傲慢の固まりに水を撒いても、福徳は生じない
以前の記事でも書いたことがありますが、その通りだなあと最近実感するようになりました。普段の生活の中で、知らず知らずに他を見下して、自分が正しい、自分の方が上だと思おうとしていることはないですか?他人が失敗すれば喜び、自分が他人よりも成功したら喜ぶ。自分が他より優っていると思って傲慢になる。これは本当はとても怖いことだと思います。
例えば、宗教を一つ考えてみると、自分の宗教だけが正しくて、他が劣っていると考えて相手を見下すと、そこから軋轢が生じてきます。ダライ・ラマ法王は、世界中で講演会をおこなっておられますが、人々に仏教に改宗しなさいとは決しておっしゃいません。他の宗教を認めた上で、尊敬しすることが大切であるといつも説いておられます。日本にももともと素晴らしい仏教の伝統があります。それを尊敬した上で、チベットの仏教を実践していくのが大切だなあと、最近自分を反省しました。
また傲慢があると、利他行からどんどん遠ざかっていってしまいます。自分が自分が、と思っていると、結局自分が中心になって、菩提心から離れていく一方です。だから、やっぱりお坊さまたちのおっしゃっていることは正しいなぁと、反省する日々です。
最近、チベット人の先生とお話ししていた時に、
「チベットの諺で、『人生には楽しみ三つ苦しみ三つ』と言います。要するに、人生には波があるということですよ」
と教えていただきました。楽しいことがあったときは仏様やラマのおかげだと思い、苦しいことがあったときは自分の悪業が尽きたと思って喜ぶといいですね。
寒く厳しい冬も終わり、桜の花が満開です。