namo śrī guru mañjughoṣāya
慶友への大慈の涙で濡れている
爾然 暗黒の闇のすべてを焼き尽くす
絡み合う鎖の環は断ち切っている
爾然 強くここに大慈で繋がれている
静寂の河は偏って歪曲しはしない
爾然 他者へ自己より愛は溢れていく
妙に響く文殊師利へと私は跪かん
絶望のなき主人への讃歌を歌うために
私たち仏教徒は釈迦牟尼如来の弟子である。いまから二千五百年ほど前に釈尊はインドにいらっしゃり八万四千の法蘊を説かれ、その教えの核心は空性であり、その空性を理解させるため、ありとあらゆる教えを説いた。その中心にあるのが般若波羅蜜多経である。この般若経のことを我々は「般若経」という「経」と便宜上呼んでいるが、実はサンスクリット原典では「経」とは呼ばず、ただ「般若波羅蜜多」と呼んでいる。それはそれ自体が般若波羅蜜であることを意味しているからであるし、また別途この般若経のことは、「勝者の母」とも呼ばれる。何故ならば、般若波羅蜜こそが一切衆生のために仏位を実現する根本要因であるからである。一方で「勝者の父」と呼ばれる存在がいる。それは仏智が本尊の姿をとって示現した文殊菩薩である。また「勝者の子供たち」と呼ばれる存在がいる。それは一切衆生を救済するために仏とならんと志した菩薩たちのことである。
如来の子たちのなかでも八人の筆頭の者たちがいる。文殊師利・金剛手(勢至)・観自在・地蔵・除障害・虚空蔵・弥勒・普賢の八大菩薩がそれに当たる。彼らは仏弟子のなかでも筆頭の菩薩たちであるが、如来の主たる家族として、一切の如来が様々な姿をとって現れてきたものたちである。
たとえば一切衆生を苦しみから救済したいという大悲心が菩薩の姿をとって現れているものが、観自在菩薩/観音菩薩であり、これらの八大菩薩は、如来の子たちとして、如来の様々な一切衆生の救済活動を補助しながら活躍している。私たちの教主釈迦牟尼如来の家族構成はこのようになっている。父は文殊菩薩であり、母は般若波羅蜜である。如来の子たちは菩薩であり、彼らは如来の家族である。
私たちは釈尊の弟子として灌頂などを受けて、如来の家族として彼らに迎えられてはいるけれども、なかなか如来の家族として自認できるほど立派なものではない。そもそも如来が私たちに説いてくれている般若波羅蜜の意味すら分からないでいるのが現状である。般若経には広中略と様々なバージョンがあるが、残念ながら現在の私たちが住んでいるこの世界に現存するものは、もっとも簡略なバージョンであり、それが十万頌般若経であり、龍樹が龍宮から招来してくれたものである。そして龍樹は『中論』をはじめとする「六つの正理の集成」という著作群を残してくれ、甚深なる般若経が直接説いている甚深空性の意味を詳細に説明してくれてはいるものも、その空性は具体的にどのような方法によって実践したらよいのか、ということはわざわざ説かれてはいない。如来の智慧それ自体である釈尊が文殊師利に遺産として継承させた甚深なる思想の伝統のみを紹介したのにとどまっているとされるのが一般的な見方なのである。それでは般若経に直接は説かれていないで間接的に説かれている、実践の仕方をどうしたらいいのか、ということは、無着によって弥勒仏を成就して、この地上に招来された般若経の注釈書である『現観荘厳論』をもとに私たちは学ばなければならないのである。しかるに現在もゲルク派の本山では、この『現観荘厳論』によって般若経を研究しているのであり、般若経は仏教の学問の中心であり、論理学や中観哲学などはその学問を補足するための学問であるとされている。
それでは私たちの釈尊はこの地上にどのように来られたのか、というと、釈尊は突然急にインドにやってこられた訳ではない。元々は、釈尊は色究竟密厳浄土にて無常正等覚を成道したのと同時に、そのまま三十二相八十種好を備えた報身仏として色究竟密厳浄土にて説法を開始されるのと同時に、閻浮提の人間界へ説法するための準備期間として、菩薩の姿をして、歓喜のある場所と名付けられる兜率天にて説法をされて、この閻浮提へこられる時が熟するのを待っておられたのである。
釈尊はその時、どの国に生まれるのか、どの種族に生まれるのか、どの家系に生まれるのか、どの母親へと受胎するのか、そしてどの時期に生まれるのか、ということを観察し、閻浮提の中央の印度の地、王族という種族、釈迦族という家系、摩耶夫人という母へ、五濁悪世の時期に降誕することが適切であると考えられ、その時期がきた時に、兜率天の神々の子どもたちに、法が明らかに顕現している108よりなる門を示しながら、宝石でできた王冠を弥勒菩薩の頭頂へと授けながら、
「友たちよ。いまは私は閻浮提へと向かってそこで成仏しなければならない。君たちは絶望するではない。この絶望のない方と名のつくものがこれからは私の代わりに法を説くことになる。」
とおっしゃった。すると天子たちは
「最勝なる御方よ、あなたがおられなければこの歓喜の場所はまったく美しくないものとなってしまいます。最近閻浮提には杖をもった外道の師が十八人もいて、悪さばかりしていますので、いまはいらっしゃる時期ではありません」
と申し上げたところ、釈尊は、
「法螺貝を吹けば他の楽器の音などかきされるだろう。太陽が昇ればほかの光などすべて消えてしまうだろう。私は彼らを圧倒し、法の甘露で衆生たちを満足させようと思うのである。一頭のライオンが中心にいることでいることで、他の動物たちが集まるように、ひとつの金剛杵で多くの刺を破壊することができるのである。帝釈天は多くの阿修羅たちを征服する。ひとつの太陽で多くの闇は取り払われるだろう。君たちのなかで、この甘露を求めんとするものがいるのなら、これから説法を行う六つの街へと転生し、生まれるがよいだろう。」
と言葉を残し、閻浮提へと向かわれたのである。この時地上では五百人の阿羅漢たちがいたのだが、彼らは仏の降臨が近いということを知り、如来がいらっしゃるのであれば、自分たちは衆生済度をする必要がなくなると思い、肉体がすべて消えて無くなる無余依涅槃を実現し、阿羅漢たちの肉体は自然に燃え尽きて、天空へと登ったがその舎利が地上に降ったといわれている。こうして釈尊は摩耶夫人の胎内へと移動され、いまの私たちが享受する仏教の物語が幕をあけるのである。同時に兜率天では釈尊の代理人となった弥勒菩薩の説法が開始されたのである。
弥勒菩薩は、釈尊在世の時には、八大菩薩として地上でも活躍しているが、主にいまも兜率天で説法をしつづけている釈尊の代理人である。神々たちがその姿を見ることで絶望しない未来を思い描くことができるその姿は、「慈しみ」とその仏名が物語るように、すべての生きとし生けるものに対して、誰よりもやさしく、そのやさしさと愛情の極致の状態の仏である。未来にこの地上に再び釈尊の次の閻浮提で成道する如来として降臨する弥勒仏は、すでに大変親切にも「弥勒の五法」と呼ばれる法を地上にもたらされているほど、釈尊の弟子として出来損ないな私たちを友であると思い愛情を注いでくれているのであり、私たちの明るい未来は弥勒仏とともにある。古来釈尊の教えを実践するのが困難な人たちを様々な形で助けてくれてきたことは、未来仏である弥勒仏といまの私たちが特別な縁で結ばれているからであろう。数多の如来たちのなかで、弥勒仏だけが私たちが釈尊の教えを理解するための聖典を私たちに与えてくれ、私たちはそれを通じて、釈尊の教えを説いた教えの中心である般若波羅蜜を学んでいくことができる。
グンタン・リンポチェの『水の教え』は、新型感染症の拡散防止を目指して、読者のみなさまと共に毎日少しずつ読んできたが、残念ながら私たちの善業が足りないのか、感染拡大はまだまだ収束を迎える兆しすら見えてこない。その間多くの生命が失われ、残された私たちは彼らの魂が救済されていくのかどうかも不安なまま暮らさざるを得ない。
これから読んでいきたい『神々とともに一切の世間の唯一の救済主・弥勒勝者に対する悲鳴による讃・梵天の宝冠』と題されたこの新しい詩篇は、ゲルク派の宗祖ジェ・ツォンカパ・ロサンタクパがジンチの弥勒殿を数人の弟子たちとともに、すべての私財を擲って弥勒殿の修復と復興を行った記念に著されたものである。
このジンチの弥勒伝の復興は、1393年にジェ・ツォンカパが行った37歳の時に行っジェ・ツォンカパの四大事業の最初に数えられているものである。ジェ・ツォンカパはこの事業を無事に終えたのち、ロダクのナムカ・ゲルツェンの招聘で、トポ僧院へと移動して7ヶ月ほど滞在し、兼ねてからの夢であった、インドへと出立しようとしたのだが、金剛手や文殊菩薩が現れて、特に文殊菩薩から、インド行くのはいいが弟子たちは必ず病気になるのでやめておきなさい。まずはあなたたちはみんなでジンチの弥勒仏を修復した善業の記念して、このような韻律でこのような文脈でこのような讃を書いてそれを弥勒仏に捧げなさい、そうすれば、未来において律に関する広大なる功徳を積むための縁となるだろう、と教示を受けたことによって、ジェ・ツォンカパが文殊菩薩の啓示するまま記したものである。
この詩篇の冒頭は、ひとつずつが逆説で結ばれており、ここでは二行に分けて和訳してみたが、慈愛の涙に濡れながら、智慧の炎が燃え上がり明るくなる情景にはじまり、ひとつひとつが矛盾しているようで、両立している絶妙なバランスを描いている。これは釈尊の弟子として私たちが既に未来へのあり方を教わっているが、迷いながらまた弥勒仏へと降臨の未来へと希望をつないでいくという、複雑な状況をよく表しており、慈愛の化身である弥勒仏に捧げる愛の歌のはじまりとして、大変味わいぶかい趣のあるものであると思われる。未来の明るさを彩る愛の歌を聴かせてくれ、如来の家族にまだなりきれない私たちの悲鳴に対して微笑みかけてくれるやさしい弥勒仏への讃歌はここからはじまる。