チベットのインターネットラジオでも日本の東日本大震災のことが報じられています。ダライ・ラマ法王も、説法に集まった人々に、般若心経を唱えるようにと呼びかけておられました。
今チベット本土では、亡命政府で行われる選挙に合わせて、チベット人に対する締め付けが厳しくなっていると聞きます。どうか、人々が苦しむことがないようにと祈ることしかできません。
ここ数日、寒波が戻って寒い日々が続きました。広島もみぞれが降っていましたが、テレビに映し出される被災地も雪で白く染まっていました。
「この上雪なんて降らなくていいのに。降るのなら私たちのところに降ってくれればいいのに」
と、アボさん。地震と津波で被害を被った人の苦しみを少しでも自分が引き受けることが出来ればいいのにと、悔しそうにしておられました。
他人の苦しみを引き受け、受け入れようとする心。そのやり方でしか、本当の意味で苦しみから逃れる方法はないのではないかと、アボさんの言葉を聞いて、ふと思いました。
以前、他の僧侶の方に、
「他人が苦しんでいるのを目にしたならば、『オンマニペメフム』と唱え、その苦しみが自分にくるように祈りなさい」
と言われたことがありました。
人は誰でも苦しみから逃れたいと思います。痛いのも嫌だし、苦しみたくなんかありません。だから、他人が苦しむのを見たとき、可哀想だと思いながら心のどこかで『私じゃなくてよかった』と思う気持ちがあるのではないでしょうか。それなのに、どうして他人の苦しみを受け入れたいなんて言えるのか、その時はよくわかりませんでした。だけど、アボさんの言葉を聞いて、その僧侶が言ったことの意味の一部を教えられた気がしました。自分よりも他人のことを思いやることが出来たとき、自分の受けた苦しみは、もはや苦しみではなくなるのではないかと。
どうか全ての生き物が、苦しみから離れることができますように。