多田等観(1890-1967)は、我が国におけるチベット学の発展のため、日本人のチベット語能力の向上と研究者の育成のため、東洋文庫にチベット研究室を設立し、1961年以来、第一級のチベットの文化人を招聘し日本人研究者を育成しながら「チベット人との共同による言語・歴史・宗教・社会の研究」と題する研究事業を行い、この研究事業は日本におけるチベット研究の中心的な機能を果たすこととなった。
しかしながらチベット研究者が増加するに従って、研究領域は言語・宗教・歴史と多岐に渡り、細分化し、多田等観に教えを受けた北村甫理事長が東洋文庫を退いてからは、徐々に日本にチベット人研究者を招聘することが困難となり、この研究プロジェクトのためにダライ・ラマ法王から派遣された外国人特別研究員は、デプン・ゴマン学堂第七十五世学堂長ハルドン・ケンスル・リンポチェ・テンパ・ゲルツェン師(ཧར་གདོང་མཁན་ཟུར་བསྟན་པ་རྒྱལ་མཚན་; 1932-2012)を最後に途絶えることとなった。
このため東洋文庫にて指導されていた研究を継続するため、師に指導を受けた若手研究者が中心に、新たに民間団体を組織し、文部省の科学研究費に依存しないで、民間の有志の出資者をつのり、学術研究・文化交流などを行う団体として弊会を設立することとなった。弊会では設立当初より東洋文庫では継続できなくなった研究事業を継続すると同時に仏教に関心をもつ有志の人々に、最新のチベット仏教研究の成果を紹介しつつ、我が国における伝統仏教宗派との文化交流活動を行ってきた。
2001年よりは本拠地を広島へと移転し、年に一度の交流事業ツアーを行いながら、デプン・ゴマン学堂の学僧たちへの奨学基金を募り、会の本来の設立目的である研究事業を継続することとなった。ケンスル・リンポチェは、2002年より都度来日し、広島を本拠地として活動し、2006年には大本山大聖院にて我が国初のダライ・ラマ法王による密教伝授会を開催するなど、研究指導のみに留まらない、広範囲に渡った活動を行い、2010年よりは、師の後継者として、クンデリン・ヨンジン・ロサン・ツルティム師(ཀུན་གླིང་ཡོངས་འཛིན་དགེ་བཤེས་བློ་བཟང་ཚུལ་ཁྲིམས་; 1959-2016)に宗教的指導者としての地位を譲り、その後も弊会ではゴマン学堂から伝統教学に精通した学僧をお迎えし、日本人研究者とで共同でチベット仏教の基礎文献を読解し、デプン・ゴマン学堂の伝統教学に基づいたチベット仏教の基本文献を和訳していく事業を重要な活動として位置付けている。
現在この共同研究事業は「Gomang Academy」と名付け継続し、主に日本国内に在住する、日本語を母国語とする若手チベット研究者が将来的にも学術的にも信頼できる正確な日本語訳を作るためのプロジェクトとして、東京・広島の二箇所で研究会を開催し、若手研究者を囲んで、ゴマン学堂出身のゲシェーラランパの方々にテキストを講読していただいている。
同様なプロジェクトとしては、THE UMA Institute for Tibetan Studies (Charlottesville, Virginia)がゴマン学堂の伝統教学の教科書を英語・中国語に翻訳していくというプロジェクトが存在し、ヴァージニア大学のジェフリー・ホプキンス名誉教授を中心として行われ、その成果は同組織のウェブサイトで随時公開されている。
ゴマン学堂から派遣されるチベット人学僧との共同研究を通じて、チベット語仏典の正確な日本語の翻訳 を作成し、その成果を公表することに主眼を置いている。2019年度の活動状況を報告したい。
本年度の研究会開催状況
昨年度に引き続き、2019年度もゴペル・リンポチェを主たる研究指導者とし、根本裕史博士(広島大学)・現銀谷史明氏(東洋大学東洋学研究所)・野村正次郎(弊会代表理事)を中心に研究会を定期的に行った。本年度は弊会日本別院事業部が龍蔵院から真光院へと拠所を移転することとなり、そのため一時諸々の業務が中断せざるを得ないこともあったが、大本山大聖院(真言宗御室派)の全面的支援を得ることができ、2019年8月に真光院へと拠所を移転した後、リンポチェがインドへ帰国する12月初頭までは研究会を継続することができた。
『倶舎論考究』研究会
昨年度に引き続きクンケン・ジャムヤンシェーパ1世ガワン・ツォンドゥー(ཐུགས་ཀུན་མཁྱེན་འཇམ་དབྱངས་བཞད་པའི་རྡོ་རྗེ་ངག་དབང་བརྩོན་འགྲུས་1648–1721)著の『倶舎論考究』(དམ་པའི་ཆོས་མངོན་པ་མཛོད་ཀྱི་དགོངས་འགྲེལ་གྱི་བསྟན་བཅོས་ཐུབ་བསྟན་ནོར་བུའི་གཏེར་མཛོད་དུས་གསུམ་རྒྱལ་བའི་བཞེད་དོན་ཀུན་གསལ་ 『阿毘達磨倶舎論密意註・牟尼摩尼宝蔵・三世勝者一切御意趣解明』 )を現銀谷史明氏を中心として本年度も行った。
2019年度は『倶舎論』第一界品の有為法異門の箇所(第7偈)から五根とは何か、五境とは何か、有表色・無表色の箇所(第11偈)まで解読を進めることができた。
世親の『阿毘達磨倶舎論』(Abhidharmakośa)は我が国でも「唯識三年、倶舎八年」と呼ばれているように仏教教理に関する最も難解かつ基礎的学問でもある。我が国には、入唐して三蔵法師玄奘(602-664)に師事して帰朝した道昭(629-700)が請来し、南都の東大寺などで講じたことから奈良時代にその学の伝統は遡ることができる。
明治以降、近代仏教学の登場以降、我が国では梵語原典の解明を主眼とする研究が盛んになったが、護法の『成唯識論』と世親の『倶舎論』の二書は、今日もなお仏教教理の学習において重要な位置を占めている。
上座部仏教の伝統を継承している場所以外では、古今東西最も基礎的な仏教の教理学の基礎であることには変わりはない。平安時代にはじまる天台・真言の開祖である伝教大師最澄や弘法大師空海の著作でも、また鎌倉時代に新興した日本仏教の各宗派の開祖の著作であろうとも、その多くの伝統教学が『倶舎論』所説のものに由来している。
我が国ではこれまで多くの研究者が倶舎論研究に取り組んできたことも確かであり、『阿毘達磨第毘婆沙論』をはじめとする「六足発智」や『順正理論』などの多くの漢訳文献を参照可能であり、かつ梵文原典の研究も世界的に最も進んでいる。日本においては奈良時代より阿毘達磨学の伝統があるからこそ、チベット仏教の阿毘達磨学に関しても独自の研究を期待できるはずである。
チベット仏教における阿毘達磨学の伝統はチム・ロサンタクパ(མཆིམས་བློ་བཟང་གྲགས་པ་; 1299–1375) (1)チム・ロサンタクパは、ナルタン寺第12世座主であり、ジェ・ツォンカパ・ロサンタクパの「ロサンタクパ」の名前は、チム・ロサンタクパがツォンカパの師となったチャキュン僧院の創始者チュージェ・ドンドゥプ・リンチェンに対して「私の名前はアムド地方の若者が継承するだろう」と授記したのに基づいて、ジェ・ツォンカパが7歳の時に出家した際にチュージェ・ドンドゥプ・リンチェンがその授記通りに名付けたものである。の『チムズー』(མཆིམས་མཛོད། མཛོད་འགྲེལ་མངོན་པའི་རྒྱན་倶舎論註・阿毘達磨荘厳)を中心とし、ゲルク派においても倶舎論の学級では、通常世親の『本頌』と『チムズー』を学ぶ。『チムズー』がチベット仏教の基本的な倶舎論を学ぶための文献であることは確かであるが、残念ながら我が国でも諸外国でも本格的には研究されていはいない。 (2)国内では、小谷信千代『チベット倶舎学の研究 : 「チムゼー」 賢聖品の解読』(文栄堂書店, 1995年)が賢聖品の和訳を発表し、昨年にはセラ・チェー学堂で学んだIan James Coghlan氏によって全章に渡る英訳が発表されたChim Jampalyang. Trans. Ian James Coghlan. Ornament of Abhidharma: A Commentary on Vasubandhu’s Abhidharmakosa. Library of Tibetan Classics Book 23. Wisdom Publications, 2019.。
『倶舎論考究』はジャムヤンシェーパがゴマン学堂長の在任期間に、ゴマン学堂のグンル・チューキ・ジュンネー(གུང་རུ་ཆོས་ཀྱི་འབྱུང་གནས་: ca.16c–17c)の「旧版教本」(ཡིག་ཆ་རྙིང་པ་)にはそもそも倶舎学・戒律学の教本がなかったこともあり、今後ジャムヤンシェーパ程の大学者が出現することも難しいであろうから、この機会に倶舎論・戒律学の教本を執筆して欲しいと懇願したところ、ジャムヤンシェーパも多忙であり体力的にも難しいと一度は断ったのだが、カーラム学級のゲシェーたちや各地方学寮の教師や執行や老僧たちが倶舎学・戒律学・般若学についての教本の執筆を懇願したので受諾し、1701年に執筆開始され、執筆が終わるたびに、学堂の問答法苑ですぐに利用され議題として使われていったと言われている。『倶舎論考究』はインド撰述の倶舎論注釈を多く引用し詳細な議論を展開しているだけではなく、過去のチベットにおける学説などを再検討したり、『阿毘達磨集論』(Abhidharmasamuccaya)との比較対照分析を行っている。18世期に書かれたチベットの倶舎学の最終発展形であるといっても過言ではない。
『倶舎論考究』は、タシキル版全集thaの上下の帙があり、上帙は、第一界品(107 folios)、第二根品(102 folios)、第三世間品(131 folios)で合計340フォリオあり、下帙には、第四業品(127 folios)、第五随眠品(61 folios)、第六賢聖品(61 folios)、第七智品(42 folios)、第八定品(45 folios)の合計336フォリオがあり、上下帙を合わせて676フォリオにもなる大部の著作である。タシキル版全集cha帙所収の『律難処考究』は合計474フォリオとなり、『波羅蜜学考究』はja, nyaの二帙に所収され、合計で690フォリオになる。『中観大論』は442フォリオであり、『量評釈考究』は計435フォリオとなり、『学説規定大論』は546フォリオであり、『了義未了義大論』(143 folios)や『禅定無色大論』(264 folios)などと比較してみると、『倶舎論考究』『律難処考究』『波羅蜜学考究』は、「四つの大論」を凌駕する圧巻であることが分かる。
その内容は近年日本で行われて来た阿毘達磨倶舎論とその周辺文献の原典研究と比較しても引けを取るものではない。時にはジャムヤンシェーパのインド文法学・修辞学に対する知識や仏教論理学の知識などをも背景とした議論を我が国にひろく紹介することで、現代の印度学仏教学の倶舎論研究状況を大幅に進展させることが期待できる。
『中観大論』研究会
クンケン・ジャムヤンシェーパには「四つの大論」(ཆེན་མོ་བཞི་)と呼ばれる大部の著作があり、『中観大論』(དབུ་མ་ཆེན་མོ་)『学説大論』(གྲུབ་མཐའ་ཆེན་མོ་)『了義未了義大論』(དྲང་ངེས་ཆེན་མོ་)『禅定無色大論』(བསམ་གཟུགས་ཆེན་མོ་)の四つは、他のゲルク派の学堂教本作成者を圧倒的に凌駕する分量・内容をもっている。
日本では中観思想に対する関心が高いこともあり、ゴペル・リンポチェの提案で、本年度からは『中観大論』の研究会を開催し、同書の概論部分と考究部分の自説の箇所を和訳してはどうか、という提案があった。これを受けて、2019年4月よりほぼ毎週2時間程度、根本裕史博士を中心として研究会を開催することとなった。
本年度は、冒頭から58フォリオ読解することができ、該当する科文としては、供養文、名称の意味と入中法、声聞独覚が仏から如何に生まれたのか、仏は菩薩から如何に生まれたのか、菩提心の主要な三因、各別礼拝、菩薩地概論、菩薩荘厳功徳、種姓殊勝相、慧殊勝相、声聞独覚の法無我証解が有ることの説示という箇所にいたるまで、すなわちゴマン学堂における「中観初級」(ウマ・サルパ)に該当する箇所を一通り通読することができた。
通常ゴマン学堂ではジェ・ツォンカパの『密意解明』の講読はあるが、『中観大論』の講読は希望者のみが行うものである。ゴペル・リンポチェもゲン・ロサンからは主として『密意解明』の講伝を受け、『中観大論』は自習したり、問答法苑にて問答をしながら学んできたので今回この研究会のために改めて再学習するよい機会であるとのことで、『中観大論』に記載の箇所で問題がある場合には、随時、諸先輩や学友などからの助言などを受けながら、我々に指導していただくこととなった。
『中観大論』(དབུ་མ་ལ་འཇུག་པའི་མཐའ་དཔྱོད་ལུང་རིགས་གཏེར་མཛོད་ཟབ་དོན་ཀུན་གསལ་སྐལ་བཟང་འཇུག་ངོགས་『入中論考究・教理宝蔵一切甚深義解明・賢劫桟橋』)は三十八歳の時に『了義未了義大論』、四十一歳の時に『禅定無色大論』、四十二歳の時に著作開始した『学説大論』と比較すると「四つの大論」のなかで最後に書かれたものであり、ジャムヤンシェーパが1695年、48歳の年にデチェンチュージェ・タクパギャツォなどの多くの者が委嘱し書き始めた。跋文によれば、多くの自己の研究ノートとしても役立つために、自筆で書き、その完成について正月五日付での廻向文を記している。
本書の執筆時点ではジャムヤンシェーパは未だデプン大僧院の裏山ゲペル山の山荘に滞在し、いまだゴマン学堂の学堂長に就任するために下山していない時期に筆記者を媒介せず自筆で著したものである。またラブラン・タシキル第二世座主トゥクセー・ガワンタシー(ཐུགས་སྲས་ངག་དབང་བཀྲ་ཤིས་: 1678–1738)は、タシキルにて『中観大論』の講伝を行っており、その時の講義録『中観教理宝蔵講釈記』も現存する。またジャムヤンシェーパ二世クンチョク・ジクメワンポの『中観小論』(入中論考究教理明灯)は講義の利便性を考えて編纂された本書の要約版である。まずはこの二書との対照作業などを踏まえ、その後のゴマン学堂、タシキル僧院に関連する諸学者の著作、更には「旧版教本」(イクチャ・ニンパ)などを対照しながらの分析しながら、『中観大論』本文に対する理解を確定していく作業が必要となるであろうし、将来的には現在のゴマン学堂の教授陣との連携した研究活動が今後必須であろう。
ジャムヤンシェーパの教本は、ゴマン学堂だけではなく、タシキル、クンブム、ゴンルンといったゲルク派のアムドにおける重要拠点で広く読まれてきたものである。更にはモンゴル、カルムキアといった地方の僧院など中央アジア全域に渡って、その影響は及んでいる。本研究会で解読をすすめている『中観大論』の研究会の成果は、中央アジア全域を横断する地域における仏教哲学の最も深淵な中観思想の全貌を明らかにするものであり、我が国だけではなく、世界的な中観思想研究のなかでも最先端かつ最高品質の事例となることが今後期待できるものである。本年度はゲルク派の宗祖ジェ・ツォンカパの第六百回大遠忌にあたり、本年度ジェ・ツォンカパの思想の最も根源的なものに関する研究の扉を開くことができたことは、非常に素晴らしい機会となった。
『中観見解指南』
昨年度にはケードゥプジェ・ゲレクペルサンポによる『中観帰謬派見解指南書』の講読を行っていたが、この和訳研究は2018年度から2019年度によって和田賢宗(曹洞宗僧侶・東京大学大学院)によって東京大学大学院人文社会系研究科へ修士論文「ツォンカパにおける存在認識の理論と実践」の一部としてが提出された。和田はその後本山デプン・ゴマン学堂に留学する準備として、5月・9月の二回に渡って国内留学として広島に滞在し、10月初旬より本山にて学問の研鑽に励んでいる。 和田賢宗氏の国内留学に際しては氏の宿泊先として社会法人燈心会・三滝苑の協力により、期間中三滝苑に滞在させていただいた。ここに記して深謝申し上げたい。
『中観帰謬派見解指南書』はジェ・ツォンカパによる中観思想の観想法を小編の作品にまとめたものであり、空性に対する修習法の手引書であり、人無我・法無我に対する止観修習法であり、ゲルク派の観想法のテキストのなかでは極めて重要な著作でもある。この。『中観帰謬派見解指南書』に関しては、ケードゥプジェの実弟バソ・チューキ・ゲルツェン(བ་སོ་ཆོས་ཀྱི་རྒྱལ་མཚན་:)の『中観見解指南書』が有名であり、ゴマン学堂のタツェク・ジェドゥン・クンデリン・リンポチェの化身譜にも数えられる重要な人物である。
ケードゥプジェのこの中観見解指南の法脈はゲルク派内部では、所謂「エンサ・ニェンギュー」と呼ばれるゲルク派内に継続しているカギュ派的な法脈として有名である。特にカギュ派の「大印契」(マハームドラー)やニンマ派の「大究竟」(ゾクチェン)とも縁が深い。中観見解指南の法脈はもう一方では、ジェ・シェーラプ・センゲ「四思念具足」(དྲན་པ་བཞི་ལྡན་)を通じて伝わっている法脈があり、ダライ・ラマ法王による両方に関する中観見解指南書の講伝を行っており、既にその講伝録も出版されている。
これらは一般の人々が中観思想の実際の実践を行うために極めて有益なものであり、特に密教において本尊瑜伽の修習をするに際して、空性を証解する知の所取相を本尊として生起させるために必須のものとなり、顕教においても密教においても極めて重要なものである。これらは文献としてはそれほど分量もないので、今後弊会ウェブサイトなどを通じチベット仏教ゲルク派の空の観想法として徐々に機会をみて成果を公表したい。
『証因類規定』
研究会参加者にはチベットの問答形式による記述に慣れていない者も多いので、『中観帰謬派見解指南書』を読み終えた後には、ゴペル・リンポチェからジャムヤンシェーパの『証因類規定』(『証因類規定抄明善説金蔓荘厳』)を講読してみてはどうか、という提案があり、それを数回読むこととなった。
しかしながら『証因類規定』はダルマキールティの『量評釈』第一章・『量評釈自注』などにおける「自己のための比量」に関して極めて発展的議論が展開しているため、仏教論理学についての基礎教養がなければ、何の議論をしているのか理解しづらい。実際に数回研究会を行ったが『倶舎論考究』と同様に若手研究者には、若干高度過ぎて議論についていけない。そこで一時中断し、その前に各自でダルマキールティの『正理滴』およびダルモーッタラの『正理滴註』などのサンスリット原典を自習し、チベット仏教論理学の基礎を学びなおした上で、ジャムヤンシェーパのテキストに再挑戦してもらうこととなった。
『証因類規定』に関するいくつかの箇所については既に英訳や中国語訳もあり、根本裕史博士も既にいくつの論文を発表している。UMA Insitituteでも『量評釈考究』第一章の英訳を行いつつある。今後は研究会を再開し、トゥクセー・ガワンタシーによる『証因類自説』やグンタン・ロトゥギャツォの『証因類割註』で補いつつ、今後まとまった成果を発表すべく研究会を再開したいが、それには「仏教論理学概論」(ドゥダ)に関する学習なども前提常見として必要と思われるので、そちらの学習環境の整備なども今後必要であると思われる。
『縁起考究教理蔵』
現代のゲルク派デプン・ゴマン学堂をはじめとするチベット文化圏における波羅蜜学(phar phyin, 五大聖典の中の『現観荘厳論』に関する学問 )の伝統教学カリキュラム で使用されているグンタン・テンペー・ドンメ(གུང་ཐང་འཇམ་དཔལ་བྱངས་དཀོན་མཆོག་བསྟན་པཔཔའི་སྒྲོན་མེ: 1762–1823)の『縁起規定・教理蔵』(རྟེན་འབྲེལ་གྱི་རྣམ་བཞག་ལུང་རིགས་བང་མཛོད་)の解読と訳注研究作業を行い、チベット仏教僧院における縁起思想の全体像を明らかにしたい。
すでに多くの研究者によって明らかにされていることであるが、ゲルク派の僧院の伝統教学カリキュラムにおいて、波羅蜜学は、「通論」(ཐལ་ཕྲེང་)と「特論」(ཟུལ་བཀོལ་)に分けられる。「通論」(ཐལ་ཕྲེང་)では、マイトレーヤの『現観荘厳論』(Abhisamayālaṃkāra)およびハリバドラの『現観荘厳論小注』(Abhisamayālaṃkārakārikāśāstravivṛtti)を、ツォンカパ・ロサンタクパ(Tsong kha pa Blo bzang grags pa: 1357–1419)の『現観荘厳論釈・善説金蔓』(ལེགས་བཤད་གསེར་ཕྲེང་: Tohoku No.5412, tsa 1-405)およびギャルツァプジェ・タルマリンチェン(རྒྱལ་ཚབ་རྗེ་དར་མ་རིན་ཆེན་ེ: 1364–1432)の『現観荘厳論釈・心髄荘厳』(རྣམ་བཤད་སྙིང་པོ་རྒྱན་: Tohoku No.5433, kha 1-346)を基本テキスト として、その内容を議論し哲学的問題を問答するための教本として、各学堂では問答の教本ともいれる「イクチャ」(ཡིག་ཆ་)と呼ばれる文献群を学ぶ 。
これに対して「特論」(ཟུལ་བཀོལ་)では、「二十僧伽論」(དགེ་འདུན་ཉི་ཤུ་)、「了義未了義論」(དྲང་ངེས་)、「阿頼耶識論」(ཀུན་གཞི་)、「四聖諦論」(བདེན་བཞི་)、「禅無色論」(བསམ་གཟུགས་)、「縁起論」(རྟེན་འབྲེལ་)という議題ごとに分かれ一定期間「通論」から派生した議論を学ぶサブカリキュラムとして定着しているものである。本研究で扱う、『縁起規定・教理蔵』は、聖典上級(གཞུང་གོང་)特論(ཟུལ་བཀོལ་)のひとつある。
ゲルク派における波羅蜜学は、通常、瑜伽行中観自立派とされるハリバドラの『現観荘厳論小注』を中心としたものであるが、初期・中期の大乗仏教の仏教論理学・唯識思想・中観思想が統合された形で反映している。すなわち、ハリバドラの教義の枠組みを超えて、毘婆沙師・経量部・唯識派・中観派(自立派・帰謬派)の諸派の議論を踏まえた、チベット仏教の阿毘達磨学・論理学・唯識思想研究・中観思想研究のすべてを反映した、多角的な視点をもっているものである。また、本研究で扱う『縁起規定・教理蔵』で論じられる縁起思想のトピックにおいても、多角的な視点が反映されていることに特徴があるといえる。しかし残念なことに、近年のチベット仏教学における「縁起」に関する議論は、主に中観思想(དབུ་མ་)や学説規定(གྲུབ་མཐའ་)に関する研究の一環とし取り扱われてきたに過ぎないのであって、チベット仏教の伝統教学、すなわち「波羅蜜学特論」(ཕར་ཕྱིན་ཟུལ་བཀོར་)としての縁起思想研究そのものに対する研究がなされたことはなかった。
『縁起規定・教理蔵』は、現在ゴマン学堂系列の僧院の教本のなかでも最も普及した書物であり、ジャムヤンシェーパの『縁起考究・教理宝蔵』(རྟེན་འབྲེལ་གྱི་མཐའ་དཔྱོད་ལུང་རིགས་གཏེར་མཛོད་ 58 folios)ならびにその直弟子であるセー・ガワンタシーの『甚深縁起考究善説海』(རྟེན་འབྲེལ་ཆེན་མོ། ཟབ་མོ་རྟེན་ཅིང་འབྲེལ་བར་འབྱུང་བའི་མཐའ་དཔྱོད་ལེགས་པར་བཤད་པའི་རྒྱ་མཚོ་)の二本のなかの重要な部分要約するという形で成立している。これらは通常「波羅蜜学」のなかで「聖典上級クラス」において講読対象とされ、特に『縁起規定・教理蔵』が簡便なことも理由となり、「講伝」(དཔེ་ཁྲིད་)の中心である。『縁起考究・教理宝蔵』や『縁起大論』は各自自習するという形をとって指導が行われることが多い。『縁起考究・教理宝蔵』は、ジャムヤンシェーパ自身が著作をしながらが自ら無明に関する記述があまりにも冗長になり反省し、未完のまま破棄した、と伝えられているものであり完全ではない。これに準ずるものが『甚深縁起考究・ジェ・ラマ・ジャムヤンシェーパの無垢なる教流』(ཟབ་མོ་རྟེན་འབྲེལ་གྱི་མཐའ་དཔྱོད་རྗེ་བླ་མ་འཇམ་དབྱངས་བཞད་པའི་རྡོ་རྗེའི་གསུང་རྒྱུན་དྲི་མ་མེད་པ་ Vol. da. 17 folios)と題された講義録がジャムヤンシェーパ全集には所収されているが、これも短い未完のものに過ぎない。
ゴマン学堂系列の縁起特論の教本は、ジャムヤンシェーパが1709年にタシキル僧院(དགའ་ལྡན་བཤད་སྒྲུབ་དར་རྒྱས་བཀྲ་ཤིས་གཡས་སུ་འཁྱིལ་བའི་གླིང་)を開創してすぐに弟子のセー・ガワンタシーに命じて更なる顕教教学の整備を行う命を受け、火龍歳(1736年)に『縁起大論』として縁起特論の教学は集大成 となり、ほかのジャムヤンシェーパの著作とともに流布するものとなった。
グンタン・リンポチェの『縁起規定・教理蔵』は彼が23歳の時、1784年にデプン大僧院において、化身ラマ・ゲルケンポ・タクパ・ギャルツェン(rGyal mkhan po Grags pa rgyal mtshan: 1762–1835/37) (3)TBRC Resource ID P297: 1773年よりラブラン・タシキル僧院にてグンタン・テンペードンメの弟子となり、1773年にデプン・ゴマン学堂ジャムヤンシェーパ2世クンチョク・ジクメワンポ(1728-1791)によってゴマン学堂のラマ、サンゲードルジェの化身として認定される。1783年に中央チベットに留学し、デプン・ゴマン学堂に入り、1788年には再びラブラン・タシキルに戻り、第二十三世座主となる。彼は清朝とタシキル僧院との訴訟の解決の際に金瓶掣籤を利用したことが有名であり、清朝とモンゴルとの間の法的な仲裁にあたった人物として知られている。Nietupski, Paul. 2011. Labrang Monastery: A Tibetan Buddhist Community on the Inner Asian Borderlands, 1709-1958. Plymouth: Lexington Books, pp. 135.のために暗記用のテキスト(འཛིན་ཆོས་)として著されたものである。他のテキストに比べて分量もほどよく、有為縁起の十二支に関してもすべて網羅しつつも命題表現なども最小限によく纏まっている。ためか、ゴマン学堂のみならず現在ではセラ・ジェ学堂をはじめとする他の学堂でもよく読まれるものとなっっている。このようなことからも『縁起規定・教理蔵』は十二支縁起に関するチベット仏教の教本の最終形でもっとも流布している標準的なテキストであると言える。
2019年度は研究会、冒頭部分から〈行〉の部分の末尾までの講読および問答の内容・論理構造・表現形式について読解をすすめることができた。今後この研究会は継続し来年度には本書全体の試訳を公開できるのではないかと思われる。
注
↑1 | チム・ロサンタクパは、ナルタン寺第12世座主であり、ジェ・ツォンカパ・ロサンタクパの「ロサンタクパ」の名前は、チム・ロサンタクパがツォンカパの師となったチャキュン僧院の創始者チュージェ・ドンドゥプ・リンチェンに対して「私の名前はアムド地方の若者が継承するだろう」と授記したのに基づいて、ジェ・ツォンカパが7歳の時に出家した際にチュージェ・ドンドゥプ・リンチェンがその授記通りに名付けたものである。 |
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↑2 | 国内では、小谷信千代『チベット倶舎学の研究 : 「チムゼー」 賢聖品の解読』(文栄堂書店, 1995年)が賢聖品の和訳を発表し、昨年にはセラ・チェー学堂で学んだIan James Coghlan氏によって全章に渡る英訳が発表されたChim Jampalyang. Trans. Ian James Coghlan. Ornament of Abhidharma: A Commentary on Vasubandhu’s Abhidharmakosa. Library of Tibetan Classics Book 23. Wisdom Publications, 2019. |
↑3 | TBRC Resource ID P297: 1773年よりラブラン・タシキル僧院にてグンタン・テンペードンメの弟子となり、1773年にデプン・ゴマン学堂ジャムヤンシェーパ2世クンチョク・ジクメワンポ(1728-1791)によってゴマン学堂のラマ、サンゲードルジェの化身として認定される。1783年に中央チベットに留学し、デプン・ゴマン学堂に入り、1788年には再びラブラン・タシキルに戻り、第二十三世座主となる。彼は清朝とタシキル僧院との訴訟の解決の際に金瓶掣籤を利用したことが有名であり、清朝とモンゴルとの間の法的な仲裁にあたった人物として知られている。Nietupski, Paul. 2011. Labrang Monastery: A Tibetan Buddhist Community on the Inner Asian Borderlands, 1709-1958. Plymouth: Lexington Books, pp. 135. |