2016.09.18

ナーランダー僧院十七賢者祈願文

ダライ・ラマ法王は、チベットや日本の仏教はナーランダー僧院の伝統に則った大乗仏教の教えであるとおっしゃっています。ここでは法王ご自身が著されたナーランダー僧院の17人の賢者に対する礼賛の詩をご紹介いたします。
panchen17


衆生を利益せんと大悲に請われ
断証救世の最勝者たる天中の天
唯一縁起の法で衆生を導き給う方
語の陽光たる牟尼自在に頂礼せん

勝母の密意たる離辺の実義たる
縁起を甚深なる正理で明かにするに巧みな者
勝者の授記どおりに勝乗中観の轍を開かれた
ナーガールジュナに請い願わん

彼の直弟子たる賢者にして成就者たる
内外の学説の彼岸へと至り給われる
龍樹の教えを戴くすべての者の冠飾たる
勝子アールヤデーヴァに請い願わん

勝者の密意の至義たる縁起の意味は
仮有唯名であるという甚深の枢要を
明らめ最勝なる成就地へと往かれし方
ブッダパーリタ足に請い願わん

真実なる事象が生起するという辺を否定し
量の共通顕現と外部対象とを承認する
学統を開かれし円満なるパンディット
阿闍梨バーヴィヴェーカに請い願わん

縁起たる此縁性のみにより
二辺を排除する顕現と空との中観の方規を
甚深広大の教化に通じ顕密の円満道を
興隆なされたチャンドラキールティに請い願わん

希有にして素晴らしき大悲の道と
甚深と広大の正理の次第とさまざまな表現で
賢劫の所化たちの群衆に教示するのに巧みな御方
勝子シャーンティデーヴァに請い願わん

所化の境涯に従って二空の中道を開き給い
因明と中観の正理の次第を区別すること巧みにして
ヒマラヤ地方に勝者の教説を布教なされた
大学者シャーンタラクシタに請い願わん

離辺なる中観と止観双運なる
修習次第を経とタントラとの通りに正釈し
雪域に勝者の教えを誤りなく明らかにし給える
カマラシーラ足に請い願わん

慈により摂取する大乗の一切蔵を
正しく普及し賢者の広大道を教示され
勝者の授記どおりに唯識の車轍を開かれた
アサンガ足に請い願わん

阿毘達磨七部と二空の伝統を継承し
毘婆沙部・経量部・唯識派の学説を明らかにされ
第二の一切智者と呼ばれた賢者の最高峰
阿闍梨ヴァスバンドゥ足に請い願わん

牟尼の聖典を事実に基づく論理により説くために
量の百の門を正しく開き給われた
尋伺の慧眼を給われた大論理学者
ディグナーガ足に請い願わん

内外の論理学の枢要を正しく考えられ
甚深広大の道すべてを正理道により
確定された希有なる法規の教化に通じている
ダルマキールティ足に請い願わん

アサンガ兄弟より伝われる般若波羅蜜多の意味を
有・無を離れた中観の伝統に従って
荘厳の文意を明らかにする灯明を灯された
アールヤヴィムクティセーナ足に請い願わん

般若経の意味を分別するとの授記を得て
不敗の主の口訣をそのままなに
三つの般若波羅蜜多の最勝なる典籍を明かになされた
ハリバドラ足に請い願わん

律部の十万帙の密意を正しく要約し
説一切有部の教義通りに別解脱経を
過誤なく正しく教化されて最勝の堅通者となられた
グナプラバ足に請い願わん

三学という功徳の宝庫を支配なさり
律の無垢なる教えを永く広隆せしめるため
広大な聖典の意味を正しく註釈した最高の持律者たる
シャーキャプラバ足に請い願わん

牟尼の甚深広大な教伝を余すこともなく
三士の道として教化され
ヒマラヤ地方に牟尼の教えを布教された恩師たる
ジョウォ・アティシャに請い願わん

かくの如く閻浮提の荘厳たる賢者たち
希有なる素晴らしき善説の最勝なる源たち
不退転の信心によって請い願わん
わが心を異熟させ解脱させるよう加持したまえ

基となる実相たる二諦の実義を知ることで
四諦により輪廻の生滅を如実に確証する
量によって導き出された三依への信心を堅固とし
解脱道の核心を得るように加持したまえ

すべての苦しみを寂滅させる解脱を追及する
出離心と一切衆生を救済しようとする
無方無分の悲心を根本として
作為ではない菩提心をもち
解脱道の核心を得るように加持したまえ

偉大なる始祖たちの教義を
聴聞し思慮し修習することにより
波羅蜜多・金剛の一切道の核心に対する
確信を容易く得られるよう加持したまえ

幾度生を受けようとも三学を護持する人身の所依を得て
講釈と成就により教証よりなる仏説を
伝承し興隆させるため偉大なる祖師たちと
違わぬよう仏事をなさんことを

すべての人々が常に聞思学修の行により
時をすごし誤った慣習をすべて断ちきり
勝れた賢者や成就者が増えることで
この大世界が常に荘厳されんことを

その力で顕密の地道を赴きて
自利利他を自然成就した一切相智たる
勝者の位を速やかに得ることで
無辺の衆生を利益せんことを

【あとがき】

仏世尊は甚深・広大な教えを説かれたが、その後聖地インドの大学者たちは、それらが一体何なのかということを明らかになされ、思慮深い人々の智慧の眼をひらくかのような素晴らしい典籍を数多く著作なされた。その後それらの典籍は年月を重ね、今日人間二千五百年の年月が経ている。今日にいたるまでそれらは聞思修されるべき聖典として廃れることもなく、伝承されてきている。いまこうした彼らの法恩を追想して、変わることのない信心にって、それらが引き続き学習されることを祈っている。

近年この世界における科学や工業製品の発展は目覚ましいものがある。しかし一方では今生のさまざまな思惑に心は冷静さを失い、騒然としていることも確かであろう。こうした時代に、私たちブッダの教えに従うものたちが仏の説かれた法が如何なるものなのかということを理解した、その上でそれに対する信仰心を獲得しなければならないのであり、これは極めて大切である思われる。客観的な心をもち、それらに対する懐疑心も抱きつつ、詳しく検討し、それらの根拠を探り、その根拠を見出すことを通じて知性とともに信心を起こさねばならないのである。こうしたことをするためには、「閻浮提の六荘厳」として有名な人々やおよびブッダパーリタ、アールヤヴィムクティセーナ等の甚深・広大の典籍は不可欠ものであると思われる。

こうした思いにかられて閻浮提六荘厳のタンカの描き方の伝統をもとにして、甚深・広大の九人の法脈を加え、ナーランダー僧院のパンディタであり成就者十七名のタンカを新たに建立することとなった。そしてその際に、彼ら真の素晴らしき賢者たちに対する心のからの信仰心によりこうした祈願文を著したいという思うようになり、また追及心のある私の法友のなかにもそのような祈願文を書いて欲しいという依頼を受けることとなったのである。そこでこの「吉祥なるナーランダー僧院の大パンディット十七人に対する三種の信心による祈願文」と題し、彼ら賢者の善説に対する不作為の信心を得て、彼ら賢者の善説を学ぼうとする人々のなかの一員として、釈比丘テンジン・ギャンツォが上座部派の伝統的な暦法で仏涅槃後2545年、第十七ラプチュン鉄蛇年十一月朔日、西暦2001年12月15日、インド、ヒマチャールプラデーシュ州カンラ、ダラムサラにあるテクチェンチューリンにてこれを記す。善あらん。

Version:Public Beta 1.0


RELATED POSTS