「チベットの人たちは、ちょっと変ですよ」
アボさんやリンポチェと同じ、東チベットのカム出身のお坊さんとお話しをしていたときに、ぽっと言われました。何のことだろうと思っていると、
「チベットの人たちは、仏道に励みます。でも、普通の生活を見てみると、嘘をついて人を騙して金儲けしてるんですよ。そして、そこから得たお金で、お寺に布施をしたり、人に施しをしたりしているんです。その目的も、自分が幸せになるためなんですね」
善業を積みたい。良いことをしたい。それはもちろん良いことです。でもまずは、自分の足元を確かめなければなりません。
「布施をしてもしなくてもいいです。それよりも大切なのは、心を綺麗にすること。悪いことをしないで、良い心をもつことですよ」
その言葉を聞いた時、本当にその通りだなあと思いました。善業を積めるように、人のためになれるように、そういう心を持ちたいと常々願っています。でもその実、自分が何をやっているかといえば、不善ばかり行なっています。人と喧嘩して、傷つけて、自分の欲望に流されて…。悪業を積みながら、善業を積もうとする。そんな矛盾したことを素知らぬ顔で繰り返しています。本当はまずは何よりも、自分の心を正すことが大切なのに。「でも、良い心を持つことはとても難しいです」と言うと、
「それはそうですよ。私たちは始まりのない昔から、煩悩や無明に慣れ親しんでいますから。でもだからといって『できない』と思って諦めてしまうのは間違いです。少しずつ、変えることは出来ますよ」
と答えが返ってきました。私たちはすぐ結果がでないと、あきらめてしまうことが往々にあります。ですが、それではダメなんですね。前に法話会の時に、「私たちはお坊様たちのように出離の思いを常に持てないのですが、どうしたらいいのでしょう?」という質問が出ました。するとアボさんは笑われて、
「私たちだって、ずっと出離の思いを持ち続けていれるわけではないですよ。簡単に持てるものではありません」
と答えてらっしゃいました。出家者の方たちでさえそのようならば、私たちはなおのこと時間がかかってでも頑張らなければならないですね。
「暑さがあるとき、寒さはないでしょ?それと同じように、心に良い思いがあるときは、悪い思いは入ってこれないんです。だから、良い思いに慣れ親しんでいけばよいんですよ」
どんなに良い教えを聞いても、日々の忙しさの中ですぐに忘れてしまいます。でもそれでもあきらめずに、日々良い心を持てるようにしたいですね。きっと、いつも先生たち、仏様たちが見ていてくださるはずです。