お坊さんたちは電話が大好き。これは特に日本に来ておられるから、というわけではなく、一般的にチベットの人たちはみんな電話好きだ。それはチベットやラッダクのような広大な土地においては、家族や友人たちと話をすることができない時間が長いからかもしれない。
もうすぐアボさんが帰国されるが、それまではゲンチャンバお一人。いのししやたぬきの友達が遊びに来てはくれるが、ゲンチャンバ曰く、
「いのししの言葉は少ししかわからないなぁ」
とのことなので、話相手にはちょっと不足。
そうなるとチベットやインドに電話をかけて親戚や友人たちと話をするしかない。
しかしこんな時に限ってゲンチャンバのパソコンの調子が悪く、インターネット電話が使えない。
ゲンチャンバの姪の一人が、現在中国の大学に通っている。彼女もインターネット電話が使えるので、毎週決まった時間に話をしていたが、今はパソコンが使えないため、彼女と話ができない。パソコンが不調だと伝えるために彼女の携帯に電話すると、ゲンチャンバの電話がこないこないとずっと待っていたとのこと。
「あの子は心配性でね。私の声がかすれてると言って泣くんだよ」
とゲンチャンバ。
季節の変わり目で風邪をひいてしまい、なかなか治らないゲンチャンバ。彼女は電話口でその声の違いを鋭く聞き分けたのだろう。
「お前が泣いて風邪が治るわけでもないんだから泣くなって言ったんだがねえ」
と言ってゲンは少し照れくさそうに笑う。
ゲンチャンバにはたくさんの甥や姪がいる。その中で大学に通っているのは彼女だけらしい。
「従兄妹に子どもを大学に進学させた方いいと勧めたんだ。彼女の夫は『金がないから無理だ』と言ったが、私が学費を半分負担するからと強く言ってね」
子どもの養育費は確かに高い。大学に四年間送るとなると相当の費用がかかる。しかし、チベットで親が金が無いというとき、ほんとうに無いのではなく車や宝石などを買うために金がないという場合が多いらしい。
以前、ゲンチャンバと同じカム出身の先生が、
「カムでは祭りの日に大きなトルコ石や瑪瑙を付けて着飾る。だがそんなものを使うのはせいぜい年に一回。その他の期間は家の中にしまっておいて、泥棒に盗まれないかと心配している。だからそんなものは売っぱらって子どもの養育費にあてろと兄弟に勧めたんだが、なかなか聞かんね。本当に子どもを愛しているというのなら、石なんか大事にするより、子どもに教育の機会を与えてやるべきだと言ったんだが」
と故郷の親族を憂いて語られた。
来月広島に来られるダライラマ法王も、チベットの子どもたちの教育が重要だと幾度となく説いておられるが、こうした話を聞くとまだまだ難しい問題なのだと感じる。
「姪に『金が必要ならいつでも言うんだぞ』と言うんだが、『お金があっても他の人が貸してくれってやってきて困るからいらないわ』と言うんだ」
確かに友人に金を貸してほしいと頼まれて貸さないのは心苦しいし、かといってその金を返してくれる保証もないだろう。ならば最初から金を持たない方が賢明だ。
「普通の子どもたちはいくら金があっても『もっと、もっと』と親に金を無心するんだがね」
ゲンチャンバの声がかすれていると言って涙を流す姪っ子。きっと今日も、伯父さんからの電話を心待ちにしている。