ここに広島国際平和会議2006の議事録をようやくみなさまに提供できる。
本書はダライ・ラマ法王、デズモンド・ツツ大主教、ベティ・ウィリアムズ氏という三人の世界平和の巨匠たちが広島に残したメッセージの全貌であり、なおかつこの会議にどのような人がどのような思いで関わり、どのようなことが起こったのかの、プライベートな記録でもある。これらは「活動家」のための必要な素材を提供するためであり、本書をひとつの「素材」として、さまざまな人がこの世界をよりよいものへと変えていくことができれば、我々この会議に関わったものとしてはこの上ない喜びである。より一般的な書籍としては、アスペクト社からほぼ同時に出版される『絶望から立ち直る方法を教えてください』を参照されたい。同書は、平和実現のプロセスをひとりの人間が絶望から立ち上がり、世界平和に貢献したいと志す人間になれるためのプロセスを中心に、わかりやすく質疑応答形式で表現したものである。
この会議には最初にダライ・ラマ法王に提案された時以来関わってきたが、その間多くの人々の善意に支えられた。この場を借りて御礼申し上げたい。
しかし同時に「日本」「広島」には既成の価値観や既得権、さらに“無難な枠組み”のなかでしかものごとを考えられない人が多かったことにも愕然とした。特にチベット問題がからむと“政治”と“宗教”というふたつのタブーに抵触すると感じるのか、遠のいていく人が多かった。これが私の故郷「広島」の現状であった。「国際平和文化都市」を標榜しながらも「国際的」でもないし「平和的」でもない。いまの「広島」にとっては「有名であること」や「国家や地方自治体などの公共の補助金がついていること」の方が大事なのかもしれない。
我々がこの会議を準備している最中にも、ネパール国境でヒマラヤを越えてインドに亡命しようとしていた数名のチベット人が無残にも射殺される事件があった。また本議事録を編集している間にもチベットで自由を求めて発言したチベット人が反逆罪で逮捕され、いまもその場所では中国公安当局による盗聴が行なわれ、そのチベット人もいまだ釈放されていない。そのような政治的な不安定な状況が続くなか、ダライ・ラマ法王はあるインタビューに答えて、「世の中は確実によくなっています」「中国国内の状況は確実によくなっています」そう答えていた。ダライ・ラマ法王が見つめている未来への視点は、チベット問題の解決ではなく、世界平和の実現にある。これはすさまじい主張であるし、驚くべき主張である。私としてはもっとチベット問題について今回の会議でも発言してほしかったというのが本音であるが、法王の語ったことはまずは世界全体の平和であった。そこには絶対的な利他主義に対する信念とそれを持ち続けてきた法王の類いまれなる精神力を感じた。
最後に成田空港で法王と別れた時、恩師ケンスル・リンポチェは「法王さま、是非長生きしてください。」とお願いしていた。法王は「心配しなくても、私は百歳まで生きますよ。」そうあのバリトンの声で笑って去って行った。それは私には「百歳までは大丈夫だよ」というようにも聞こえた。また平和会議を終えた後の記者会見で三人の受賞者たちは「会議をするだけではだめです。実際に行動し、すこしずつでも平和を実現することが大事です。」と口をそろえて語っていた。そしてその言葉はいまも私にとって次になすべき課題のひとつとして忘れられないものである。言論だけではなく、行動をしてきた人々の声は大変重いものであった。
この会議が終ってから、半年以上が経った。その間に我々がお世話になっていた先輩、恩師、友人たちの何人かがこの世を去っていった。何かが変わり、そして何かが起こっていた。と同時にいまも現実にはチベットでは苦しみや痛みをリアルタイムに経験している人々がいるし、アウンサン・スーチー氏をはじめとして、理由なくいまも囚われの身のまま過ごしている人々がいる状況は続いている。今回の平和会議では実現できなかったが、いつの日かチベット問題やこうした問題を全面的に解決するために、近い将来、広島で何かが実現できればいいと思う。我々日本人がアジアの安定に貢献できるのならば、それ以上のことはないだろう。
この議事録を編集しながらさまざまなことを自問自答してきたが、最後にいいたいことは私たち無名な人間は無限の未来の可能性をもっているということである。
そして「広島」が発信してきた平和のメッセージもまた、原子爆弾によって一瞬にしてこの世のなかから姿を消した「無名なひとびとの無言の声」を代弁したものではなかっただろうか。今回のダライ・ラマ法王、ツツ大主教、ベティ・ウィリアムズ氏という三人の賢者の言葉もまた、彼らにメッセージを託した「無名な屍たちの無言の声」を代弁したものである。いまは「ノーベル平和賞受賞者」という肩書きをもった人が語るこの言葉をよく聴くなら、チベット、南アフリカ、北アイルランドで起こった悲劇の連鎖で消えた人々の「無言の声」が聞えてくるだろう。そしてこの本を読むすべての人がその声に反応してくださることを期待する。
真理と正義の探究、世界の恒久平和の実現、絶対的な利他主義、彼らがここに説いているのは、何ら目新しくもない、古典的で極めて普遍的な価値観である。人類がこれらを理想として以来、すでに何世紀もの時間が経っているし、それは実現不可能な夢ものがたりにみえるかもしれない。しかし、少なくとも今回広島に来てくれた彼らはまだ「無名」であった時から、決して諦めず、あらゆる因習、制度、権力、既得権を振りかざす“悪”と戦いつづけてきたのである。彼らは明らかに人間のもつ無限の未来への可能性を信じているし、その信念の強さは特筆に値する。
私たちは毎日この「広島」で、跡形もなく消去った屍たちの大地を踏みしめて歩いている。いまもなおリアルタイムに、山の彼方、海の彼方では、言葉すら発すことができないまま、人々が死につづけている。この現実を直視し、彼らの無言の声に耳を澄ますこと、そこから変化ははじまる。そしてこの本はそんな変化を待ち望みながらこの世を去っていたすべての無名な人々のために捧げたい。