はじめに
西暦706年、弘法大師は唐の恵果阿闍梨(けいかあじゃり)より金剛界・胎蔵界の両界曼荼羅の伝灯を授かり日本に帰国しました。弘法大師はその旅の途中、安芸の国・宮島を対岸から見てその姿が観音菩薩のように思え、宮島で護摩修法を行ったとされています。そしてその火はいまも宮島・大聖院霊火堂の「消えずの火」として燃え続けています。これが厳島弥山のはじまりです。
弘法大師が持ち帰った両界曼荼羅の伝灯は、その後日本中の仏教界へ大きなインパクトを与えました。それは日本の密教の伝統として今日まで途絶えることなく受け継がれ、多くのひとびとの心の支えとなっています。
日本・チベットの仏教に共通する秘密の教え
仏教にはさまざまな伝統がありますが、そのなかでも密教は異様な形で伝承されています。密教は教えの内容が秘密であり、それを学んだ師匠から弟子へ、その弟子が師匠となった時にさらに弟子へと口頭で伝えられていきます。つまり「人から人へ」限定的に受け継がれてきたものなのです。
現在この密教の伝統が固く守られきちんと継承されているのは、世界の中でもチベット仏教と日本仏教のみといっても過言ではありません。チベット仏教も日本仏教も大乗仏教の流れをくんだ仏教であることに変わりないだけではなく、特に密教の伝統については蘇悉地(そしつじ)経、大日経、金剛頂経、といった同じタントラ経典を基盤の経典としています。
チベット密教では秘密集会タントラ、勝楽タントラ、怖畏金剛タントラ、時輪タントラといった「無上瑜伽(ゆが)タントラ」と呼ばれる日本にはない伝統も継承していますが、基盤となる蘇悉地経、大日経、金剛頂経、といったタントラについては日本と共通の伝統をもっています。
二つの伝統が交錯する
弘法大師が日本ではじめて伝法灌頂を授けてから1200年後の2006年11月。宮島 大本山 大聖院では2000年からはじまったデプン大僧院(インド)との交流活動の一環として、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ第十四世法王猊下を招待し、新たに日本・チベットの仏法興隆を祈願し建立したデプン大僧院に伝わる弥勒仏(デプン・トンドル・チェンモ)の写しの仏像ならびにそれを安置する仏殿の落慶法要を行ってもらうこととなりました。そしてその際、チベット・日本の仏教の交流活動を記念するという意味で、ダライ・ラマ法王ご自身のご提案により、両界曼荼羅伝授大法会が開催されることとなりました。この会はダライ・ラマ法王が日本で最初に行なった密教伝授会となり、チベットの伝統を日本で授けられることとなりました。