジャムヤンシェーパはこれからここで紹介する「ドゥダの根本偈」と呼ばれる詩篇とダルマキールティの『量評釈』における教理問答の考究を行った書物を残しており、また実際にドゥダの講義録が残されているが、現在もこれらの一連の書物によってゴマン学堂やラブラン・タシキルでは仏教の教理問答の基礎を学んでいく。
チベットの僧院でチベット語をちゃんとマスターしてこれらを学んでいくことができればよいのであるが、それにはまずはチベット語をマスターしなければいけないし、一緒に問答をしてくれる先輩の僧侶や実力のある先生などの学習環境がなければ、こうした学問をすることはできないので、それは日本でできることではない。
チベットの教理問答は、ディグナーガ、ダルマキールティの大成した仏教論理学の伝統がインドでさらに発展したものを、チベット人たちがすべてチベット語に翻訳し、チベット語だけで問答できるような状態をつくったチャパ・チューキセンゲやサキャ・パンディタのチベットの論理学の伝統を作ったことによって現在も続いているものであるが、残念ながら日本においてそのような新しい伝統を作れるほど、日本では仏教論理学は普及していない。しかしながら、こうしたインド・チベットの仏教論理学の実践的な魅力を少しでも紹介していくことは、チベットの僧院を観光で訪問して問答の風景を見学するだけでは分からない、チベット仏教の無形文化遺産を紹介できると思われる。
そこで現在連載しているような、「ドゥダの根本偈」という哲学的な詩頌の翻訳とその内容を伝統的な見解に基づいて考え直してみるという手法を通じて、このチベットの教理問答の伝統、そしてデプン・ゴマン学堂の不思議な名勝を紹介してみたいと思う。
この詩篇は、1699年にポタラ宮殿の建立で有名な摂政サンゲェ・ギャツォがダライ・ラマ第六世ツァンヤン・ギャツォを連れてデプンの問答法苑に来た時に、ドゥダについてはデプン裏山のゲペル山麓にいる大学者として有名であったジャムヤンシェーパやドゥダの学堂として有名なラトゥー学堂の賢者たちを迎え、ドゥダの問答大会を開催した時、ジャムヤンシェーパは圧倒的な実力を発揮し、仏教概論の基礎として学ぶべきことの項目数について様々な異同のある議論が行われていたのに対して、それは二十五項目となり、その理由はこうである、ということジャムヤンシェーパが聴衆のなかで披露したのを摂政が大変悦び、それについて詳しく問合せをしてきたが、著作の依頼をしてきたのに対して、ジャムヤンシェーパは時間もあまりないのでと丁重に断りながらこの短い詩篇を作り摂政率いるダライ・ラマ第六世に献上したものである。
後にタシキル僧院を開創した後にも弟子のセー・ガワンタシーに対してもこの詩篇をベースに他のこういうテキストをから加えてこういう風にドゥダを作りなさい、と整備されたものが現在ゴマン学堂やタシキル僧院で仕様されている「セードゥダ」となるが、その元になったものが、このテキストである。正式な題名は『概論の一切の核心の集成・正理の蔵』というタイトルであり、これは顕教・密教のすべての仏典を学ぶ上で核心となる全体像を理解するための鍵となるものである。デプン・ゴマン学堂の日本支部の活動として、ひろくこのテキストの内容を紹介し、チベット仏教の総本山の伝統教育の概要を知っていただくことは、弊会の事業として相応しいものであると思われるので、これからこれをもうひとつの連載として毎週いくつか配信しながら少しずつ読み進めてみたいと思う。