2006.11.04

EP0305 密教は仏教か否か

そして問題になるのは「密教」です。密教が仏教なのかどうか、これについては多くの議論がなされています。

まず最初に謂えることは、龍樹、チャンドラキールティ、アールヤデーヴァ、彼らに密教の著作が有る事は明らかでしょう。私の知人のインドの学者ウパデーヴァという方が居ました。彼はネパールで梵語写本を発見しました。確かあれです。アールヤデーヴァの作品です。『心障浄化論』です。

『心障浄化論』では「樹から生まれた寄生虫が樹を食料とするが如く、貪欲から生じた道は貪欲を蝕むこととなる」ということについて書かれています。

毒を例にすれば 一般に有毒なものを食べたら病気になるでしょうし死ぬ恐れもあります。ですが有毒物質を浄化すれば薬になることもあります。たとえば水銀をそのまま飲むとそれは毒ですが、水銀を製錬し有害物質を取り除けば効能があります。これはアーユルヴェーダの伝統医学にあるものですし、チベット医学にもあります。『心障浄化論』ではこの話が説かれます。この例と同様に煩悩そのままのそれ自体に支配されてしまえば、煩悩に悶えるでしょうが煩悩を伴うものに基づいてここでは主に貪欲に基づいて貪欲に基づいて粗い客塵意識の活動を少し抑えた時に、代わりに微細な原初心を活性化する事が説かれてます。粗い客塵の意識の活動が抑制されるにつれてその分微細な意識が活性化していきます。この原理が“貪欲転道法”の原理となるのです。そしてアールヤデーヴァの『心障浄化論』ではこれが詳しく説かれています。

ウパデーヴァがネパールで発見した梵文写本はこの『心障浄化論』です。『心障浄化論』の写本をサンスクリット学者のウパデーヴァがその写本を見た時、その写本の梵文の文体は『四百論』と全く同じだと思ったようです。彼が見出したこの写本は無上瑜伽の修行法の書です。そのテキストの文体と『四百論』の文体とは完全に一致しているのでだから作者は同一人物だそう確信したようです。それ以降 彼はアールヤデーヴァが、無上瑜伽密教に詳しいのは間違いないと確信したようです。

同様の話ですがサンスクリット学者によればチャンドラキールティの『明句論』の中には独特な表現があるそうです。チャンドラキールティ特有で他の人にはないそうです。この独自の表現が『秘密集会タントラ註灯作明』にも全く同じ様に有るそうです。このように両方ともベナレスのサンスクリット大学の先生です。彼が調べたところ『明句論』を書いたチャンドラキールティと『灯作明』を書いた著者とは同一人物だ、そう結論づけたそうです。

そうするとチャンドラキールティ『四百論』のアールヤデーヴァ彼自身が密教書を書いたのであり、『灯作明』の著者チャンドラキールティは『入中論』『中論註明句論』の著者チャンドラキールティは同一である、この二つの結論があるそうです。

また別の観点ですが、ジョウォジェ・アティシャ彼は確か十世紀ですね。—十一世紀ですね彼もチベットに来ましたのは、歴史的事実です。彼の生誕の地だった王宮は現在のバングラディシュのダッカの近くにあります。アティシャについては歴史的問題はありません。彼は『菩提道灯明頌』をチベットで著作しています。このチベットで書いた本に無上瑜伽密教についての言及が有ります。

こう考えますと仏教の伝統に“密教”が有る事は間違いありません。

更に詳しく比較するならば、外教徒の密教のなかでは“アートマン” “我”を観想する方法が説かれます。これに対して、仏教の密教では“アナートマン” “無我” が強調して説かれてます。

先ほどもいいましたように、密教の修行には思想が大切です。特に空の理解が必ず必要となります。これは先程お話した通りです。諸天としての生起はすべて空性理解と関係しておりそれ以外に空性理解とは無関係に諸天の生起は有り得ません。この点が仏教の密教を明確に特徴付ける点です。

詳しく考えると一般に 諸天を観想したり、脈官や滴や風を観想したり、“転移上生法”等は外教徒にもあるそうです。外教徒の密教にも有るそうです。そうインドの知人が言っていました。ですから 共通の瑜伽とそれから上生法、多分転移法もそうですね、これらは外教徒の密教とも共通しているようです。

仏教の密教との違いは、空思想であり空性を修習し、この空性理解の所取相が諸天として顕現すること、これが仏教の密教の特徴であることは明かでしょう。いずれにしても“仏教の密教”というのが有る事は間違いないでしょう。みなさんは密教を実践されている方ですよね真言密教ですよね。


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