当山住職座主ならびに日本の僧侶のみなさま、そしてヒマラヤ、チベット仏教のゴマン学堂のケンスル・リンポチェをはじめとしたチベット人僧侶のみまさま、そして日本の法友のみなさま、みなさまにごあいさつ申し上げます。
本日この古刹に新たな拠所たる弥勒像が開眼されました。以前からあるすべての仏の「大悲」の象徴である、観音菩薩のあるこの場所に、新たに「大慈」の象徴、弥勒仏が建立され、いまここにその善住大法要が勤修されました、また日本の伝統に則って開眼供養をなさいました。特にチベット仏教僧のみなさんによって大本尊、怖畏金剛尊の瑜伽行法に基づいた善住落慶大法要を勤修され、それが無事に成就しましたことは大変おめでたく、慶ばしきことと存じます。
仏像建立の意義は利他にある
新たに拠所を建立されることは、昔のインドの釈尊が在世の時代に釈尊ご自身が自らに似せた像を建立なさったという伝説に遡ることができます。その時代から今日にいたるまで、寺院や僧房に拠所を新たに建立する伝統が普及したのでしょう。みなさんの日本の寺院でも、それぞれの法脈や宗派に応じた、文殊菩薩などの寂静尊や忿怒尊などのさまざまな仏像が建立されていますが、そのなかでも今回は弥勒仏が建立されたようです。
弥勒仏などの仏像を建立する目的についていえばたとえば『法華経』では次のように説かれています。
彫刻されたり、描かれた善逝の姿というものは、
『妙法蓮華経』「方便品」
たとえ迷乱した心で見ようともそれを拝すなら、
千万の仏たちに直接出会うに等しいのである。
ここでは「善逝の姿」つまり仏像や仏画は、心が迷いに陥っている状態であってもそれを拝むのならば、そのモデルになっている諸尊の加持の力によって、善業を積むことがあるという御利益が説かれています。ですので私たちにとって仏像を建立するということは、それを参拝するより多くの人々に御利益がもたらされますようにという利他の目的をもった行いなのです。
弥勒仏縁起
弥勒仏は、すべての人に見える形では、釈尊の仏弟子、舎利弗尊者や目連尊者や迦葉尊者などといった方々の御一人として釈尊の周りに居られた方のひとりであったようです。また清浄なる顕現のひとつとしては、諸天の姿を取られており、観音菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩といった菩薩聖者としての姿をもたれている方のおひとりです。こうした諸天の姿をした何千、何百の菩薩が居られますが、そのなかでも主要な諸尊として「八大菩薩」が数えられており、弥勒菩薩はその八大菩薩のなかのおひとりでもあります。
釈尊の伝記を十二の行状で数える場合には、この閻浮提世界に釈尊が「最勝化身」(人間の姿で現れて説法する仏のこと)を現生させられる以前 に釈尊は、兜率天において「シュヴェータケートゥ」という名の仏として説法されておられました。しかしそこからこの閻浮提の世界に下生なさり、最勝化身を化生されることとなり、その時に釈尊の代理人として、兜率浄土において説法する役割を弥勒仏に託されたとも謂われております。
現在賢劫千仏のなかで過去仏としては、拘那提仏(クラクチャンドラ)、拘那含牟尼佛(カナクムニ)、その次が迦葉仏}、そして第四の指導者、釈迦牟尼仏と続きます。
その後の未来九九六仏の最初であり、第五の指導者が弥勒仏という風に伝えられております。ですので、未来のこのよき時代において、次に降臨される仏として、弥勒仏が居られるのです。これら千仏は菩提心を起こした時に「先に仏になったものは先に説法をするが、その教えに帰依しながらも、高い境地に達することなくそのままになってしまった所化たちを、次に降臨する仏は慈悲によって摂取して救おう」という祈願をなさってそうです。ですから、私たちは第四の指導者である釈尊の教えへと入門してはいるのですが、その弟子のなかで功徳を積んで高い境地に達っせない人々は、次にこの世に来られる弥勒仏の御慈悲によって救われて、高い境地に達することができるとされているのです。
チベット仏教における弥勒信仰
このような縁起があるので、チベットでも弥勒仏に対する信仰は大変普及したのだと思います。
ダライ・ラマ一世ゲンドゥン・ドゥプもツァンのタシルンポ大僧院を創建する時に弥勒仏の仏像を建立しておりますし、ダライ・ラマ二世ゲンドゥン・ギャツォもチューコル・ゲル僧院を創建する際に、弥勒仏の仏像を建立し、その際ゲンドゥン・ドゥプと同じような祈願文を書かれております。またダライ・ラマ三世ソナム・ギャツォも確か、リタン大僧院で弥勒仏を建立されたような話も伝わっています。このように考えていきますと、歴代のダライ・ラマの多くが弥勒仏の仏像を建立されてこられました。もちろん第四指導者である釈尊の教えを大事にしないで、縁起をかついで弥勒の方に希望を寄せるというわけではないでしょうが、弥勒仏の仏像を建立することは、チベットでも大変人気があります。
ダライ・ラマ一世ゲンドゥン・ドゥプは『弥勒祈願文』でとても強いメッセージを残しています。
いつの日かかの金剛座の頂きにおいて
主弥勒 あなたがお姿を現わされる時
このわたしの智慧の蓮華が華を開いて
賢き劫の蜜蜂たちが癒されますようにその時勝者弥勒は微笑し給われて
『弥勒祈願文』
右臂を我が頭にお置きになられて
無上菩提心へと授記され給われて
衆生利益のため速ちに成仏せんことを
伝説によれば、弥勒仏、弥勒菩薩は、菩提心を起こす以前から「慈」の修習に精進され、菩提心を起こした後に「慈氏」という名で呼ばれたと謂われています。
このように「慈」の実践をメインにされている方がこの仏様になります。釈迦牟尼仏と弥勒仏とのお二人はどちらが先に発心されたのかというと、弥勒仏の方が先に発心されたとも謂われていますが、成仏は釈尊の方が先に成仏されたと謂われています。それは何故かと申しますと、釈尊は精進された努力家であったからだと謂われています。ですので努力によって二資糧を忽ちに成就して、先に発心した弥勒仏よりも先に成仏されたと伝えられております。
お参りの心構え
本日こうして、このように慈の象徴である弥勒仏と、悲の象徴である観音菩薩という二つの仏様がこの御堂に揃ったということは大変素晴らしいことなのです。ですから、今後もこの御堂を参拝なさる方は、単に「二人の仏さまに帰依します」という思うだけではなく、みなさまのそれぞれの心のなかに「すべての衆生が幸せになりますように」という「大慈心」と「すべての衆生が苦しみから逃れますように」という「大悲心」という、この仏の慈・悲についてなるべく強く思いを巡らすころが大切ではないでしょうか。そしてここを参拝して帰られる時にも、そのような「慈悲」や「愛」といった感情がなるべくみなさんの自分の心のなかに持続してゆくようになさってゆくとなるとよいと思われます。どうもありがとうございました。