パスポートの申請を終え、日本に戻ってこられたアボさん。インドも日本同様季節の変わり目で、ゲンチャンバと同じくアボさんも少し風邪気味。
アボさんに、「アボさんの人生について教えてくださいと」言うと、いつも
「私の話なんて、聞いても面白くないですよ」
という答えが返ってくる。
そんなことないです、そんなことないですと何度か繰り返すと、やっと少し口を開いてくれる。
あんまり話してくれないものだから、「お坊さん同士は自分の話をしないんですか?」と尋ねると、
「そんなことないですよ。いっぱい話します」
という答えが返って来た。
その答えを聞いたとき、チベットの人々と今の日本に生きる人間との間にある、越えがたいあるものを感じた。
「私がほんとに幼かった頃、チベットには食べ物がありませんでした。多くの人が餓死し、少しのツァンパがあれば草を混ぜて食べました」
アボさんの表情、口調はいつもと変わらない。見た目にはいつものアボさんである。
「日本も戦時中は物資に貧窮したでしょう。だけどチベットの場合は中国に占領されたので、少し状況が違います。彼らは私たちのところへやってきて物を全て奪っていきました」
私の戦時中の祖母の話を聞いたことがある。祖父が南方で戦死し、たくさんの子どもを抱えて苦労した話。物が徐々に不足していき、終戦間際には食べるものもろくに無かったと。
「毎日人を大衆の前に引っ張りだし、糾弾して殴るんです。貴族のようなお金持ちに仕えていた人たちは『こいつは悪人だ!』といって、もとの主人を批判しました。当時、チベットの中でもいろんな行動に出た人たちがいました。中国側に与するチベット人もいました」
人々のプライドはどんなに傷つけられたか。疑惑、欺瞞、懐疑。
「今は、ご飯も食べられるし、仏教も勉強できるし、幸せですよ」
アボさんはにっこり笑う。やっぱりいつもと同じ笑顔に見える。
たぶん、我々にはチベットの人々の苦しみは理解できない。負ってきた文化的な苦しみがあまりにも違う。だからきっと、アボさんは自分の話をあまり話したくないのかと思う。現代の日本に生きる人たちに、その苦しみが感覚として理解できないということを知っているから。それなのに、無理に話を聞き出そうとするのは、彼の古い傷をえぐりだすというだけでなく、その苦しみを映画を鑑賞でもするかのように振る舞う、不躾な態度に彼には映るのではないか。そう考えると、話をきくこと自体が恐くなる。
確かにチベットの人々の話を聞きたいというのは、こちらのエゴだ。そのせいで相手を傷つけることもあるだろう。だがそれでも、チベットの人々の背負っているものを少しでも理解したいと思う。相手の立場になることが不可能だからこそ。
だから今日も「アボさんの人生について話してください」と頼んでみよう。