「チベットの諺では、『思った時が、ちょうど良い時期』といいます」
チベットの留学生さんと話をしていた時に、この諺を教えてもらいました。ある方が、「もっと若い頃から仏教を勉強しておけばよかった」と後悔を口にされた時に、留学生さんはこの諺を返したそうです。私達は「何かをするのが遅すぎた」と後悔する時、得てして「私にはもう出来ない」と思って諦めてしまっています。ですが、自分の間違いに気づいた時が、本当は間違いを正せるチャンスなはずです。
ダライ・ラマ法王の法話の中にも、面白いエピソードがありました。釈尊の在命中、一人のおじいさんがいました。その人は年をとって家族から厄介者扱いされて家に居づらくなり、出家しようと考えました。動機はともあれ、おじいさんは仏教僧伽のところへ、「出家させてください」と頼みに行きました。すると僧侶たちは「あなたは年をとり過ぎているから無理ですよ」と言って、断りました。家にも戻れず、出家も拒まれて途方に暮れたおじいさんは、思い余って自殺をしようと考えました。するとそこへちょうど釈尊が通りかかられ、「どうしたのですか?」とおじいさんに尋ねられました。「こういう経緯で…」とおじいさんが答えると、釈尊は、「問題ないですよ、出家なさい」とおじいさんの出家を許されました。おじいさんは喜んで出家し、一生懸命修行に励んで、阿羅漢の境地を得ることができました。
「だから、あなたたちも、『自分は歳をとりすぎたから、勉強できない』と思ってあきらめてはいけませんよ」
と、ダライ・ラマ法王は、笑いながら聴衆に語りかけられました。
「たとえ明日死んだとしても、今日法を学べば益がありますよ」
法を行おうと心に思えること自体が、私達には非常に稀です。「やろう!」と思えたその機会を逃さずに、実践していきましょう。
今日、今この瞬間が、まさにその時です。