「重要なのは動機ですよ」
先日、京都市内をバスで移動しているとき、「七仏通戒偈」についてアボさんに質問してみました。「七仏通戒偈」とは、
諸々の悪を作すこと莫かれ、衆善奉行すべし、自ら其の意を浄む、是れ諸仏の教えなり
(ダラムサラのツクラカンにもこの言葉が掲げられています)
法話の前に読んでおります「私家本 道次第論法話会読誦次第 暫定版」の7ページにも載っております。短い教えですが、とても重たい言葉です。
「例えば戦争などで、人を殺したくないのに、どうしても殺さなければならないような場合があるでしょ。この人は殺生をしたことになりますが、殺す動機はありません」
チベットのお坊さんたちと勉強するようになってからわかったことは、何かを行う時、行動それ自体よりも動機に重きが置かれているという点です。もちろん行動も大切なのですが、それに至る前段階の心の状態が、非常に大切です。
「一方で、その人に他人を殺すように指示した人がいるでしょう?この人は実際には殺生を行なっていませんが、他人に他人を殺させたので、この人の方が殺したくなくて殺生をした人よりも罪が重いです」
ここで自分を省みると、どきりとします。普段の生活の中で、上司や同僚などに何か嫌な思いをさせられたときに、我知らず「こんなやついなければいいのに」と考えたりしませんか。もちろん、実際に包丁を持ってぶすりとやれば殺生の業を積むと同時に刑務所行きです。そうではなく、私たちは誰にも知られず心の中で殺生を行なっているのではないでしょうか。実際の行動よりも動機が重要と考えると、これは本当に怖いことです。
お坊さんたちと接していると、殺生をできるだけ行わないように細心の注意を払っておられることに気がつきます。龍蔵院では夏場になると大量の蚊が発生します。自分の肌に吸い付く蚊をたたき殺さずに、ふーふーと息を吐いて追い払おうとしているお坊さんの姿を見たことがある人は多いのではないでしょうか。
「お願いだからあっちいけ!」
一昨年の夏、ゲンギャウ先生にお会いするためにザンスカールにいってきました。その時、ザンスカールではイナゴが大量発生し、麦を食い荒らされるということで、人々が大変困っていました。大地一面をイナゴが覆い、それを避けて歩くのに一苦労するような状態。ゲンギャウさんの弟子であるイシさんと一緒に町からお寺に歩いていた時もそこらじゅうイナゴだらけで足の踏み場がなく、なんとか虫を追い払いながら恐る恐る道を進みました。その時、彼の口からさっきの哀願の言葉が飛び出しました。イナゴは小さく、私たちを害することなんかできません。たかが虫と思うかもしれませんが、たとえ虫であろうとも、生き物を踏み殺して自分が悪業を積むことを仏教者は恐れるのです。
去年の暮れに行われた京都の法話会では、罪を清める方法として「四力」について学びました。その時にリンポチェは、
「自分は罪を積んでないと思っているかもしれませんが、毎日肉を食べるでしょ?それだって罪です。もちろん食べなければ一番いいですが、私たちは煩悩にまみれているので、なかなか肉を食べることをやめられません。だからこそ朝に夕に懺悔しなければならないんです」
とおっしゃっていました。四力とは具体的には、①帰依・発心し②自分がやった罪を知って、ダメだった、悪かったと後悔し③もうしないと誓いをたてて④罪をなくすために五体投地をしたり金剛薩埵の百字真言をとなえたりするのです。これによって、どのような罪であっても清めていくことが可能だそうです。
「夜、その日一日の自分の行いを振り返って懺悔しましょう。また朝は、昨日の夜から朝までにやった自分の行いを振り返って懺悔しましょう。そうすれば必ず罪を清めることができます」
どんな些細にみえることでも、些細なことと思わず、小さな罪から断じていきましょう。