2017.06.01

待ち人来たる時・ゴペル・リンポチェ来日

サカダワは釈尊の誕生・成道・涅槃の月であり、チベットのすべての仏教徒にとって極めて重要な月である。

昨年のサカダワのはじまる時、ケンスル・リンポチェに引き続き私たち日本人を指導してくださっていたクンデリン・ヨンジン・ゲン・ロサン師の訃報を告げなくてはならなかった。ケンスル・リンポチェの一番弟子であるだけではなく、ギュメー学堂の管長にもなられる道を進んでいたゲン・ロサン師の訃報は、私たち日本人だけではなく、インド・チベットの師の弟子たちにとって非常に悲しいお知らせとなった。

仏教において師匠たちがこの世から御隠れになるとき、私たちは弟子として何かを受け取る。伝統的な解釈では、師家たちとの別れは、我々が怠慢であるからとされる。仏法を学ぶだけの機縁の大切さを思い出させるためでもある。ケンスル・リンポチェは日本のお盆になくなられ、ゲン・ロサン師はチベットのサカダワがはじまる日になくなられた。

このお二人の素晴らしい教えを受けた私たちは、毎年お盆がくるたび、そしてサカダワが来るたびに彼らの教えを思い起こすことになるだろう。そして今年のサカダワがまたやってきた。明日からは毎日法要が行われる。

今年はゲン・ロサンがなくなってちょうど一年の時が経つが、幸いにもゲン・ロサンの愛弟子のゴペル・リンポチェが日本に来られることが可能となり、昨日無事に日本にお着きになられた。まずは日本別院にお迎えし、明日からは法要がはじまる。日本に長く住んでいるアボの弟のリンポチェである。

ケンスル・リンポチェも「アボの弟はラマだけど、まじめにきちんと勉強して立派なゲシェーになったら日本に来たらいいね。その間アボは日本で頑張ってもらいましょう」といまから14年も前にリンポチェと話したことが思い起こされる。ゲンロサンも「私もインドに弟子がたくさんいるし、法王からもいろいろ役職を拝命しているので、日本にしょっちゅうずっと住むことはできないけど、アボの弟は勉強もよくできるようになったし、立派なゲシェーになったんでそのうち日本に行ったらいいね」とよくおっしゃっていた。

ダライ・ラマ法王から「ジャパン・ゲシェー」(日本の善知識)「ジャパン・ケンポ」(日本の管長さん)と言われていたケンスル・リンポチェの代わりに仏法を教えることは、ゴマン学堂の僧侶たちにとっては容易ではない。ゲン・ロサンも「先生が体調が悪いので私は代わりに教えにきてるだけです。」と謙遜されていた。ゴペル・リンポチェはゲシェーになられる前には「私たちはもともとラマなんで、ゲシェーになってもそんなにお寺での待遇とかも全然変わらないんですが、とにかく日本のみなさまのご期待に添えるように一生懸命勉強します。」とおっしゃっていた。また「私の勉強がしっかりできたら、いつか私も日本にいってアボが通訳とかできるようになるといいな」ともおっしゃっていた。

弟のラマの世話をするためにインドに亡命したアボが様々な縁で日本に来ることになり、世話をする兄弟がいなくなったがひとりで学問修行に励んでおられたリンポチェが、二人の偉大なる師の代わりにこれから私たちに「法」を説かれる。まずはゲルク派の宗祖ジェ・ツォンカパが書かれた仏教の根本の三要素についてのお話である。

ゴペル・リンポチェもクンケン・ジャムヤンシェーパの後継者のひとりである。そして我々も釈尊の弟子としてこれに臨むことができるだろう。今年のサカダワの法話会は必ず特別なものなるだろう。


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